交換男(三)
誰もいないテニスコートで、あたしはひとりぼっちだった。
ずっと待っても来なかった。
帰ろうとしても足が動かず、この場所へとしばられた。
きっと呪いにかかってる。
地縛霊にでもなったかな……。
誰かが助けに来てくれないと、あたしはずっとこのままだ。
夜になり、朝になり。
雨が降り、雪が降り。
天気や季節の感覚さえも、ごちゃまぜになったこの世界。
りょーにゃんはここへは来てくれない。
あたしを助けに来てくれない。
こんなに愛していたのにね。
なんてバカな女だろう。
一方的にドキドキしちゃって、恋人気どりしちゃってさ。
りょーにゃんにその気はなかったのに。
あたしなんて、ただの遊び。本気じゃなかったってこと。
……くやしいな。でも、どうしようもないや。
だって動けないんだもん。地縛霊になったから……。
ここから声を張りあげても、きっと誰も来てくれない。
ずっとここで、ひとりぼっち……。
――「キミだって身近なモノを見て、安心したいと思うだろう?」
そうだ、あの子の言ったこと。
あたし、助けを呼べるかも。
身近なモノ。――スマートフォン!
虎哲がメッセージ送ってた。
『なにしてる?』
短いけれど、虎哲らしい。きっと心配してたんだ……。
あたしはそれを無視してた。虎哲の気持ちなんて知らず……。
声が聞きたい。自分勝手だとわかっても、ひとりきりはさびしいの……。
通話ボタンを強く押す。
お願い、虎哲……。助けてよ。
つながった!
「テニスコート! 早く来て!」
『すぐに行く』
無愛想だけど、こういうときってやさしいんだ。
虎哲は昔からそうだった。
「陽奈子!」
ほら、来てくれる。柔道着を着たままだよ。
「虎哲……あたし、動けなくて……」
「帰るぞ」
手をつないで引っぱられる。
足が動くようになる。
こんなにも、あったかい。
「待って、虎哲」
立ち止まって、手を放す。なにかをにぎった気がしたから。
――この紙は?
黒インクで『魔』って文字。
とたんに景色がぐにゃりとゆがんで、あたしはそこで目を開けた。
眠っていた。テニスコートで。
「おい、陽奈子!」
虎哲がいる。抱きかかえてる。
迎えに来てくれたこと……。夢なんかじゃなかったんだ。
「気がついたか」
能面のような表情だけど、目じりがふわっと下がったんだ。一瞬だけ。
夕焼けの空が濃く染まる。
あたしを立たせて、背を向ける。
「帰るぞ」
手までは、にぎってくれなかった。
現実の虎哲はそんなもの。
そうだよね。ただの幼なじみだもん。
それでも虎哲の大きな背中に、あたしはホッとしちゃったんだ……。
まぶしくて涙がこぼれ出る。ポロポロと。
りょーにゃんのことを思い出したら、自分がみじめになっちゃって……。
「……っ、ひっく」
あたし、失恋しちゃったよぉ……。
「りょーにゃんのバカ! バカバカバカ!」
虎哲の背中に八つ当たり。彼は前を見つめたまま。
「好きなのに! 世界でいちばん愛してた!」
「……ああ」
虎哲は聞いてくれる。愛を肯定してくれる。本気だった。
「りょーにゃんにとっては遊びだった! あたしなんてっ!」
「もっと泣け。ここにいる」
大きな背中を向けている。カカシのように立っている。
グシャグシャになったあたしの顔を、見られないのはありがたい。
虎哲のさりげないやさしさだ。
「泣きやむまで、そばにいる。だから泣け」
「うん……っ、うわああああああ……っ」
背中に顔をうずめて泣く。
胴着を涙でぬらしても、文句の一つも言わなかった。
なぐさめの言葉もかけなかった。
ただ黙って立っている。それでいい。
虎哲って木みたいな人だから。
寄りかかっているだけでも、あったかくて落ちつくんだ。
このにおい。
「汗くっさ」
これ、なんてラフレシア(大きさと異臭で有名な花。『死体花』『悪臭死体ユリ』とも呼ぶ)?
ともかく……、おぇっ。トイレのようなにおいする。
あたしってずっとこんな胴着に顔面つけて泣いてたのっ!?
「うぎゃああああっ!」
「うるさっ」
両手で耳の穴をふさぐ。まゆをしかめて振り向いた。
校門の外へと歩き出す。勝手にひとりでスタスタと。
「ちょっと待って! そばにいるって言ったじゃないっ!」
「泣きやんだろ」
「あ……」
涙は止まってた。
……くさい胴着をかいだせいで。
「それ、ちゃんと洗ってる?」
「洗ってる」
「柔軟剤とか使いなよ。すっっっごいにおいしてるから」
「そうなのか」
本人はわかってないのかな。胸ぐらや腕に鼻を近づけ、クンクンとにおいをかぎだした。
それでもまゆ毛を動かさず、相変わらずの鉄仮面。
……どういう鼻をしてるんだろ。「耳鼻科へ行け」って言っちゃおうかな。
「柔軟剤、使ってみる」
「えっ」
意外な返事だった。こいつにはあたしの意見なんて、聞いてないモンだと思ってた。
表情が乏しかったから。
「なんで」
「使えと言っただろ。陽奈子がくさいと言うのなら」
またひとりで先を歩く。ホンっとわからないヤツだ。
でも、おかげでスッキリした。
明日からまたがんばれそう。
虎哲、今日はありがとね。
新しい恋でもさがそっかなぁ…………。
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