どうありたいですか?

第29話

 何か視線を感じるとは思った。教室に入った時に感じた視線に振り返ると、その視線は靄のように霧散して出どころが分からなくなって、ゆっくりと不快感に近いものが湧き上がってきた頃、教室に楓が来た。

 昨日少しだけ連絡をしたせいで、その顔を見ただけで体が緊張する。けれど楓は随分と難しい顔で私の前に立つと、ちょっと来てほしいとこれまた少し低い声で言った。なんか、不機嫌なように見えるのは気のせいか。


 歩き出した楓の後ろをついていく。教室を出る間際、またべったりと不快な視線を背中に感じた。


 ついていった先にあったのは昔は図書準備室として使われていた空き教室。鍵がかかっていないことを初めて知りながら中に入れば埃っぽい匂いに顔を顰める。そしてそこには美月が立っていて、まるで気分は今から焼きそばパンでも買わされる下級生だ。


「朝からこんなところに呼び出して、虐められるわけ?」

「そんな冗談やっている場合じゃないの」

「ふーん。 で、じゃあ朝からなんなのこれ」

「どうやら私と陽希が本当に付き合ってるって噂が回っているみたいなの」


 こともなげに美月が言うから一度スルーしそうになった。なんだって?

 私と美月が付き合ってる噂って、姫と王子の噂じゃなくて?


「あ」


 教室で向けられた視線と今の話がつながる。そういうことか。あのべったりした視線は好奇の視線だったんだ。分かると途端に苛立ちが湧き上がっていく。人を話題の種にしやがって、そもそもなんでそんな噂が出回ってるんだ。


「昨日公園で会ったでしょ。 それを誰かに見られていたのかもしれないわ。 私と陽希がキスしたっておまけ付きで盛り上がってるみたい」

「はー? なんじゃその気持ち悪い噂は。公園で会っただけでなんでそこまで言われなきゃいけねーんだよ」

「そう、公園で会っただけなのにね」


 しかもそんな話題をわざわざ噂にして広めるだなんて、明確な悪意を感じるのは気のせいじゃないはずだ。姫と王子ってだけでも大概うざったかったのに、これからはあの視線が向けられるのかと思うとイライラする。しかも今までは冗談のように触れてきた人々が少し遠巻きに見ているのもむかつく。

 教室の真正面ででたらめだと叫べばいいんだろうか。そもそも、誰がどうしてこんな噂を流しているんだ。


「それで、私は昨日陽希には会ってないって否定しておいたから」

「え? あー、まあ別になんだっていいんじゃね?」

「だから陽希ももし噂のこと聞かれたら昨日は私と会ってないって答えておいてね」

「聞かれたらいい加減ばっさり美月はありえないって答えておくよ」


 そう言えば目の前の美月はクスクスと可笑しそうに笑いだす。いつもなら憎まれ口の一つでも返ってきていたのになんだか調子が狂う。それにしてもこんな噂が回ってるっていうのに美月は随分と悠長なもんだ。楓の方がさっきから難しい顔をしている気がする。

 まあそりゃそうか。大切な人を傷つける様な噂を、楓が軽く流せるはずなんてないだろうから。


「楓もさっきみたいに色々言われるかもしれないけど、ごめんね?」

「え? あー……いや、私は全然だよ」


 無理やり作った笑みが心を刺す。落ち着いていた苛立ちが思い出したかのように沸々と煮え始める。どういう意図で、こんなバカみたいな噂を流したんだろうか。私や美月はともかく、楓が嫌な目に合うのは許せない。


「私ももっと積極的に否定してくから。 ごめんね、楓」

「はる……あはは、うん。 ありがとう」


 もう決めたんだ。美月がとか周りとか関係なく、私は私のやり方でちゃんと向き合うって。自分が本当にやりたいと思うことをやるんだ。辛いから逃げるとか、変わりたくないから背けるとか、出来る限りしなくて済むように。


「そういうことだから、しばらく私はお昼休み違う場所で食べるから」

「え、そうなの?」

「おーいいじゃんいいじゃん」

「腹立つわね……この噂の元凶もなんとなく予想がつくから少し対策を考えたいのよ」


 美月はこの噂の出どころにも心当たりがあるのか。なんていうか八方美人も大変なんだな。対策は一人で大丈夫なんだろうか、いや、これは心配とかじゃないんけれど。


「美月は一人で大丈夫?」

「大丈夫よこれ位」


 楓のその言葉にも美月は相変わらずなんでもないみたいだった。前のことだってあるし、やばいと思えば次はちゃんと相談してくれるだろう。楓が心配してくれてるなら、私は放っておこう。私は私の事に集中だ、うん。


「……なに? 陽希」

「え? いや、何も」


 気にしない、気にしない。

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