第17話

「は?」


 急いで着替えて来てみればあのチャラ男の姿はもうなかった。だから上手くいったのかと思えば、訳のわからない展開になっていた。


「だから、明日は楓と二人で帰って」

「……呆れた」


 せっかく急いで着替えたのに。楓だって着替えを後にして駆けつけてくれたっていうのに、なんで全部無駄にするかな。そんなにいい顔する方が大事なのかよ。


 トラウマだとか慎重にだとか言われたって、やってることは八方美人でどっちつかずじゃん。そんな奴のためになんで思考を割かなきゃいけないんだよ。そんなの、時間と自分の無駄遣いだろ。


「後からやっぱり助けてって言ったって私は知らないからな」

「別に……ただ帰るだけでしょ」

「帰って終わりと本気で思ってんのか?」

「っ、分かってる……結局どこかではっきり断らなきゃいけないことくらい」


 苛立ちのこもった声。その声に美月自身が目を丸めて、苦虫を噛み潰したような顔に変わる。逸れた視線に、私はため息を返した。

 明日一緒に帰れば終わりじゃない。付き纏われるのが落ち着くどころか、悪化する可能性だって大いにあって、結局はどこかで断らなきゃいけない。それを分かってるのに、言い出せない苛立ちを、美月は私にぶつけてしまった。

 そこまで分かって苦い顔をしているやつに、これ以上責める言葉は流石に出てこない。


「ごめん! お待たせ!」

「いや、むしろ早すぎだろ」

「あはは」


 自慢の俊足で楓がこちらに駆けつけてきた。急いで着替えたのか髪は跳ねてるし制服も左に寄れている。

 なんで、こんな奴のために楓が息を切らしてるんだろう。


「おかえり。 ありがとう……さっき着替え後回しで来てくれたんでしょ?」

「あぁ、はるが先行っててって言ってくれたから」

「え?」

「げ」


 余計なことを。丸くなった目が真っ直ぐに私をみてくる。美月ってこんなに表情が分かりやすかったっけ。こんなにいろんな表情を私に見せてたっけ。

 いや、今はそうじゃなくて。あれは別に咄嗟に出て来た言葉だし、私が言わなくたって楓が勝手に走っていってただろうし。頭に浮かぶそんな言葉を美月に説明したって、きっと言葉通りには受け取らないんだ美月は。きっと悪い笑みでこっちを馬鹿にしてくるに違いない。


「そう、なんだ」

「うん。 でも美月明日大丈夫?」


 また逸れていった視線。そのまま美月はこっちに何かを言ってくることはなくて、楓と明日のことについて話している。心配してくれたんだとかニヤニヤしながら突っ込んでくるかと思ったのに。


「明日やっぱり嫌だったら全然私たち使っていいからね」


 そんなことを考えていた私を放って二人の会話は進んでいく。そしてなんだか変なところに巻き込まれている気がするんだけど?


「おい、私を入れるな」

「だってあの人私一人だと全然堂々としててさ、こっちは女だし数で威圧してった方がいいよ」

「フフフ、楓は優しいのね」

「優しいとかじゃなくて……心配だよ、だって」


 落ちる声のトーン。楓は心の底から心配してるんだろうな。私や美月とは違う、心の綺麗な人。本当の太陽。そんな部分が眩しくて、救われてきたことがたくさんある。


 小さな頃から、私に対して何も変わらない態度。私がどんな人間を演じるようになっても、楓だけは私をそのままの私として見てくれていた。それが、どれだけ安心できたことか。


「……」


 その横顔から視線を移す。少しだけ染めてある茶髪を揺らしながら歩く美月を見やれば、彼女もまた私を見ていた。まさか目が合うとは思わなくて心臓がドクンと一つ強く脈打つ。なんで今私を見てるんだよお前は。


「明日、ちゃんと一回断ってみる」

「え?」


 私を見ていた視線が、そう言ってからまた楓に戻る。今の言葉は、私に言った?


「杉山先輩に、一緒に帰ったりはもうしないってちゃんと言うから」


 優しい声色が、その言葉を楓に投げかける。優しくて、安心させようとするみたいな声。誰にだって同じ顔を見せる美月が、唯一特別な顔を見せている。ただ一人のために作る表情は、きっと私は見てはいけない。


「だから、明日は私一人で頑張らせて、ね?」

「……うん。 でも、無理しないでいいから。もっと強引にきたらすぐに逃げて、頼っていいから」


 楓は優しい。誰にだって当たり前に手を差し伸べるし、そこに理由なんてない。ないはずだった。

 楓から美月にかける言葉が、今までに聞いたことがないくらいに優しく感じるのが気のせいだったら良かったのに。見ていたはずなのに、私はきっとどこかで油断してたんだ。楓は誰にだって平等だって。


 誰にでも平等であることが、誰も特別にしない事とイコールじゃないって、気付くのが遅かった。いや、そのイコールを壊したのが、美月なんだ。美月が特別を隠さず伝え続けたからこそ、今こんなことになっている。


「ありがとう。 もしどうしようもできなかったら、その時は宜しくね?」


 楓越しに向けられた声に、もう一度視線を戻す。その言葉は都合よく私も範囲に入っているらしい。本当に、上手く演じ分けている。

 心配なんて、しなきゃ良かった。


 私が協力しなくても楓はきっと親身に手助けをするんだろう。そうやって首を突っ込めばもしかしたら楓だって危ない間に合うかもしれなくて、そんな状況を私はきっと放っておけない。そこまで含めて、こいつは私を巻き込もうとしている。宜しくね?なんて言っといて、実際には選択権なんてこっちには無いんだ。

 本当に最悪なやつ。


「もちろん! ね、はる」

「……」


 悪意のない純真な笑み。こんなのもう勝負は決まっているみたいなもんだ。だから私は、最後の悪あがきとして今年一番ってくらいの大きなため息を吐き出してやった。


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