第7話

「ただいま」

「おかえりー、ご飯もうすぐできるから着替えてきちゃって」

「はーい」


 階段を上がって自室のドアを開けてそのままベッドにダイブする。ふわりと軽い羽毛の感触に顔を埋めながら息を吐く。

 はる、どうしてるのかな。


 突然部活を休むなんて滅多にないことだ。体調が悪いのか、それとも昨日の事と繋がりがあるのか、私の連絡にはるからの返信は無くて真相は分からない。自分自身整理できていなかったから話す機会が持ち越されるのは有難いけれど、単純に心配だった。


「楓ー? ご飯出来たよー?」

「……はーい」


 もう一度連絡してみようかな。でも本当に体調が悪かったりしたら迷惑かな。

 そんなことを考えながら部屋着に着替えて階段を下りると、デミグラスの良い香りが食欲を刺激する。テーブルには美味しそうなハンバーグ。家族三人で手を合わせて、和やかな時間が流れていく。


「楓、新しいクラスはどうなんだ?」

「え? あー、うん。 美月とも一緒だし悪くないよ」

「はるちゃんは同じクラスなのか?」

「はるとは違うクラスだよ」

「そうか……せっかく同じ高校にしたのに残念だね」

「ん……でも部活も一緒だし」


 色々な意味で先は不透明だけど、さすがに両親にこんなこと相談できる訳もないし。私は湯気の上がるハンバーグを箸で割り切る。二人の楽しげな会話をBGMにして黙々とご飯を食べ進める間も、ポケットに入れたスマホは未だに沈黙を貫いている。


「ごちそうさま」

「おかわりはいいの?」

「うん。 お腹いっぱい」


 椅子を引いて立ち上がる。食器をシンクに置いて水を張ってからリビングを出てスマホを確認しても、相変わらずはるからの連絡はない。


 はるは美月とは対照的かもしれない。美月は自ら進むタイプだけどはるはなんだかんだ周りに合わせるタイプだし、美月のことがなければきっと私たちはずっと友達だったんだろうな。このまま何も行動しなければ、ふんわりと何も無かったことになったりするのかな。


「……」


 はるはどうしたいんだろう。はるはどうしてほしいんだろう。美月とは付き合ってほしくないとは言ってたけど、じゃあ私とはるは?

 これからも友達? それとも違う関係になりたいって思ってる?


——私はもう我慢できない


 まっすぐな言葉。熱い位の視線。無邪気な笑み。熱が伝播して心の奥が燻る。

 私はどうしたらいいんだろう。私は、どうしたいんだろう。

 

 もう一度リビングに続く扉を開ける。夕飯を食べ終えた二人が仲良くキッチンに立って洗い物をしている。


「ママ、ちょっとはるのところ行ってくる」

「今から? あんまり迷惑にならないようにするのよ?」

「うん。 行ってきます」


 やっぱり、話さなきゃ。美月がやってくれたみたいにちゃんとお互いの意見を言い合って、そうしたら見えてくるものはきっと変わるから。連絡がないなら、直接聞きに行けばいい。おばさんにはるの様子を聞いて、もし体調が悪かったら大人しく諦めたらいいじゃん。

 じっとしてたら、きっとダメだ。


 暖かな春の陽気から一変、夜は途端に冷える。数十メートルの道を小走りで駆け抜けて、一番端の家の前に立つ。


 見慣れた家、見慣れた玄関の鉢植えと自転車。扉の隣に備え付けられたインターホンを押し込む。扉の向こうで、機械音が訪問を知らせている。


『あれ、楓ちゃん?』

「こんばんは。 突然すみません……はるいますか?」

『陽希ったら部活にも行かず帰ってきたんだけど楓ちゃんもしかして何か知ってる?』

「えっと……」

『って、こんなところで話しててもしょうがないね。 上がって上がって。 陽希なら部屋にいるから』


 ブツリと通信が遮断される音の後に、ドアが開く。こんな時間でも入れてくれるのは私とはるが幼馴染みなおかげだ。


「お邪魔します」

「いらっしゃい。 陽希ったら夕飯も食べに来ないから助かったわ」


 おばさんは呆れた様な表情をした後家全体に響くような大きな声ではるを呼ぶ。程なくしてはるの部屋の扉が開いて、中からはるが出てきた。


「え、楓……?」

「あんた次は何したの。 楓ちゃんに迷惑かけるんじゃないよ」

「あの、はるの部屋お邪魔しますね」

「どうぞどうぞ。 あいつのこと叱ってやって」


 苦笑しながら階段を上がる。家とは同じ構造だけど左右が逆だから何回訪れても違和感がある。階段を上がって未だに戸惑いの色を見せるはるの前まで来て、「入ってもいい?」と聞けば中に通された。


「ごめん突然」

「いや……こっちこそ連絡返さなくてごめん」

「まあ、体調が悪い訳じゃないなら良かったよ」


 とりあえず勉強机の椅子に座る。突発的に来てしまったけれど、どう話を切り出すべきか。横目で彼女を伺えば、気まずそうに佇む彼女と目が合ってしまった。


「はる座りなよ」

「そう、だね」


 クッションを座布団代わりに座れば、クマの顔のクッションがむぎゅりと潰れる。またしても続く沈黙に、吐き出す言葉はどんどん慎重さを増すような気がしてくる。何から触れたらいいだろう。でも、私がここに来た理由なんてはるだってわかっているはずだろうし。


「部活、先輩たちが心配してたよ」

「ああ、うん……明日はちゃんと行く。 ごめん」

「そっか。 うん……それで、あの……」

「昨日は変なこと言ってごめん。 気にしなくていいから」

「え?」

「美月と付き合うの、いいと思う」


 あ、間違ったかもしれない。もっとくだらない話を続けて様子を伺うべきだったのかもしれない。部活バカのはるが部活を休んじゃうくらいの出来事に、不躾に踏み込み過ぎた。


 自嘲気味にはるは笑って、それから顔を伏せる。ぎゅっと足を折りたたんで、顔を埋めるはるの隣にしゃがみこむ。


「待って、ごめん……えと、急かしたくて来たわけじゃなくて」

「うん、分かってる。 私なら大丈夫だから」

「大丈夫には見えないでしょ。 私はただ、昨日は話がぶつ切りだったからちゃんと話したくて」


 私の言葉に、はるの肩が揺れる。はるが部活に来なかったのは明確な拒絶だったのかな。もうこの話題はしたくないっていうアピールだったのかもしれない。

 でも、そうやって無かったことにしていいのか私には分からないよ。はるは本当はどうしたいのか、言ってくれなきゃ分かんないんだよ。


「ねえはる。 ちゃんと話そうよ」

「昼休み、私抜きで美月と話してたじゃん」

「それは……」


 確かに今日二人で食べるって言っちゃったのはタイミング的にまずかったかもしれない。あの時は美月の事で頭がいっぱいでそこまで気が回らなかった。


「ごめん……美月のこと断ろうって思ってたから、はるがいると話出来ないなって思って」

「え」


 俯いていた顔が勢いよく上がる。猫が目を丸めた様な表情に、結局返事が出来ていないのだと付け加える。断ろうとしたけれど、却下されて浮気を提案された、とは流石に今は言いづらい。というより、どう説明すれば理解してもらえるのか分からない、が正しいけれど。


「なんで……」

「え?」

「私が我儘言ったから、断るの?」


 はるの顔がくしゃりと顔が歪む。なんで、なんて理解が追い付かないまま焦りだけが体に降り積もっていく。違う、と言いかけた言葉が喉に突っかかる。違う、のかな。はるを傷つけたくなくて断ることは、はるの言葉通りになっちゃうのかな。


「……ごめん」


 大きな体が小さく小さく丸まる。私はその体にかけるべき言葉が分からなくて、ただ小さくなったその体を見つめることしか出来なかった。

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