第3話


 大きく息を吸い込んで、全部吐き出す。教室の前で深呼吸なんて、きっと新入生でもしない。それでもしたのは、それ位緊張しているから。二回手のひらで胸元を叩いて気合を入れる。

 ちゃんと、伝えないと。


「っ、おはよう」


 少し上ずった声は、けれどクラスメイトには気づかれなかった。教壇で話していた女の子たちと挨拶をして、窓側の自席にリュックを下ろす。美月はまだ来ていないみたい。窓から流れてくる風が心地よくて、少しだけ肩の力が抜ける。気合を入れてきた分、少し拍子抜けだな。


「……ふう……」

「おはよ」

「ひぁ」


 思わず壁に体を張り付けながら振り向けばそこには美月が立っていた。ドッドッと煩い胸を撫でながらパンティングしていればクスクスと美月が笑いだす。


「人をおばけと思ってる?」

「いや違うけど、ていうかわざとでしょ」

「フフフ、ごめんなさい。 楓をみるとついね」

「いじめないでよ」


 ため息を吐きながら椅子に座る。でも、少しだけ安心もしている。答えを決めた今、美月とどんな風に接すればいいか正直分からなかったけど、美月が相変わらずなおかげでちゃんと話せている気がする。固まっていた体の力がほぐれる様な、美月を見上げれば柔らかな笑顔が私を見つめ返す。


「……楓、何かあったでしょう?」

「……なんで?」

「いつもより元気がないから」

「私って普段もっと元気?」

「そうね、私から見える楓はそう見えるかな」


 美月がスカートを押さえながら前の席に座る。窓から吹く風が美月の髪を揺らして、映画のワンシーンみたいに綺麗。こんな綺麗な人が私を好きだなんて、やっぱり何かのドッキリだったりしないかな。


「何、見惚れてる?」

「え、いや……あれ?」


 見惚れてた、のかな、今。

 美月の手がこちらに伸びて私の頭にそっと触れる。犬でも撫でるみたいに頭を撫でられて、恥ずかしいのに少しだけ嬉しい。元気だしてって言ってくれているみたい。家を出るときにはあんなに憂鬱だったのに、今はなんだか頑張れそうな気がする。


「そんなに悩まなくても、もうオッケーしちゃったら?」


 そうやって心地の良い柔らかさで、人の思考をひっぱろうとする。流されてもいいのかも、なんて思わせられる。もしかしたら昨日までの私ならそれで良かったのかもしれない。

 でも、今は。

 俯いたはるの、昨日の光景が頭の中に鮮明に浮かび上がってくる。


「美月ちゃん楓ちゃんおはよー。 てかなんで頭撫でてんの」

「わっ、あぁ、おはよ」

「おはよう。 楓が元気なさそうだったから、元気出るかなって」


 柔和な笑みを浮かべながら、美月の手が頭から離れていく。そのまま渡辺君との会話が始まって、他愛のない会話をしていればあっという間に朝の時間は流れていく。

 予鈴が鳴って、美月が席へと戻っていく。

 誰にでも優しくて、言動は大人びていて、そのくせ自分の意思にはまっすぐな人。


「……」


 一日考えて、一生懸命考えて。結局どれが正解なのかなんて分からないままだけど、私なりに考えてこれが一番誰も傷つけないって思ったんだ。


 どっちかを選ぶなんて私には出来ないよ。それに、どっちの方が好きなんてことも私にはない。二人とも大事な友達だから、二人とこれからも一緒に楽しく過ごせたら嬉しい。

 だから、これからも二人とは友達でいたい。


「……よし」


 スマホを取り出して、美月との連絡画面にメッセージを打ち込んでいく。 

 

 朝は上手く時間を作れなかった。今も言おうと思うだけでまた心臓はドキドキと煩いけど、一生懸命考えた答えだからちゃんと伝えなきゃ。今日は放課後に部活があるからそれまでには美月に伝えて、部活終わりにはるにも伝える。


『告白の返事? だったら二人きりの場所で二人でお昼食べながらしたいな』


 確信をついてくる返信に、文字を打つ指が止まる。平田先生が教室に入ってきて、昨日決まった係の人が号令をかける。


「今日は放課後に各委員会の集まりがあるから忘れないように。 じゃあ今日も一日頑張りましょう」


 覇気のない声がそう告げて、教室はまた少し騒がしくなる。現代文の教科書を取り出して、もう一度スマホをポケットから取り出す。


「楓」

「へぁ」


 びっくりして振り返ればそこにはやっぱり美月がいる。今日はなんだろう、驚かせたい日なのかな。動揺が続く声で返事をすれば、隣で美月がしゃがみ込む。美月の手がスカート越しに太ももに置かれて、少し緊張する。


「お昼休み体育館裏でお昼食べない?」

「え? ああ、うんもちろんいいよ」

「……陽希は、呼ばないでね」

 

 いつもより少しだけ小さな声は、内緒話をするというよりは臆病さをのせたみたいな、そんな声をしていた。美月でも緊張したり怖かったり、そんな風に思うのかな。


「うん。 はるには、ちゃんと断っておくから」

「……うん」


 少しだけぎこちない笑みを浮かべて美月は立ち上がる。ああ、苦しいな。

 席に戻る美月の後ろ姿を視線で追う。綺麗な姿勢、揺れる髪の毛までなんだか様になる。彼女が席について、カバンから教科書やノートを取り出すのを見つめていると、彼女が不意にこっちを向いた。


「っ」


 目尻を下げて、小さく美月が手を振ってくる。今、惜しいなんて気持ちがあるのは、人間の狡い部分のせいなのかな。


 手を振り返せば、チャイムが鳴って先生が教室に入ってくる。昨日決めたことが心の中でグラグラと揺れている。

 頭を二回、思考を振り払うように左右に振る。一時的な感情でなんて、ダメなんだから。


 二人の告白は受けない。

 二人と、友達でいるために。

 

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