第2話


「なんでそれ」


 自分でも分かるくらいの震えた声。それを聞いてはるは少し気まずそうに首をすくめる。「美月から直接言われた」ぶっきらぼうな声がそう答える。


「そうなんだ」

「やめた方がいいよ、あんな女」

「あんな女って」


 喧嘩してるとしても少し言い過ぎだと思う。ぎゅっと眉を潜めたはるはそのまま顔を逸らしてしまった。今年引いたおみくじは、少なくとも凶ではなかったはずなんだけどな。頭の中で整理できないこと、靄のようなものが膨らんでいく。


「何に怒ってるのか知らないけど、八つ当たりはやめて。 いい加減仲直りしなよ」

「あんな、誰にでもいい顔してちやほやされてるくせに……なんで楓なんだよ」

「……はる」


 私の声にはるは僅かに肩を震わせる。少しだけしゅんと猫背になると、後れ毛からはるの項が覗く。中学の頃に短くしてからはずっとショートの髪が表情を隠してしまって、私は小さくため息を吐いた。


 無言のまま住宅街を歩けば、私たちの家が見えてくる。四つ並ぶ同じような形をした一軒家の、一番左が私の家で、一番右がはるの家だった。


「それじゃ、早く仲直りしなよ」

「待って」


 はるの家を通り過ぎようとしようとした時だった。手を掴まれて、振り返ればまるで今からバスケの決勝戦でも始まるかのような緊張した顔があった。手をぎゅっと掴んだまま、はるの口がぱくぱくと開いては閉じてを繰り返す。


「はる?」

「……付き合わないでよ」

「だから、美月は悪い子じゃないってはるだって知ってるでしょ。 付き合うとか付き合わないとか、はるが決めることでもないし」

「違う……あんなやつだから付き合うなとかじゃなくて」


 さっきの不機嫌な低い声とは違う、少しだけ泣き出しそうな上擦った声。そのいつもと違う様子にだんだん苛立ちよりも不安が先行してくる。


 ぐっと唇をかみしめて、はるが俯く。前髪が表情を隠して、私の手をぎゅっと掴むはるの力強さだけが伝わってくる。


「ねえはる、本当にどうしたの」

「……き、……」

「え、なに?」


 掠れた声が何か言った気がしたけれどうまく聞き取れない。聞き返しても痛い位に手を握られるだけで何も返って来なくて、私ははるの手に空いた方の手をそっと重ねる。はるが、今何かすごく辛いってことだけが伝わってくる。


「はる。 大丈夫だよはる、私怒ってないから。 言いづらい事ならラインとかでもいいし、また今度でもいいし、ね?」


 手の甲を優しく撫でる。スン、と鼻を鳴らす音が聞こえて、その後にもう一度聞こえた。泣いているのかもしれない、そう思うと途端に胸が苦しくて悲しくなっていく。


「ごめん、ごめんはる」


 私よりも大きい体に腕を回す。背中をポンポンと叩けば、また耳横で鼻をすする音が聞こえてきた。私も確かに言いすぎたかもしれない。ゆっくりとはるの左手が私の背中に回る。肩口にかかる重みに、ひとまず拒絶されてないことに安堵する。


「……好き」

「うん……うん?」

「好きなんだよ……私も」


 好き。

 私も。

 何が、何の話。


 錆びついた歯車を無理やり動かして思考をめぐらせる。なんで美月の話をしてきたのか、どうして付き合うなというのか、どうして喧嘩してるのか、何を好きなのか。絡まった思考が、驚くほど綺麗な一本の線になる。それはもう、他の可能性を考えるのが難しい位に。


「美月が好きになるよりもずっと前から……なのに、なんで」

「……え、と」

「……もう嫌だ、ぐちゃぐちゃになる」


 ついにはるの声は泣き声になってしまった。混乱した頭でただひたすらにはるの背中を撫でる。今、何が起こってるんだろう。今の状況を必死に飲み込もうと頭を働かせる。

 

 美月に告白されて、多分今、はるにも告白されている。はるが美月と喧嘩していたのも私が原因かもしれなくて、だから、えっと。


 私はどうするのがいいんだ?


「えぇ、っと……はるの気持ちは分かったし、私も改めてちゃんと考えてみるから。 だから、泣かないでよはる」

「……ありがと」


 はるが落ち着くまで、ただひたすらに体を固まらせていた。通行人が横目でこちらを見ていたけれど、私はもうそれどころじゃない。どうしよう、どうしたらいいんだろう。そればっかりを考えて頭がショートしそうだった。


「ごめん……なんかいきなり」


 ゆっくりと離れる体に合わせて腕を下ろす。目元を赤くしたはると視線が合えば、その顔が瞬く間に赤くなっていく。なんとなく気持ちが分かるような気がして釣られるように顔に熱が集まる。


「じゃあ、お疲れ!」

「え、あぁ、うんお疲れ?」


 勢いに気圧されているうちにはるが瞬く間に玄関を潜って家の中に入ってしまった。ガチャンとドアが閉まる音に、呆然とそこに立ち尽くす。

 一周回って、全部長い夢だったりしないかな。何度か頬を叩いてみても、不運な事に感覚はしっかりと感じられる気がする。


「……えー……え~~?」


 こんなの、夢かドッキリぐらいじゃないの?

 思わずしゃがみ込んで頭を抱える。頭の中が嵐がきたみたいにぐちゃぐちゃにかき乱されていく。状況は、多分理解できている。でも、だからって。

 改めて考えるって、こんなのどうしたらいいだ。


 やっぱり高校二年の始まりは、きっと人生で一番ってくらいの波乱の幕開けだった。

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