ダブルキャスト(二)

 天才子役にのっとりなんて、想像もしていなかった。


 メガホンを持った男の人が、「もっと寄ってー」って指示してくる。たぶんあの人が監督だ。


 コウヤくんの斜め後ろで立ち止まる。うわぁ、近い。背が高い。


 だけど彼は振り向くことなく、背中をただ見せている。それだけでも、恋人の『姫香』を心配してるって伝わった。


 ――『大樹』になりきっている。


 だったらわたしは『果歩』として、ここに立ってなきゃいけない。


 ……『破天姫』を撮るために。


 まちるちゃんにのっとりしたなら、わたしがかわりに演じなきゃ。


 太陽だってかたむいてるし、撮影に時間は取れないよね……。


 でも、どういう状況で、河川敷にいるんだろう。


 これから撮ろうとしている場面は、わたしが知ってるお話よりも、ずっと先の出来事で――。


 原作があれば読んでいたけど、『破天姫』はオリジナル。プロデューサーがお話を考え、脚本家が書き起こす。そうしてできた台本が、この場面へと使われる。


 だから、今から撮るシーンが、わたしにはさっぱりわからない。


 失敗だってできないし――。


〈あなた、演技をするつもり? シロウトができると思ってるの?〉


「……っ、だって――」


 カラダの中から、まちるちゃんが呼びかける。


 わたしはとっさに小声で返して、聞かれないよう気をつけた。


「『のっとり』のことがバレちゃったら、撮影が止まってしまうよね。それに、この夕焼けの景色って今しか撮れないと思うから。スクリーン越しに見てみたいの」


 土手の夕焼けはきれいだった。逆光を浴びた『大樹』の背中が、哀愁ただよってステキだった。


 きっと『姫香』となにかあって、ここまでさがしに来たのかな。そんな場面が思い浮かぶ。


〈……そうね。カメラにおさめたい。『姫香』をうしない、あきらめかけた大事な場面。だけど『果歩』は『姫香』を信じて、兄に希望を持たせるの〉


「『果歩』はすっかり味方だね。最初は『姫香』を嫌ってて、引き離そうとしてたのに」


〈ドラマを見てくれるのね。うれしいわ。ありがとう〉


 えへへへへっ。


 まちるちゃん、やっぱりいい子だな。ドラマへの情熱を感じるよ。


 ……おっと、役に集中しよう。――兄を追いかける『果歩』として。


 元ヤンキー、しかも総長の『姫香』には、昔の縁がつきまとう。


〈『姫香』は『大樹』を巻きこみたくなかったから、別れることを決意したの〉


 ――『果歩』の役が組み上がる。


 理解した。これだったら。


「シーン、はじめ!」


 撮影開始の号令がかかり、静かな沈黙が舞い落ちる――。




 大樹は姫香を呼び続ける。いつもの河川敷にだったら、きっといると信じてた。


「姫香……どこにいるんだよぉ。僕のような男には、やっぱりふさわしくないのかな……」


 大樹は小石を蹴っている。座りこんで、寝ころんだ。


 兄はやさしい人だけど、気弱なところがたまにキズ。


 だから、ガツンと言ってやる。姫香にはあなたしかいないって。


「あきらめんなっ! 姫香は大事な人なんでしょ! あの人のことを救えるのは、お兄ちゃんしかいないんだよ!」


 目頭が熱くなってきて、自然と涙がこぼれ出る。


 大樹のそでをギュッとつかんで、起き上がるように引っぱった。


「……うん、果歩の言うとおりだ。姫香のことが心配だよ。ほっとけない。余計なお世話かもしれないけど……」




「はい、カットぉー! よかったよーっ!」


 映画監督がほめてくれた。


 ふぅ、なんとか乗りきった。胸がすっごくドキドキする。


 楽しかった。


「まちるちゃん、迫真の演技だったよ」


「見ているこっちも泣けちゃった」


 スタッフさんがタオルを持って、汗と涙をふいてくれる。


「……へえ、やるじゃん」


 コウヤくんがぼそりと言う。くやしそうに聞こえるのは、たぶんわたしの気のせい……よね?


 ドラマで見るイメージとは、まったくちがくて驚いた。素のコウヤくんって、無愛想……。プライドもちょっと高そうだ。


〈あなた、なかなかやるじゃない。私にはまだまだ及ばないけど、演技の才能はありそうね。お名前は?〉


「茜座恋音……。まちるちゃんのクライメイトです」


〈そうなのね、恋音さん……。名簿で名前は知ってるけど、顔が思い出せないわ。ごめんなさい〉


 学校にあんまり来ていないから、覚えられないのもムリはない。


 役者って、いそがしそう。まちるちゃんは五歳のときから子役をやってるんだっけ。


「次のシーン、準備してください」


 スタッフさんが声がけする。あわわっ、撮影が残ってる。


〈そのままあなたがやりなさいな。終わったら、戻すわよ〉


「えっ」


 まちるちゃん知ってるの? わたしを祓う方法を。


 ううんっ、今は集中だ。今日のぶんはやりきらなきゃ――……。




 ――撮影が終わったころにはもう、空は藤色になっていた。


 撮影スタッフが解散する。つかの間の夢はもう終わり。


 さびしいけれど、これでいい。わたしは代打だったから。


 コウヤくんが近づいた。


「今日は調子よかったじゃん。次はどうだか知らないけど」


〈失礼なっ〉


 うれしいと思う一方で、まちるちゃんが怒ってる。


 ……ふたり、いがみあっている。まるで兄妹ゲンカみたい。


 ドラマだと息がピッタリで、うらやましく思えちゃう。


 わたしでだいじょうぶだったかなぁ……?


「じゃあな。足を引っぱるなよ」


〈そっちこそ!〉


 コウヤくんも立ち去った。


 河川敷の薄闇には、わたしとマネージャーだけだ。


 事情、打ちあけておこうかな。


「わたし、のっとりしてるんです。まちるちゃんではありません」


「なんですって!?」


 そりゃあ、ビックリしちゃうよね。怪奇現象なんだから。


 ところがすぐにマネージャーさんは、胸ポケットから名刺を出す。


 ――『塩田』さんっていうみたい。女の人。


「ぜひとも事務所に来てくださいっ! まさに『果歩』! あれほどリアルに演じるなんて、めったにいない人材です! すばらしいっ!」


 メガネを反射させながら、熱烈にわたしの手をにぎる。


 えええええっっっ! 誘われたぁ!?

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