迷惑ゲーム(二)
……気分が悪くなってきた。胃が重い。
保健室に行きたいけど、真桜ちゃん許してくれるかなあ。あの子は気分屋だったりするから、「行かないでぇー」とか言っちゃいそう。……困るよね。どうしよう。
昼休みの時間はあるけど、こっそり抜けちゃってもいいか。わたしくらい。真桜ちゃんはおしゃべりに夢中だし。
黙って階段を降りていく。途中で足がもつれてしまい、踊り場へと倒れこんだ。
……ったぁー。最悪だ。
「だいじょうぶ?」
下級生の女の子が、見下ろしながら立っている。ボブショートの髪型で、人形のようにかわいらしい。キッズモデルになれそうなほどに、その子の顔は整ってる。
「ほら、立てる?」
右腕をわたしに伸ばしてきた。ありがとう、――と言いかけたところで、つかもうとしていた手を止めた。
ライオンだ。女の子の右手にある――ぬいぐるみ。パペットかな。中身が空洞になっていて、手を入れてあやつる人形だ。
「ああ、ゴメン」
わたしの視線に気づいたのか、苦笑いしながらパペットを見る。年下なのに、どこかおとなびた雰囲気だ。
「これは『ウツロさま』といって、シーの大事なモノなんだ」
そう言ってパペットを取り外す。わたしはさらに見開いた。女の子の右手はなんと陶器のように白いから。しかも、ぼんやりと光ってる。
「なっ、なに!?」
フツウじゃない。この右手はなんなのだ。
「ははっ、驚かせてしまったね。『のっとり』の事件、最近流行っているんだろう? シーはそのお祓い師で、生霊をさがしているところさ。知らないかい?」
シーと名乗る女の子は、わたしを立たせようとする。その右手で。つかまれた手首が冷たくて、まるで死体のようだった。
背中がゾッと寒くなる。保健室に早く行きたい。
「……そのようすだと知らないか。もし、のっとりを見かけたら、『白い右手』を呼びなさい。シーが生霊をはがすから。そのときに傷はできるけどね。クックック」
ヤバそうな子なので無視をした。女の子は追ってこない。
いそいで保健室に入る。保健の先生に心配され、すぐにベッドで寝かされる。
わたしはきっと血の気の引いた、青い顔をしてたにちがいない。
都市伝説の『のっとり』に、『白い右手』のお祓い師。
あの子の言っていることが、ウソのようにも思えない。
いつ、だれかが生霊となって、他人をのっとりするんだろう。
わたしにもあったりするのかな……。
目を閉じると、…………。
……………………。
「あのっ、せりなちゃん」
トロスギに声をかけられる。前ブレもなく、いきなりだ。
――は? だれに話してんの?
わたしは萩野依ですけど?
「さっきはゴメン。怖くって……」
〈別にいいよ。みんなそれぞれなんだしね。あたしが勝手にやっただけ〉
うわっ、なに? 頭の中で〈声〉がする。
しゃべっているのは――糸井せりな? ノドから音は出ないけど。
……奇妙な沈黙が降りてきた。ここは……教室の窓ぎわだ。わたし、保健室に寝てたよね? これは夢?
せりながまたしゃべりだす。
〈…………あれっ? 声が出ていない? カラダも動かせないんだけど。どうなって……?〉
えっ、せりなが自分の意思で、カラダを動かせていないって?
そして、わたしがここにいて、「せりな」って呼ばれてしまってる……。
試しにまばたきしてみたら、視界がチラチラ暗くなる。
……やっぱりだ。わたしがせりなを『のっとり』した。
せりなのカラダに入ったんだ。……たぶん、わたしの魂が。
つまりわたしがこのカラダを自在にあやつれるんだよね。
それだったら。
「わたしも今度は手を上げるよ。疲れるし」
「えっ?」
トロスギは目をまんまるに、ぼうぜんとその場に固まった。
せりなのキャラからは想像もつかないセリフだったりするかもね。ふふっ、あはっ。
これはいい。わたしがせりなをおさえつければ、ジャマする者はいなくなる。
クラスは平和になるってこと。みんなが真桜ちゃんのやりたいことに、同調をして盛り上がる。
みんな仲間。せりなもね。
おなかは痛くならないし、しばらくカラダを借りちゃうよっ。
――清掃時間。
トイレ掃除なんてツイてない。せりなの当番なんだっけ。
〈あなただれ? あたしをどうするつもりなの?〉
へー、やっぱり見えてない。のっとりをしたわたしのこと。
だったら名乗らなくていいか。どうせわたしは『真桜ちゃんの取り巻きC』だから。
「どうするって、あなたにジャマをさせないだけ。真桜ちゃんのおかげでいいクラスになってるし」
女子トイレの当番はひとりだけなので、人目を気にする必要はない。
ひとりごとのやりとりだ。ヒマなので相手になってやるか。
〈あなた、本気で思ってるの? 四年一組がいいクラス?〉
「だってみんな同じ意見で、争ったことってないじゃない? いいクラスよ」
〈そんなことない!〉
うわー、頭がやかましい。のっとりもいいことばかりじゃない。
……でも、ガマン。真桜ちゃんとクラスの平和のため。
〈花形真桜は問題児よ。この前のあの子の考えたゲームで、二組の女子がケガしたのよ。あなたたちが関係ない子も巻きこんで〉
「その件はちゃんとあやまったよ。その子も許してくれたしね」
〈そういう問題ではなくて――っ。迷惑だって言ってるの。あなたたちがやってること。本当は気づいているんでしょ?〉
「そんなことを言われてもねえ……」
真桜ちゃんこそが正義だし。たまに困ったこともあるけど、ちょっとくらいならガマンできる。
だから「迷惑」なんて言うけど、被害妄想じゃないのかな。ガマンすればいい話。もし不愉快に感じちゃうなら、こっちに入ればいいのにね。楽しいよ。
せりなにそう話したら、
〈もういいよ〉
って打ち切られた。なんなのよ。
しかも話題を変えられる。
〈あたしのカラダ、返してよ〉
「返すワケがないでしょーが」
もとに戻る方法は、あの子に頼めばできるはず。――『白い右手』のお祓い師。八歳くらいの女の子。
はじめて見た顔だけど、ウチの学校の生徒かなあ……。
まー、戻る気はないけどね。せりなにはジャマをしてほしくないし、元気そうなカラダだし。
わたしは胃腸が弱いからさ、真桜ちゃんの家で手作りケーキを出されたときには、吐きそうになって困ったよ。せりなの健康なカラダなら、真桜ちゃんに迷惑かけないで、ケーキをおいしく食べられるね。
「しばらくカラダ、借りるから」
掃除おわりっ。こんなもんかな。
用具を物入れに片づけた。教室へと戻ろうと、廊下を歩いたときだった。
「依ってば、まぁーた保健室行っちゃった?」
四年一組の開かれたドアから、真桜ちゃんの声が聞こえてきた。
――わたしのこと?
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