第30話

大人しくしていればいいのだ。適切な距離を取って、なんでもないかのように振る舞う。変に騒いだりせず、話題に出さず、そうすれば他人の関心は直ぐに移る。今の時代情報は波のように押し寄せて、一つのものに留まる時間は随分と短いのだから。


「それなのに、最悪のタイミング」

「うるさいな」


 静かな図書室の中、曲解してでも仲睦まじい等捉えられない様に。一度も目を合わさないまま小さな声で陽希と話す。委員会の仕事を私用ですっぽかす程私たちは不真面目ではないらしい。これが立派な八つ当たりなのは理解しているけれど、こんな時まで真面目にならなくてもいいではないか。サボりやすさなら陽希のキャラの方が自然だろうし。流石にそこまでは本人に言わないけれど。


 あれから数日、噂は順調に広がっている。ある男子学生の間では学年のマドンナの悲報として、ある学生の間では興味関心として、そしてある女子生徒の間では好奇の話題として。直接聞きに来る人もいるけれど、個人の自由やら何かとセンシティブな話題だからと遠巻きにしている人も多いようだ。


「いつになったら収まるんだよ、これ」

「さぁ? 大人しくしてれば中間考査が終わるくらいには落ち着いてるんじゃない?」


 今現在も図書室はほとんどの生徒が試験勉強をしている状況で、受付まで来る人はほとんどいない。関心が逸れるイベントがあるのは何よりだ。試験に感謝する日が来るとは思わなかったけれど。

 古文単語帳を捲る。昔の人が書いた短歌を解説する文章を目でなぞっていく。叶わない恋に嘆く詩が多いのはあんまり好きじゃない。


「美月はこういうの気にならないの」


 文字をなぞる視線が止まる。陽希がどんな表情をしているかは分からないけれど、随分と真面目な声色をしている。

 気にならない訳じゃない。むしろ昔の事を思い出す瞬間もあって、つくづく他人を嫌いになりそうだと思う。それでも、他の何かに曲げられるのは嫌だ。苛立ちや焦燥を見せて噂を流した人々を愉悦させるのも嫌だ。だから、気にしない事を貫くのだ。他の何かに、私を屈折させはしないために。


「陽希は?」

「……イライラする。 でも、もしこれが楓と……の、ことだったらと思うと、怖い」

「……」


 本当に、陽希は今どんな顔をしているのだろう。正面を向いて誰かがこちらを注視していないかを確認してから、少しだけ視線を陽希に向ける。陽希の横顔には、苛立ちよりも不安が映っているように見えた。知れば知るほど、この子は楓の事になると案外臆病だなと感じる。

 もし、本当の事だったら。それもそうか。だから陽希は思いを告げない選択をしていたわけなのだから。今の現状をもしもと考えるのは仕方のないことかもしれない。思いが通じた先にも、私たちにはたくさんの試練が待っている。


「誰かからの好奇、拒絶、敬遠、どれも気にならない程無頓着な訳じゃないわ」


 それでも、またいつか楓との関係で同じことが起こったとしても。それでも楓を諦める選択にはならない。

 そうでなきゃ私は納得が出来ないのだ。私は本当に母親に似ていると思う。


「それでも、自分に嘘はつけない性格なの。 知ってるでしょう?」

「……はは、そうだった」


 陽希がくすくすと笑っている。視線を落とした先で、溢れそうになる恋心が詠われている。

 あぁ、本当にまずいな。


 考えることすら許さない、許したくなかった。考えることはそこに思考があることを認めることになってしまうから。それでも、私は自分の事が分からない程無邪気でも子供でもない。私は自分に嘘はつけない。

 陽希に、心を躍らせている自分がいる。その理由を、頭が知りたがっている。こんな状況だというのに頭はただ自分の欲求に真っすぐ向かおうとしている。


「なんか最近、美月のそういうとこ一周回って尊敬するわ」


 大人しくしていればいい。姫と持て囃されることもなくなって、静かにしていれば噂を流した人々は満足するだろう。そうすれば噂は情報の波に押し流されて、瞬く間に収束してしまうに違いない。たったの数週間、長くても一カ月はかからないだろう。

 だから、それまでは。まだ、知らないままにしておこう。

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