第4話


 先に行っててと言われて来たけれど、学校の中とは思えない程しんと静かな場所だった。告白の鉄板場所になるのも納得が出来るくらい、人の気配は全くない。体育館のドアに続く小さな階段に目星をつけて、桜の花びらを払ってから腰を下ろす。


 頭の中で、言うべきことを整理していく。早くなる心音を宥めて、揺れる木々を眺めていると遠くから誰かの足音。ゆっくりと視線を向ければ、春の風に彼女の髪が揺れているのが見えた。


 やっぱり、綺麗だな。


「ごめんなさい、遅くなっちゃって」

「全然。 食べよ」


 美月の場所の花びらを払えば、隣に彼女が座る。風が吹いて、彼女の良い匂いがする。一緒に手を合わせて、一先ずお昼ご飯をいただくことにする。


「こっちはまだ花びら少し残ってるね」

「うん、先週位だったら綺麗に咲いてたかな」


 卵焼きを一つ口に含む。咀嚼しながら葉桜を楽しんでいると、不意に肩に何かが触れて、隣を見ればすぐ近くに美月の顔があった。


「んっ」

「ご飯の味、全然しない」


 詰まりそうになる卵焼きをなんとか嚥下して、胸元を数回叩く。長いまつ毛、すっと伸びる鼻筋、小さな唇。大きな瞳。ドクドクと音を立てながら、体中を熱い血液が巡っていく。


「楓が話してくれるのを待つって決めてたのに……ごめんね、急かすみたいになっちゃうんだけど……やっぱり楓の気持ち、聞かせてほしいの」

「ん、うん」


 すぐ近くの瞳が真っすぐに私を見据える。綺麗だって思って、言わなきゃって気持ちが焦って、頭の思考が上滑りしているみたいに次の言葉が浮かんでこない。


 ぎゅっと目を瞑って、大きく深呼吸をする。何度か深呼吸をすれば、少しだけ思考がクリアになって、準備してきた言葉を思い出す。目を開けて、真っすぐに体を美月の方に向ける。


 こんなに長い間、考えさせてくれてありがとう。


「ありがとう、私のこと、好きになってくれて」


 これは絶対に言うって決めてた事。そして、もう一つ。


「そして、ごめんなさい。 私、美月とは付き合えない」

「……理由をきいてもいい?」

「えと……美月とは、これからも友達でいたい、から」

「それはつまり、私のことは好きじゃない?」


 え?

 想定外の問いかけに、思考が止まる。私は、美月は大切な友達で、それと同じ位はるも大切で、二人の内どちらかを選ぶのが嫌で、だから。

 それは、美月のことを好きじゃないになるんだっけ。


「……美月のことは、大事だよ」

「ありがとう。 でもね、大事ってたくさん形があるでしょう?」


 まっすぐに見つめてくる瞳。それはいつも私の底まで見透かしている気がして、私の知らない私まで見えている気がする。好きじゃないのかと聞かれて、私はきっと今すごく動揺してしまっている。

 私は嘘をつくのが本当に下手なんだ。だから美月の言葉に、喉を締め付けられているんだ。


「楓は、私と手を繋ぐとどんな気持ちになる?」

「へっ」


 膝の上に置いていた私の手に美月の手が重なる。どんな気持ちになるのかって言われたって、頭は焦って、体は熱くて、心臓が煩くなって、それで。


「私とキスできる?」

「キッ、」


 すっと伸びた手が、遠慮なく頬に触れる。細く柔らかな指、私より少しだけ低い温度が頬を撫でて、私にそれを想像させようとしてくる。この後美月の顔がゆっくりと近づいて、近づくにつれて瞼が閉じて、私の唇に美月の唇が触れる。そんな想像をして喉が渇く。


「してみる?」

「え、……え?」


 指先がゆっくりと頬を撫でて、それから唇の縁をなぞっていく。美月と手を繋いだことなら何度だってあるし、ぎゅっと抱き着かれたり抱き着いたことだってある。でも、こんなに緊張したことは今までにない。キスなんてしたら、私の心臓が膨らみ過ぎた風船みたいに破裂しちゃうんじゃないかな。


「……拒絶しないんだ」

「……」


 目の前の顔が、いたずらに笑う。ゆっくりと手のひらが離れて、いつの間にか止めてしまっていた息を深く吐き出した。

 拒絶、しなかった。想像してドキドキして体を硬直させたけれど、そこに拒絶を表すものは何一つなかった。本当に、馬鹿正直な体だ。


「ねえ、楓。 私の事、好きじゃない?」


 積み上げてきた答えがガラガラと音を立てて崩れていく。友達だから大事にしたくて、傷つけたくなくて、だからこれが一番いいって思ってたのは本当なのに。そんな風に聞くのはずるいよ。私が嘘が下手って知っているくせに。


「好きじゃなく、ない」

「……フフフ、好きじゃなくない、ね」


 一瞬驚いた顔が、花が綻ぶように笑い始める。心地いい笑い声、綺麗な笑み、全部私の意識を引き寄せる。いつからだろう、美月の視線に熱を感じるようになったのは。そしてそれに、熱を引き出されてしまったのは。


「だったら、他の何かに遠慮なんかしないで?」

「……でも」

「私はもう我慢できない」


 その瞬間、美月の唇が頬に触れて、どこか視界の外で何かが落ちる様な音がした。それがお弁当箱から滑り落ちた箸だと分かるのは、もう少しだけ先の事だった。

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