ダブルキャスト(三)

「……茜座恋音。登録っと」


 塩田さんは、スマートフォンへと入力する。連絡先と名前をさっそく聞かれちゃった。


 まさか、わたしが俳優として事務所に誘われてしまうなんて!


 演技経験なんかないし、ズブのシロウトもいいところ。


 役者なんてできるかなあ……。


〈どう? あなたは楽しかった?〉


 まちるちゃんが問いかけた。わたしにしか聞こえない。


〈私には、かがやいたように見えたけど? あなたが演技してるとき〉


「本当に!?」


 そう言ってくれたら、自信がつく。わたしだって楽しかった。


 最初は緊張しちゃったけど、いざ撮影に飛びこんでみれば、物語の世界がある。ドラマで見たのと同じ世界。


 わたしが『果歩』を演じたときに、『果歩』の人生を生きてるなぁって、満たされた気持ちになったんだ。


 飽きっぽくって、カラッポだった、わたしが夢中になれるモノ。


「わたし、やりたい! お願いします!」


「こちらこそっ。お仕事取ってまいりますよ!」


 塩田さんと握手する。見た目はクールそうだけど、人当たりがよさそうだ。


 わたしもいよいよ業界入り。夢をやっと見つけられた。


〈あなたをこれから引きはがすわ。がなくなるけれど、心の準備はいいかしら?〉


「もちろんだよ!」


 新人・茜座恋音として、俳優デビューを果たします。


 のっとりしてたら、まちるちゃんとの共演だってできないし。


 いつか、追いついてみせるから。


 まちるちゃんが詠み上げる。


〈『白い右手』よ、茜座恋音を祓いたまえ。もとのカラダに戻したまえ〉


 ――『白い右手』? なんだろう……?


 風が強く吹きつけた。川の波が泡立った。


「呼んだかい?」


 音もなく人があらわれた。八歳くらいの女の子。右手にライオンのパペットだ。


「がおんっ、おん」


 おどけるようにクチパクする。この子は何者なのだろう。


〈のっとり専門のお祓い師よ。『白い右手』って呼ばれてる。ある先輩が教えてくれて、わたしも見るのははじめてよ……〉


 都市伝説にも続きがあって、お祓い師なんてあったんだ。


 しかも小さな女の子。月明かりに照らされた顔は、かわいらしくてキレイだった。テレビに出ても映えそうだ。


「……へえ、いい夢持ってるね。キミの演技は見てみたい」


 まっすぐに瞳を向けながら、ライオンのパペットを取り外す。


「え……っ」


 あれが『白い右手』。暗い土手にも、くっきりと白さが浮かび上がる。


 フツウじゃない。たぶんホンモノのお祓い師。


 現実味のないあの右手で、わたしはお祓いされるのかな……。


「生霊さん。ガマンしてね」


 右手が襲いかかってきた。頭をガシッとつかまれる。


「のっとり魔よ、退散せよ」


 痛みが一瞬走ったと思えば、まちるちゃんから離される。


 そのまま吸いこまれるようにして、パペットの中へと入りこむ。


「よい夢を」


 暗闇に放り投げられる――……。




「やめたいって? しょうがないわね」


 お母さんの声がする。ガッカリしたような響きだった。


「ごめんなさい。向いてないと思ったから」


 ダンスもピアノも上達しなくて、続けてもムダだと感じちゃう。実衣ちゃんや環奈ちゃんのように、うまくなった気がしない。


 だから、習いごとをやめるんだ。発表会で恥をかいてしまう前に。


 期待を裏切ってごめんなさい。


 お母さんはタメ息だ。


「あなたにはなにが向いてるのよ……。いろいろやらせてきてるのに」


 お母さんは習いごとには、お金を惜しまない人だった。わたしの得意を見つけるために、いろんなところに通わせた。ダメだった。


 ……なにをやってもカラッポだなぁ……。


 わたしにだって、得意ななにかを見つけたいとは思ってる。


 どれも夢中になれなくて……。


 リビングにあるテレビから、ドラマの音が流れてきた。


『あなたにお兄ちゃんは渡せないっ! もう関わってこないでよ!』


 視線がドラマのほうへ向く。――『破天姫』だ。クラスメイトが出てるんだ。


 沙季まちるちゃん。演技うまい。必死になってる表情とか、ヒステリックな声音とか。


 学校で会ったまちるちゃんとは、同一人物に思えない。


 だって、『果歩』がいるんだもん。人ってこんなに変われるんだ。


「わたしにも、できるかな」


 こぼすようにつぶやいた。


 お母さんは沈黙しながら、わたしの顔を見つめてきた。「どうせまた、やめるんでしょ?」って言ってるような目をしてた。


 わたしに失望してばかりで、期待もされなくなっていた。


 そうだよね……。わたしにできるワケなんてない。


 そんなときに、よみがえった。だれかが言っていたことを。


 ――「……へえ、いい夢持ってるね。キミの演技は見てみたい」


 わたしの、夢……?


 そう思ったの、はじめてだ。


 習いごとは、お母さんがいつもすすめてやらせてる。


 わたしの意思じゃなかったんだ。


 だけど、まちるちゃんの演技を見て、気持ちが大きくふくらんだ。


 夢の花が咲きかけた。


 大事にしたい。しおれてしまわないように。


「わたし、俳優をやってみたい! 心を動かす演技したいっ!」


 たとえムリだと笑われたって、ぜったいになってやるんだから。


 それくらいの強い意思を、お母さんにぶつけてみた。


 そうしたら。


「やってみなさい」


 お母さんはほほえんで、テーブルになにかを差し出した。


 シールだった。『魔』って文字が書かれてる。


 そうだ、ここは現実じゃない。


『白い右手』のあの子がここへと連れてきた。


 抜け出すには……たぶん、シールをはがせばいい。


 空間がぐにゃりとゆがんでいく。


 ……あれっ、ここはわたしの部屋? ベッドで横になっている。


 そうだっ、スマホ。わたしの夢。


 画面を見ると、お知らせだ。塩田さんがメッセージアプリのつながりを申請してるみたい。まちるちゃんも。


 やった、夢への第一歩!


 わたしはさっそく階段を降りて、お母さんを呼びにいく。


 伝えたい。本気の気持ちができたこと。


 俳優になりたいって。

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