第22話
「姫だって」
嘲笑しているかのような声色が、そう言った。顔は動かさずに視線をそちらに向けてみたけれど、その声の主人は見当たらない。
あれから更に一週間、知らない人々からの興味は随分と薄れているけれど、友人やクラスメイト、この事件に関心があった者たちの間ではまだ噂は続いているような状況だ。この話題をきっかけに話しかけてくる人も未だに多い。そしてその結果、新たな視線を浴びることになっている。
何かにつけ姫だと言われたり色んな人から心配されたりされていればまぁあれくらいはあるだろう。噂が引くのと同時にそういったものも引けばいいけれど、こちらが出来ることはないに等しい。
そんなことよりもだ。
「おはよ」
「おはよー楓」
いつも通り、明るい声がクラスメイトに挨拶をする。何人かと挨拶をしながら楓が席につくのを確認して、ゆっくりと立ち上がる。
「楓、おはよう」
「美月おはよう」
朝とは思えない溌剌とした声だ。その声に少し頬を緩めながら隣の渡辺君の席を借りて座る。
今週後半から世間はゴールデンウィーク。そして何より、楓の誕生日は五月五日だ。そんな日を何もせず見送るほど私は奥ゆかしくはない。
「ねぇ楓、ゴールデンウィークのご予定は?」
「あ、そうだった」
「ん?」
少し違和感のある返答。彼女は何かを思い出したかのような顔をして体をこちらへと向けた。背筋をピンと伸ばして、真っ直ぐに私を見つめる。まるで何か大事なことをこれから話すかのような顔に、少し姿勢を正す。
「あ、えっと、ゴールデンウィークは基本部活なんだけど……」
やはりか。少し予想はしていたけれど、残念に思うのも確かだ。というかこうして畏っていたのは丁重にお断りするためだろうか。なのだとしたら余計に凹むのだけれど。
「でも、日曜日は部活がお休みでして……」
「え?」
「……この前言ってたでしょ、今度また私の家来たいなぁって」
「言った。 因みに出来れば二人がいいとも言った」
「一応、両親は出かけるらしいです」
どこか美術館巡りをするのだそうだ。視線が逸れた少し赤い顔を見つめながら続きを聞いていくうちにも、頬が溶けそうになる。両頬を手で押さえて変な顔にならないように意識する。それでも溢れる嬉しさが体の外に溢れてしまいそうだ。
ただ、それとは別に私にはやらねばならないことがある。煩悩にどれだけ勝てるかは正直全く自信がないけれど、日曜日は誕生日を少し過ぎているとはいえ、恋人になって最初の誕生日だ、気合い入れて祝わなければ。
「日曜日、家に来ない?」
「もちろん」
「んへへ」
目の前で目尻を下げて笑う彼女に心臓が苦しくなる。感情全部が表情に出ていて本当に可愛いのよね。日曜日の私は大丈夫だろうか。
境界線だけは、見間違わないように気をつかなければ。
「ねぇ、もちろん当日にも食べるだろうけれど……ケーキは好き?」
「え? あ、え? いやいいよそんなに気を遣わなくて」
どうやら今初めて自分の誕生日が近いことを意識したらしい。本当に純粋なお誘いだったのか。とはいえこれは気を遣っているわけではない。むしろ、当日土曜日はバスケ部内で祝われるのだろうと思うと悔しい部分もあるから、なんとしてでもお祝いをさせて欲しい。
「したいの、私が」
他人のためじゃない。私は結局私がしたいことじゃないと出来ないのだ。他人の気持ちなんて分からないし、分かり合えないのだから自分のやりたいと思うことをやるしかない。なんて、楓にはきっと理解できないだろうけれど、理解できないままでいて欲しい。
「……ありがとう」
「じゃあ約束ね」
身を乗り出して彼女に小指を立てる。彼女が照れたようにはにかんで、ゆっくりと私の小指に彼女の小指が絡む。
「なにあれ」
「女と浮気じゃない? やば」
後ろから聞こえるその声に振り返る。先ほどと同じ声は、教室の窓側、あの席か。視線を逸らしてなんでもないように会話しているけれど、流石に二度目は見逃さない。
次から次に面倒くさい。
「どうかした?」
楓の声に体を戻す。微かに聞こえた声は楓までには伝わっていないらしい。なんでもないのだと答えれば彼女は疑わずに笑みを浮かべる。教室ではしばらく大人しくしていよう。その方が面倒が少ないだろうから。
詳細はまた連絡でもすればいい。席を立ち上がって楓に手を振る。
席に戻る途中もう一度彼女たちに視線をやる。なんでもない風に会話をしていたうちの一人が、不意にこちらを見て目があった。あからさまに気まずそうな顔が逃げるように逸らされる。
苛立ちが募る。私のことを好きに言うのは気にしないけれど、楓を巻き込むのは見逃せない。陰口を言うくらいが精一杯の嫌がらせなのだろうけれど、何か言ってやりたい。でもそれは、私の在りたい形ではない。
正しくあるのは、とても難しい。
その席を通り過ぎて自分の先に腰を下ろす。考えても仕方ないことを考えるのはやめよう。それよりも、考えるべきことがあるではないか。日曜日までもう一週間を切っているのだ、楓が喜ぶこと、私が出来ることを考えなくては。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます