第6話


 少し遠くで、予鈴が鳴る。話が思っていた以上に長くなってしまったらしい。まだ少し残るお弁当の中身をかき込むべきか諦めるべきか。


「食べちゃえば?」

「んー、そうだよね。 ごめん先に戻ってていいよ」

「なんで? 一緒に戻ればいいでしょ?」

「間に合わないかも」

「いいよ、それくらい」


 元はと言えば私が原因みたいなものだし。

 美月はそう言って頬杖をつきながらこちらを見つめる。確かに、そうかも。私はひとまず目の前のお弁当を空にすることだけを考えて手を動かす。常温のトマトってあんまり美味しくないな。甘く味付けされた卵焼きで口直しをしながら一緒にご飯も一口口に含む。


「ハムスターみたい」

「んむぐ」


 あんまり見ないでほしい。綺麗な食べ方じゃないし、やっぱりちょっと緊張するし。最後に好物の唐揚げと白米を放り込んで、勢いよく手を合わせる。ご馳走様でした。


 広げていたお弁当箱を手早く片して、嚥下した瞬間に立ち上がる。五分あれば教室まで余裕で行ける。


「行くよ美月」

「……」


 美月は私を見上げて、私に向かって手を伸ばす。それはまるで抱っこをせがむ子供のようにも見えて、でも目の前の人はきっと確信犯。迫るタイムリミットに急かされて、私はその手を取って思い切り引っ張る。


「フフフ」


 小悪魔というにはより策略的で、それなのにやっぱり笑うと可愛くて、振り回されているのに嫌とは思わない。繋がれた手はそのまま私を無邪気に引っ張る。

 

「行こ、楓」


 風が吹いて彼女の髪が揺れる。春の陽が彼女を照らしてるせいなのか、それとも私がすっかりと認めてしまったからなのか、彼女の綻ぶ笑顔を見ていると胸がギュッと締め付けられる。好きって、こういうことなんだ。

 私、美月のこと好きなんだな。


***


「ここでxに0を代入する場合のーー」


 ふわふわとした高揚感が、中々治らない。思考を浮遊させては現実に戻って、そしてまた意識は旅立っていく。


「それでは放課後の委員会皆さん忘れないようにお願いしますね」


 考えなきゃいけないことはたくさんある。放課後どうするんだとかはるにどう切り出すべきなんだとか、本当にこれでよかったのかとか、それはもうたくさん。

 でも、考えているうちにいつの間にかさっきの光景や会話を脳内で再生させて、美月の唇の感触や手を取って笑うその笑みを反芻してしまっている。


「起立」


 号令に合わせて挨拶を終えれば、教室は途端に騒がしくなった。新年度の委員会の話が少しあったら、すぐに部活だ。それまでには諸々を整理しておかないといけないのに。


「無理、こんな頭じゃ考えられない……」

「何が?」

「ひゃ」


 背後からの声に勢いよく距離をとりながら振り返る。ひらひらと手を振るのは、バスケ部の弥生先輩だった。


「弥生先輩がなんでここに」

「委員会の場所がこの教室だったからさー」

「なるほど」

「てか楓ちゃんは? 委員会ないの?」

「あります……あれ、どこだっけ」

「何委員?」

「体育です」

「ぽいな〜。 体育委員は確か四組だった気がするよ」

「ありがとうございます」

「部活は集中するように」

「あはは、はい」


 またひらひらと手を振る先輩に会釈をしてリュックを背負う。小走りで教室を出ようとすると、聞き慣れた声が私を呼んだ。


「美月」

「また明日ね」


 緩やかに下がる目尻、それとは逆に上がる口角。その表情に見惚れてしまいそうになりながら、手を振りかえす。


「また明日」


 今日はダメダメな日かもしれない。

 この浮遊感は今日一日続いて、私の脳はきっと使い物にならないだろう。

 はると話すはまた後日にしようか、でもあんな風に昨日別れてしまって、今日何も触れないのも変な気がするし。


「楓バイバーイ」

「バイバイ」


 すれ違うクラスメイトと挨拶をして、ひとまず目的の教室に着く。ほとんど集まっていそうな雰囲気に、気配を消しながら席に着いて、なんとなく筆記用具をリュックから取り出す。


「それではーー」


 そうしてまた、思考は軽やかに余韻へと向かう。クラスマッチ、体育祭、そんな言葉を聞き流しながら頭はまた先ほどのやりとりを繰り返す。


「直近では六月のクラスマッチです。その際はたくさんお仕事あると思うんで、よろしくお願いします」


 生徒会役員のその言葉を最後に、委員会はあっという間に終わってしまった。思考は何一つ進んでおらず、私は自分がこんなにも浮かれやすい人間なのかと愕然とする。


 どうしよう、本当。

 時間を無駄にしてしまったと後悔する頃には、いつだってもう手遅れだ。でも、そもそもこんな複雑な状況を数時間で整理して結論を出すのもまた困難だったとも思う。これは言い訳とかじゃなく。多分。


 その瞬間、ポケットの中のスマホが振動する。ポケットから取り出して、通知を確認すればはるからの連絡だった。名前の下に、本文が並ぶ。


『今日、部活休むね』

「え」


 突然のその連絡に、私は更に頭を悩ませることになった。

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