第28話
意味が分からなかった。ただ真っすぐな視線が、楓に重なって見えた。
「……わけわかんない、だろ」
楓の隣を奪うつもりだったじゃないか。だったらもう、私のことなんて放ってさっさと奪えばいい。なんで今更、そんなまっすぐな目で私を見るんだ。なんで今更私が傷つくのが嫌とか、そんな訳わかんないこと言うんだ。
「私だって分かりたくない。 でも、自分のことが分からない程、私は私を知らない訳じゃない」
「何が言いたいんだよ」
「私は存外、陽希のことを好意的に思ってるってこと」
反射的に吐き出しそうになった拒絶の言葉が喉奥で引っかかって変な声だけが漏れた。出会った頃のような清楚面で言ってきた社交辞令とは違うからこそ、体が変にむず痒くなる。いつも通りの軽口が出てこなくて視線を逸らす。見慣れた公園が、やけに違ったように見えるのは何故なんだ。
「でも大袈裟じゃない? 今まで散々楓の誕生日祝ってきてたくせに、私が祝ったら半べそかくなんて。 去年なんて私は当日を過ぎてから楓の誕生日知ったのよ?」
「別に、それだけが原因なわけじゃ。 ていうか泣いてないわ」
「本当に?」
横から美月の顔が視界に入り込む。思わずのけ反れば暗い中必死に人の目を凝視する美月の顔が見える。
なんか、少し馬鹿らしくなってきた。
意地なんて張って余計に辛くなる位なら、そっと元の距離に戻ってしまおうか。私の気持ちを楓が忘れてるんじゃないかなんて、疑ったところで仕方のないことだ。そもそも気持ちを前に出さない様にしていたのは私自身だし、私が離れてから楓が私を気にしているのだって気づいていない訳じゃない。
こんな状況になったのは、紛れもなく私自身の選択の結果なんだから。私が変われば、状況はまだ間に合うのかもしれない。
「美月はいいのかよ。 今私のことなんか励ましてて」
「だから、散々走りながら考えたわよ。 それでも、いいと思ったの」
肩を竦めながら美月は言う。本当に、肝が据わってるやつ。恋敵を励ますなんて私なら絶対にしないし、出来ない。でも、今だけは、美月のその図太さに感謝してもいいのかもしれない。
帰ったら楓に連絡してみよう。それで避けてごめんって謝って改めて誕生日を祝わせてほしい。私はもう自分から離れるなんてしないから。これからは少しずつ、ちゃんと本当の意味で向き合ってみるから。事故的に始まったこの関係もちゃんと見つめていくから。
***
その言葉を聞いて、心臓が凍ったかのように一気に体が冷えるようだった。おはようという挨拶は言葉にならず、教室の入り口で足が凍ったように固まる。
「キスしてたんだって」
「えー、ネタじゃないのあれ」
「姫と王子、禁断の愛?」
聞き馴染みのある声は、今年から同じクラスになった吉田さんと菊池さん。いつも二人一緒にいる、美月の席の近くの女子たち。いや、その声の主が誰かなんて、今は問題じゃない。問題なのは、その会話の中身だ。
「なに突っ立ってんの」
「わっ」
振り返ればそこには渡辺君が立っていて、思わず拙い笑顔で挨拶をする。渡辺君の後に続いて教室に入れば、二人の声はやけに不自然に止まっていた。心臓がドキドキと変に早くなっている。なに、これ。
「おはよー楓」
「お、おはよ」
クラスメイトの視線が怖い。なんだったんだろうさっきの会話は。いやそもそもなんであんな会話が教室でされているんだろう。
その会話の中身って、どれくらいの人が知ってるの。
「ねえ楓」
浮足立った声。さりげない世間話をするよりは少しだけ逸るようなそんな声色。目の前の唇が言葉をかたどる。
「八波さんとはるって本当に付き合ってるの?」
さっきも聞いた言葉が私に向けられる。喉元に刃の切っ先を突き付けられたみたいな感覚。席についた渡辺君が興味津々に会話に入ってくる。美月ちゃんに恋人がいるのは困るって言いながら渡辺君が笑っている。あれ、これって冗談か何かなのかな。心臓がバクバク言ってて、気持ち悪い。
「おはよう、なんの話してるの?」
「っ、み、づき」
いつの間にか地面を見ていた視界を上げればそこには美月がいた。いつものように柔らかく美月が笑う。止まっていた呼吸がゆっくりと再開される。
「こいつがさー、美月ちゃんとはるちゃんが付き合ってるのかって言うんだけどさ」
「えー、だってなんか昨日公園でチューしてたって噂聞いたんだもん!」
「私と陽希が? でも、昨日は私楓の家に遊びに行ってたよ?」
ね?と美月が笑う。そう、そうだ。昨日は美月は私の家に来てた。私は昨日美月が家に来て誕生日を祝ってくれたのだと説明する。誕生日プレゼントに作ってくれたケーキの写真を見せれば、二人はその完成度に興味を移す。
「すげー、美月ちゃんお菓子まで作れんの? いいなー、俺も食べたい」
「また今度作る機会があれば」
「なんだー、姫と王子の噂が誇張された感じかー」
興味を無くした声は、次には違う話題へと移っていく。まだ肋骨の奥で心臓が煩くて私は何度か胸を撫でる。静かに息を吸い込んで、ゆっくりと上がった体温を落ち着けていく。
「あ、そうだ楓」
「え?」
「ちょっと来て」
にこりと口角を上げて美月は言う。素直に頷いて美月の後に続く。その間にも、なんだかべったりとした視線を感じるけれど、それを確認する度胸は無かった。この前の噂よりも、ずっと怖いと感じるのはどうしてだろう。
教室を出て廊下を出てしばらくして、美月が振り返る。
「図書室の隣の空き教室、そこに陽希を連れてきてくれる?」
「え?」
「この噂に対しての対応を陽希と合わせておく必要があるでしょう? でも今私が直接陽希を呼びに行くのは悪手だから」
「で、でも根も葉もない噂ならそんなに気にしなくても」
「……」
なんで今、沈黙になるのかな。私の言葉を否定されてるみたいに感じるのは勘違いなのかな。私は美月程察しがいい訳じゃないけど、全然分かんないってわけじゃ無い。だったら、嫌な予感がしてしまうのは。
「キスなんてしてないわ。 そこも含めてちゃんと説明するから、楓も陽希と一緒に来て」
そう言い残して、美月は振り返って歩き出す。私はただ迷子の子供みたいにどうすればいいか分からず立ち尽くす。やらなきゃいけないと思っていても、頭が追い付いていないみたいだった。
一体、何がどうなっているんだ。
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