交換男(一)

「りょーぉにゃんっ」


 下校のチャイムが鳴ったと同時に、りょーにゃんの席へと駆けつけた。


 背中からギュッと抱きしめる。


 芝崎しばさき陽奈子ひなこ、中二で彼氏持ちなんです。


 一ヶ月前に告白して、オーケーもらっちゃいました。


 えへへへへっ。


「いっしょに帰ろっ!」


「ごめん、今日は用事なんだ」


 大きな手が、頭をぽんっとなでてくる。


 うあーっ、ドキドキしてきちゃう。


 この人が彼氏の浅坂あささかりょう――めっちゃイケメンなんですよぉー。


 クモの巣のような細い髪に、カエルのような黒い瞳。


 鼻すじがスッと通ったところも、マンドリル(サルの仲間)みたいでカッコいいの!


 ……えっ、なに? そのジト目。


 横からの視線を投げてきたのは、幼なじみの乃木のぎ虎哲こてつ


 りょーにゃんの魅力を伝えたら、


 ――「眼科行け」


 って、真顔で言われたことあって。ふーんだ、虎哲なんか知らないっ。


 りょーにゃんは申し訳なさそうに、整ったまゆをへの字にする。


「テニスの試合が近いから、今日は自主練したいんだ。ほんと、ごめん」


「だったらあたし、手伝うよ! マネージャーってワケじゃないけど、パシリくらいならやっちゃうよっ」


「……あっ、いや、キミに迷惑かけられない。先に帰っていいからね」


 なんて、やさしいお人だろう! あたしを気づかってくれるなんて!


「とんでもないっ! 迷惑なんて思ってないよ! あたしのことは気にせずにっ、パシリとして使っちゃって!」


「……えっ、ああ……しょうがないな……。キミがそこまで言うんだったら、テニスコートに行っていいよ。ボクはちょっとやることあるから、キミは先に行っておいて」


 そのときのりょーにゃんは窓ぎわのほう――桃川ももかわアユさんを見た気がした。病弱で休みがちだけど、黒髪のきれいな美人さん。


 ううん、きっと気のせいだ。天気を確認したのかも。


 外は薄い青空で、雨はどうやら降らなそう。


 この天気なら、りょーにゃんはいっぱいテニスの練習できるよね。


 よしっ、がんばって手伝うぞ!


「テニスコートで待ってるねっ」


「いってらっしゃい。すぐ行くよ」


 あたしはルンルンとスキップしながら、教室のドアをくぐり抜けた。




 テニスコートで待つあたし。


 自主練といえば、ボール拾いとかお願いされたりするのかな。


 なんといっても、りょーにゃんの打ったボールだよっ!


 ぜひともサインを書いてもらって、持って帰って飾りたい! 神棚に!


 一生のお宝になるんだからっ、んふふふっ。


 …………それにしても、遅いなあ。


 他に練習してる人もいないし、あたしはポツンとひとりきり。


 本当に試合が近いのかな……ううん、部員のヤル気がなくて、りょーにゃんがガンバリ屋さんなんだよっ。だからりょーにゃんがひとりだけでも、自主練したいって言い出して……うんっ、そうに決まってる!


 いろいろと事情があるんだよ、先生に呼び止められたとか?


 スマートフォンをチェックするけど、りょーにゃんはなにも言ってこない。


 連絡ができてないほどに、いそがしいことがあったんだ……。


 でも、あたしは待ってるね。


 りょーにゃんがテニスをしてるとこ、早く見てみたいなあ…………。


 ……妄想してたら、一時間も経っちゃった。


 空が夕焼けに染まったけど、りょーにゃんはまだ来ていない。


 連絡もない。


 だけどきっと来るはずだよ。待ってるよ。


 そのときスマホに着信が。メッセージ!


 ――なんだ、虎哲からだった。


『なにしてる?』


 短い文。なにって、待っているだけよ。


 虎哲は確か柔道部で、今日は部活がある日だっけ。


 メッセージからもわかるように、ホンッとかわいげないんだから。


 めんどくさいので、返さない。


 それよりも、りょーにゃんだよ。


 ちょっと遅くなったけど、来たらいっぱい練習しよっ!


 あたし、とことんつきあうよ!


 ………………。


 あれ? 眠たくなってきた…………。


 まぶたがすごく重くって……………………。


 ……りょー…………にゃ……ん…………………………。




 目をあけたら、黒い瞳。


 りょーにゃんの整いすぎる顔が、ドアップでこちらに迫ってくる。


 まるで映画のスクリーンのよう。オレンジ色に光る海。


 ちっ、近い! 近すぎる!


 まさに、キスを、されようとぉっっっっ!?


 だ、ダメ。心の準備がまだできて…………。


「ちょっ、まっ!」


 ドンッ! ――と突き飛ばしちゃいました。りょーにゃんを。


 だだだだって! 急にあんなに迫られてたら、心臓がビックリするじゃないっ!


 前ブレもなくドアップだよ? キスシーンだよ?


 脳ミソがバクハツしちゃうって!


「キャー、キャー!」


「……? アユ?」


 …………なんて言った?


 りょーにゃんの口から、他の女子の名前をつぶやいたような気が…………。


 うん、きっと気のせいだ。


 りょーにゃんに限って、あたし以外の彼女なんているワケない。


 そ……それより、リベンジをっ。


 りょーにゃんとキスをするチャンス……はじめての。


「すーっ、はーっ」


 深呼吸……。心臓よ……落ちついてっ……。


 潮風が鼻をくすぐった。ここは海辺の公園だ。気持ちいい。


 きっとテニスコートは夢で、こっちが現実なんだよね。


「ごめん、もう、だいじょうぶ」


 だからりょ―にゃん、キスをして…………。


 だぁーいすき。


「アユ。キミを愛してる」


「誰よ、それぇぇぇーっ!」


 やっぱり聞きまちがいじゃない!


「アユ」って言った、「愛してる」ぅぅぅ!?


 しかもあたしの真ん前で。


 浮気を告白するなんてぇぇぇっっ!


 ヤダ……あたしのりょーにゃんが…………。


〈あなた、出ていってくれるかしら。せっかくいいところだったのに。ジャマなのよ!〉


「ひぃぃ! オバケの声がする!」


 頭の中に響いてくる。あたし、取り憑かれちゃったの!?


〈オバケはそっちのほうでしょうが。のっとり魔!〉


「ひぇぇぇぇっっっっ!」

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