小指をからめて(一)

 ゴール手前のフィールドで、わたしはあいつを見つめていた。


 江藤えとうハヤカ、小学五年。サッカーのポジションはディフェンダー。


 先発で出場できたのに、喜ぶことはできなかった。


 ――「倉石くらいし逸斗いっとをケガさせろ」


 田賀たが監督の命令だ。わたしには……逆らえない。


 もともと男子ばかりのチームで、女子はわたし一人だけ。


 今の監督になる前は、女子も何人かいたのにね……。


 なぜか女子を嫌ってるみたいで、風当たりが強いんだ。だからみんな、やめちゃった。特訓だってキビシイし、試合にも出してもらえない。


 前の見坂井みさかい監督のときは、実力主義だったのに。女子でもフィールドに立たせてくれたし、あのころがホントになつかしいよ。病気になってしまうなんて……。


 田賀監督に変わってからは、半年ぶりに出られたの。


 ……なのに、こんな役目って。


 サッカーをしたいだけなのに。


 ボールが相手チームに渡って、倉石逸斗にパスが回る。


 倉石は、黒海くろうみFCのストライカーで、右足のシュートは強力だ。


 今の白森しらもりFCでは、倉石逸斗を止められない。


 今日は練習試合だけど、来月にはジュニアカップがひかえていて、予選の初戦で対決する。


 うちのチームが勝ち進むには、倉石をつぶしていくしかない。


 監督はそう判断して、刺客をわたしにやらせたのだ。


 女子のわたしにヤな役を。――「チームのため」ってウソぶいて。


 でも、サッカーを続けるためには断るワケにもいかなかった。


 やらなくちゃ……。


 やりたくない……。


 倉石がこっちに向かってくる。力強いドリブルで、迫りくる壁をこじ開ける。


 勝負したいっていう気持ちが、胸の奥からわき起こった。


 ――わたしがボールを奪ってやる!


 ブロッキングの練習は、さんざんやってきたんだから。


 倉石からボールを奪えれば、わたしだって戦力だ。監督も見直してくれるはず。


 卑怯な手を使わなくても、わたしが勝てばいいだけだ!


 来い、倉石! 女子だからってナメるなよ!


 外野の声援が耳に入る。


「よーし、あとはあの女だ! 逸斗、行け!」


「逸斗くーん! がんばれーっ!」


 あちらは味方にめぐまれてる……。


 一方で、


「ああっ! 点を取られちゃう……。江藤さんじゃムリだよなあ」


「倉石にはかなわないか。今度の大会も敗退だなぁ……」


 ――なんだよ、それ。だれもわたしを応援しない。


 それに比べて倉石逸斗は味方に支えられている。英雄のように走っている。


 ……わたしが、女だからかな。


 もし男に生まれていたら、倉石のようになれていた。


 憎かった。――倉石が。


 ――「倉石逸斗をケガさせろ」


 頭の中にこだまする。田賀監督は見越してた。


「うぉぉぁぁあああっっっ!」


 わたしならきっとやるだろう、と。


 倉石がステップを踏んだ瞬間――。


 軸足をめがけて蹴りつける。


 ホイッスルが鳴り響く。


 倉石の悲鳴。足を抱えてうずくまる。


 あははっ、ヒーローはおしまいだね。


 …………最っ低!


 わたしは涙を流しながら、レッドカードで退場する。


 ブーイングを背負いながら。


 田賀監督のもとへ行き、


「……やりました」


 と、報告した――。白髪交じりの五十路いそじ男は、わたしの目を見なかった。


 スルメをしゃぶってばかりいる――。


「なんのことかな」


「――っ」


 とぼけたフリされる。おまえがやった、というように。


「監督! わたしは……」


「江藤、おまえは悪い子だ。ほとぼりが冷めるまで待ちなさい」


 つまり、しばらくの間だけ、選手としては出せないってこと。


 そしてもし、ヒミツをもらせば「しばらく」ではなく「ずっと」になる。


 目まいがする。わかってた。


 たしかにわたしはやったんだ。


 制御できない怒りから――。


 やってはいけないことを、した…………。




 試合が終わった次の日は、ずっと見学ばかりだった。


 どうせ参加したところで、パス回しなんてできやしない。


 事情を知らないチームメイトは「卑怯者」とののしった。


 そのとおり。だって倉石が憎かったし。


 男に生まれて、筋力があって、信頼されてて、サッカーがうまい。


 これが憎まずにいられるか!


 でも、いくら憎くても、ケガをさせてはいけなかった。


 嫉妬に狂って包丁をかかげる殺人鬼と同じなんだ――。


 サッカーをやる資格なんて、わたしにはないのかもしれない。


 ……『辞表』を持つ手が震えてる。一晩中考えて、決意を書き記した封書。


 これを出した瞬間に、自分の気持ちとサヨナラだ。


 サッカーが好きっていう気持ちと。


 だだっ広いフィールドで、ボールを追いかけることもない。


 深呼吸。うん、やめる。覚悟はもう決まったんだ。


 封書を持って歩き出す。田賀監督のいるほうへ。


 もうすぐだ。二メートル。


 ……っ!? これ以上、進まない?


 足が重い。カラダ全体が石みたい。


 動かせない。どうなってる!?


 わたしはっ、辞表をっ、出すんだからっ!


「いらねえよ。こんなもの」


 誰かが言う。わたしの声。わたしは話した覚えはない。


 手が、辞表を破っていく。わたしじゃない! 誰かが入ってあやつってる!


 ウワサには聞いたことはあるけれど、これって『のっとり』ってヤツだよね!?


 のっとりされた人間は、支配されるままになる。


 対処法は……『白い右手』を呼ぶんだっけ? なんなのかよく知らないけど。


 サッカーボールが飛んできた。グラウンドにいた男子たちが、パスをミスってしまったらしい。


 足もとに転がっていたボールを、わたしのかかとはもてあそぶ。


 まるで踊っているように。


 見たことのあるステップだ。


「体幹鍛えられてるじゃん。江藤ハヤカ、もったいねえ」


 わたしの筋力を確かめるように、のっとり魔は言ったのだ。


「おれは倉石逸斗だぜ。あんたが足のケガをさせた」


 えええぇぇっっっ!?


「まさか『あの呪文』を唱えて、追い出そうとはしないよな? だってあんたには借りがある。良心のカケラが一ミリもあるなら、ちゃんと返してもらわないとなあ?」


 わたしは倉石が言うままに、右手を呼ぶことはしなかった。


 だってボールを転がしているが楽しそうだったから。


 サッカーができない倉石のために、カラダを貸すことにした。


 ……女子のカラダでいいのなら。

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