第26話


 時間が惜しい。一日では到底足りない。触れればさらに触れたくなるし、見つめ合うだけで愛おしさは募るし、窓の外がオレンジ色に染まるだけで寂しくてたまらない。


「楓」

「ん?」


 楓にもうだめと言われるまで散々甘え尽くしたというのに。彼女の手に指を絡めれば、彼女の手が私の手を握り返す、ただそれだけでもう少しだけ甘えてしまいたいという欲が湧き上がる。流石にそろそろお開きにしたほうがいい時間だということもわかっているというのに、体は離れる事を拒絶している。


 ねだるように楓を見つめていると、どこか近くでスマホのバイブ音。それは楓のスマホからで、楓が確認すると「わっ」とどこかのキャラクターのような声をあげた。


「どうかしたの?」

「えっと、今近くのスーパーだけど何か欲しいのないかって、お母さんから……」

「ここからスーパーは近いの?」

「車なら五分くらいかな」

「近いわね」


 楓のご両親には会ったことはあるけれど、どんな顔だったかは覚えていない。なんだかとても育ちの良さを感じる言葉遣いだった記憶がぼんやりとあるくらいだ。


「後お友達来てるなら晩ご飯どうかな?だって」

「粗相して悪い印象を持たれたくないからやめておく」

「美月が?」


 冗談で言ったつもりはないのだけれど、楓はそう捉えたらしい。ずいぶんと過大な評価を頂いているらしい。家でどれだけズボラなのかなんて一生知られたくは無いけれど、あまり期待値が高すぎるのも考え物かもしれない。そう見せたくて、見せているのだけれど。


「じゃあ今日は断っとくね」

「うん、ありがとう」


 さて、ご両親が帰ってくるならば余計にそろそろお暇しなければならないだろう。返信している楓の横顔を眺める。あと一日時間があれば、いやもっとあれば。送信を終えた楓がこちらを向いた瞬間にキスをする。


「今度はどこか出かけない?」

「私は今キスされたことの方にびっくりしてるんだけど」

「二人でデートってしてなかったと思うの」

「……まあ、確かに」

「決まりね」


 寂しさを次の約束でなんとか耐え忍ぶ。本当は来週と言いたいところだけれど、部活もあるしそれはゆっくりと詰めていこう。名残惜しさに髪を引かれながら立ち上がる。


「楓」


 私に倣って立ち上がった楓を抱きしめる。私よりすこし高い身長、トットと早い心臓の音。ポンポンと背中をあやす様に叩かれる。子ども扱いされている気もするけれど心地いいからいいか。

 次の瞬間窓の外から車の音。それはピーピーと音を立てながらどうやら駐車しているようで、楓の両親が帰ってきたのだと分かって慌てて離れる。鞄を取って、前髪を整えて楓の部屋を出る。階段を下り終えたのと同時に玄関のドアが開いて、心臓が跳ねる。さっきのことは見られていない筈なのにこの気まずさはなんなのだろう。


「あら、いらっしゃい」


 楓のお母さん。柔らかい印象が楓に少し似ているかもしれない。


「もう帰るのかい?」


 楓のお父さんは、楓と目元がそっくりだ。楓はどちらかというとお父さん似な気がする。二人に向けて頭を下げる。恋人のご両親に下手なところは見せられない。


「はい。 今日はお邪魔しました」

「楓、駅まで送ってやりなさい」

「あ、まだ明るいので大丈夫です!」


 散々通学で使っている駅だし流石に道には迷わないだろう。楓ともう少しいられるのは有難い提案だけれどこの場では流石に遠慮が勝るというものだ。二度の問答の末なんとか納得してもらえたらしい。楓とご両親に見送られながら玄関を出るというあまり何度も経験したいとは言えない状況に会釈をして玄関を出ると、暑さの気配を見せる空気が出迎えた。夕暮れに染まる空を見上げて、今日一日の出来事を反芻する。


 そういえば、ネックレス。楓はまだつけたままだったけれど、ご両親に何か言われたりしていないだろうか。言われたときの楓のリアクションを想像して少し頬を緩める。楓は嘘が下手だから、きっと動揺した挙句に私からのプレゼントだと白状するのだろう。友達からネックレスなんてあまりイメージは沸かないけれど、私が楓の恋人だと疑う方が可能性は低いだろうし、問題は無いだろうけれど。


 そんなことを考えながら歩き出す。この住宅街を抜ければ駅は直ぐで————


「っ」

「……いや、最悪」


 まず最初に出てくる言葉がそれなのはどうなのか。数メートル先で肩を落とす陽希は、どうやら丁度帰ってきたところらしい。私がここに居る理由なんて陽希には明白で、だからこそその言葉が出たのだろうけれど失礼なやつだ。


「……最悪」

「え、ちょっと」


 そのまましゃがみこんでしまった陽希に駆け寄る。短く切りそろえられた髪をがりがりと搔きながら蹲った彼女の目の前に立てば、いつも大きな彼女がとても小さく見えた。


「陽希」

「なんでいんだよ」

「なんでって……」

「いやいい、言うのやめて。 聞きたくない」


 尻すぼみになっていく言葉に、口を閉じる。ここでわざわざ言うほど私も鬼ではない。同時に、こんな風になっている陽希を放って帰るほどの鬼でもないのだ。一つため息を吐きながら彼女の前にしゃがむ。顔を隠す様に腕の中に顔を伏せてしまって表情は分からない。


「ねえ、陽希」


 彼女に伸ばした手が振り払われて、彼女が勢いよく立ち上がる。逃げるように振り返って遠ざかっていく後姿を呆然と眺める。舌打ちと、その直後に聞こえた鼻をすする音。顔は相変わらず見せてはくれなかったけれど、私の勘が正しいのならば。


「あぁもう!」


 一々面倒くさい人。自分だって散々部活で会っていたのではないのか。私の知らないところで誕生日を祝ったんじゃないの?どうして面倒を見なければいけないのだ。そんな文句を頭で羅列しながら遠くなる後姿を追いかける。


 そう、これはこの前の貸しの分だ。リュックを投げてくれた分のお返し。

 それだけ。

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