第25話
「……ねぇ、この前の続き、してもいい?」
少しだけ体を離して楓に尋ねる。私の家にきた時にした会話は、楓だってまだ覚えているはず。その証左のように私の言葉に少しの間慌てていた楓は、視線を下げながら小さく頷く。
目の前の頬に手を伸ばす。化粧を崩してしまわないように気をつけながらそっと触れて、その頬の熱さを感じる。この前はびっくりされて逃げられたんだっけ。唇に触れて、角度を変えてもう一度。心臓が爆発しそうだ。息を潜めてゆっくりと唇を開く。どうか次は逃げられませんように。
「っぅ」
まだ固く閉じたままの唇はそれでも前のようには逃げない。数度舌先で触れて、下唇に柔く歯を立てる。これはこれで楽しいけれど、どうすれば楓の緊張を解けるんだろうか。息が上がりそうで少し離れる。これじゃ飼い主を舐める犬の気分だ。
「かえでー……?」
「うー、死にそう」
「……」
ここで今日はまだ早いのかもしれないからまた今度にしよう、なんて余裕のあることを言えればいいのだけれど、それを言えばもう今日はこれ以上は出来ないと思うと中々言葉まで出来ない。こういう時に相手を優先出来たらいいのに。
もう一度だけやってもいいだろうか。それでもまだ準備が足りてないなら、その時はちゃんと引き下がるから。
どうか、許してね。
唇を触れ合わせて、もう一度舌先で触れる。頬を撫でて、その先にある耳たぶを指でなぞれば楓の体がぴくりと跳ねた。先程まで閉ざされていた唇がわずかに開く。そのリアクションで悪い思考が首をもたげる。
本当に、どれだけ繕っても根っこの部分は変えられないものだ。悪魔が囁く。この方法でいけば楓の唇が開くのではないか、と。
「……ごめんなさい、調子に乗りすぎたかも」
「や、全然そんなことは」
「……フフフ」
触れるだけのキスを数度して離れる。真っ赤な顔、斜め下を見ている目、どれも欲情を煽るには十分だ。耐え難い、抑え難い衝動に身を任せて悪魔になってしまえばいい。楓はそれでもきっと許してくれるだろうから。
そんな思考が体を支配しようとする。それでもまだ耐えているのは、なけなしの理性か、何かの倫理観か。
「……だめだ、私」
「え?」
勝手に言葉が出てしまったかと思ったけれど、それは楓から出た言葉だった。パチパチと頬を何度か叩く楓に呆気に取られていると、今まで逸らされていた視線がこちらに向けられる。
「わ、私からしてみてもいい?」
「えっ」
「出来るか、分からないけど」
予想外の言葉にしばし頭が追いつかなくて、それでもゆっくりと言葉を噛み砕いてようやく理解すると途端に身体中の熱が顔に集まった。楓から、私に?
「えっと……じゃあ、お願いします?」
特段断る理由もなく言ってしまったけれど、楓の手が頬を撫でる頃には背中に汗をかきそうなほどに体が熱くなって、心臓が胸を突き破って出てきそうだった。ゆっくりと近づく光景も見たことがない訳ではないのに。触れた感触が何度か角度を変える。いつくるか分からないそれに、唇の感覚に意識が集中してしまう。
楓の唇が離れて数秒、間が開く。目を開けようかと思った瞬間にすぅ、と息を吸い込む音が聞こえた。
「ん、」
唇とは全く違う感触が滑る。生温かくて、濡れてて、本当になんというかいやらしい感触がする。頭がぐつぐつに煮込まれてるみたいで思考が溶けそう。
首に腕を回して密着する。もっとして欲しい。もっとしたい。そんな思考で埋め尽くされて体が勝手に動いてしまう。ドロドロに溶けた思考はただそれだけを何度も何度も訴え続けている。舌と舌が触れるだけでこんなに違うんだ。こんなに気持ちいいんだ。
もう全部、楓の全部欲しい。
「み、みづ、き」
「……なに?」
「待って、息が」
肩に楓のおでこがなって、耳のすぐそばで楓の呼吸音が聞こえる。気づけば随分と自分の息も上がっていた。楓の体に回していた腕を緩めて、首元にあったネックレスを指でなぞる。
「ん、ちょっと」
「え? ごめん」
「うなじ、今触らないで」
煽られているのかしら。このまま押し倒してしまおうか。むしろ大人しく待てをしている私は奇跡に近いのではないか。熱で浮かされて思考が心許ない気がする。だめだ一旦落ち着こう。深呼吸をして、熱で犯された頭を冷やさなくては。
「うぅ、うなじ触りたい」
「ちょっと」
「触らないよ」
「美月はお姫様ってより狼だよね」
「仕方ないじゃない……好きな人には触れたくなるの」
「……そう、だね」
肩にぐりぐりと頭を擦り付けられる。突然の犬のような行動にクスクスと声が漏れる。どうしんたんだろうか突然。
「そうだよね……」
「楓?」
「んーん、なんでもない」
楓の腕の力が強くなる。隙間なく密着すれば、隣あった心臓がトクトクと脈打っているのが分かる。他人の心臓の音が聞こえる。その音をもっと聞きたくて目を瞑れば、さっきよりも少しだけ熱が落ち着いてきた気がする。ただ密着しているだけでも気持ちいいものだ。
心地いい熱がずっと体を揺蕩っているよう感覚に、こんな時間がもう少し続けばいいと思った。
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