第34話

 他人なんて信用できない。優しいって結局自分にとって都合がいいってことでしょう。善意でも悪意でも見え方で優しいになるのなら、わざわざ善を捧げなくてもいいじゃない。信用できないものに、私の一部を差し出す必要なんてない。

 大切なものにだけ、私は自分の一部を預けたいと思う。


「お疲れ様」


 目の下に若干の隈を携えた楓が言う。その隈はテスト最終日の今日に残されていた数学のせいなのか、未だに噂の傷跡なのか。口元を押さえてあくびをかみ殺す楓にお疲れさまと返せば、楓は目尻に涙をためながらふにゃりと笑う。先週程から少しずつ元気を取り戻している気がするのは、陽希がうまくやってくれているのだろうか。


 私が絡むとまた変な噂が生まれかねないから、目立つようなことが出来ない。本当は楓にしてあげたいことはたくさんあったけれど、今は距離を置くことが優しさになると信じている。私が孤立することが、噂を立てた人の充足感を満たすだろうから。今はそれでいいのだ。


「楓は今日から部活があるんだっけ」

「うん。 ようやくなんも考えずに体動かせるよ」

「無理しないでね? 寝不足でしょう」

「ちょっとだけね。 でも大丈夫大丈夫」


 じっと見つめたその顔に陰りは見当たらない。嘘はつけない楓のことだ、本当に大丈夫なのだろう。一先ず安堵の息を吐いてぐっと背伸びをする。今日はこちらは部活もないし大人しく帰ってしまおうか。最近眠れていないのは私も同じだから。


「ねえ美月」

「ん?」

「まだ一緒には帰れない?」


 一瞬心臓が止まるかと思った。寂しそうな声色にしゅんとした表情、ときめくなという方が無理な話だ。つい帰ると言ってしまいそうな破壊力に咳ばらいをして耐える。

 でも確かにあれから随分と噂自体は収束している。話題なんて次々移り変わっていくもので、大抵の人にとって私と陽希の噂は過去になっている。噂を流した人々もきっと満足は出来ているだろう。だからそろそろ少しずつ元に戻ってもいいとも思う。


「そうね……確かにそろそろいいのかも」

「本当?」


 ぱっと明るくなる表情。嬉しいがそのまま表情になっているその素直さに胸が高鳴る。他人なんて信用できないけれど、楓だけは信用できる。こんなに表に全部が出る人なんてそうはいないから。

 楓が悲しむことは出来ることならば除去してあげたいし、楓が望むなら出来る限りのことはしてあげたい。距離を置くことが楓の為になるのは間違いないけれど、楓の望むものを叶えたいのも事実で、天秤が両サイドの重さでぱきりと折れてしまいそうだ。


「明日は私も部活があるから、一緒に帰ろっか」


 誰に自分の一部を渡すかは自由だ。誰にでも与えることが出来る人もいればそうじゃない人もいる。前者には憧れるしいつかはそうなりたいとも思うけれど、今は中々難しいから。だからせめて、渡したいと思える人には最大級のものを渡したいと思う。


 上機嫌に手を振る楓に手を振り返す。楓を見送って数秒、背後に誰かの気配がした。


「お疲れ美月ちゃん」

「わっ、びっくりした~。 お疲れ様渡辺君」


 振り返ればそこには鞄を持った渡辺君がいた。テストの出来や感想を少し話しながら私の帰宅準備が整うのを待っている。さりげなく一緒に帰る感じなのだろうか。

 もういっそのこと誰か男の子と噂が立ってしまえば変な噂もたたず安全だろうか。いや、それではまた前のような面倒くさいことが起きないとも限らないか。あぁ、考えるだけで面倒くさいな。


「隣駅にアイス屋さん出来たの知ってる?」

「そうなんだ」

「一緒に行かん?」


 素直にこういう人を好きになれたら良かったのかもしれない。堂々と一緒に帰ってデートをして、噂になったって囃し立てられこそすれ変な視線は向けられない。そうだったらと思わないことはない。理想は何時だって頭の片隅で勝手に上映を始めるものだ。

 それでも、それが出来ない事も良く知っている。私は誰よりも私を知っている。


「また変な噂になっちゃいそうだからやめておこうかな」

「えー? あんなガセ気にしなきゃいいじゃん」

「ありがとう。 でも、気になっちゃうから」

「そっか……。 俺その噂周りから聞いたら否定しとくから」

「本当? ありがとう」


 私は優しくなんかない。むしろ性格は結構終わっている。こうやって、大切なもののためなら狡い方法だって取る。また変な噂が立った時に味方は一人でも多い方がいいなんて考えている。でも、そうじゃなきゃ自分を守れないときだって実際にあるでしょう?


 大切な物を大切に出来れば、私はそれでいい。

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