イチ

「八坂さんはどう思う!?」

突然イヤホンの片方を引っこ抜かれてそう問われた。

現代人には珍しく、いまだ有線イヤホンを使っている私は不機嫌を隠さずに質問してきたクラスメイトに目を向けた。


声で分かってはいたが質問してきたクラスメイトは優木。仲良くした覚えも個人的に話した記憶もないが、彼女はクラスメイト=友達らしい。

どんな育ち方をすればこうも脳内お花畑になるのか。

明らかに話が合わない人も友達認定して楽しいのだろうか。

私みたいな捻くれた考えをしていない人は気軽に話しかけてくる彼女に好意を抱くようで、そんな手軽なやつも私は仲良くなれそうにない。



「何が」

人を不機嫌で操作するつもりはさらさら無いが、こうも無神経だと優しくする気も失せる。苦手意識を持っている人間になら尚更。

私のこの反応に不信感を表す人、気まずいのか目を逸らす人、私を視界に入れないようにしている人、私を怖がっている人、そして気にしていない人。最も、気にしていない人は優木だが。

他の奴らの反応が正解だと思っている。優木はおかしい。

「えっとね、宇宙人の話!」

ああそのことかと、興味をなくした私にさらに続ける。

「宇宙人って本当にいるのかな!?私はいるって思ってるんだけどさ、みーちゃんもたっくんもはやちゃんもいないっていうの!いないんだったらなんでこんな噂が立つのかわかんないじゃん!」

優木のマシンガントークに、私は耳を貸していなかった。考えていたことといえばそんなによく口がまわるなってことぐらい。

あと、仲良くない人に愛称で説明してきてもわかるわけないだろうということも。


宇宙人がいるかどうか。


誰しも考えたことのある話題だと思う。いたらどんなだろうということを考えたことはあるが、ここで正直に話したとしてもめんどくさいだけだろう。

「いない」

「えーー、八坂さんもそういうのー?私の味方いないじゃん!」

「イヤホン離して」

「私もっと八坂さんと話したい!いいでしょ?ね?」


こいつは本当に人の話を聞かない。

何度も繰り返しているが私は優木とは仲良くした覚えはないし好意を覚えたこともない。なんなら嫌いの部類に入る人間だ。

捻くれまくっている私は今後も優木に優しくすることはできないだろう。

価値観が違いまくっているのだ。気が合うわけがない。

みんなで仲良しこよしだなんてできるわけがないのに。

頭も見た目も価値観も、全てが幼稚だ。


「新、やめときなって。八坂さんは一人でいるのが好きなんだよ」

「ええー、でも…。」

「新は優しいね。でもいいんだよ。ほら、休憩終わっちゃうしトイレ行こ」


優木とその他取り巻きたちは女子恒例の連れションに行った。

群れることが間違いだとは思わないしそれでいいなら好きにしたらいいと思う。しかし、それが私には向かないというだけ。

そう思っているから何を言われても悲しいだなんて思ったことはない。が、苛つきはする。それを外にあからさまに出さないだけ感謝してほしい。



最初からこの性格は隠すつもりはなかったし、気の合う人とだけ仲良くしていたいと生活していたら明らかに浮いていた。

話しかけてこようとするのは優木みたいな頭のおかしいやつと断っている私に反感のあるやつ。

そんなに他人のことを気にして楽しいのだろうか。

そんな暇があるなら自分に一生懸命になったほうが有意義だと思うのだが。

若い人は他人を気にしすぎていて勿体無いとは思わないのか。

まあ好きにすればいい。


優木をトイレへ誘ってくれたお陰でやっと解放されたイヤホンを耳に差し込み、中断していたプレイリストを再生した。

皮肉なものだ。彼女たちにとっては嫌がらせとして優木を離してきたが私には優木は邪魔だった。だから正直助かった。

今度お礼を言っておこうか。

その場面を想像すると、嫌な顔をされるのは間違いないなと少し笑ってしまった。



机の上に置いていたジュースを飲もうと水筒に手を伸ばすととても軽い。

なくなってしまった。これは家で作っている物だから自販機には売っていない。お金を使うのは惜しいが喉の渇きには抗えない。

ため息をひとつ吐いて財布だけ持って自販機に向かった。




***




「新は何で八坂に優しくするの?面倒じゃない?」

「えー、面倒だよ?でもああいう人にも優しい新ちゃんって人気さらに出そうじゃない?」

「あくどいねー。裏表ある方が人間味あるし私は好きだけど」

「それね?ほんと新サイコー」

「私はたっくんに好かれれば他はどうでもいいんだけど、そのたっくんが優しい女の子が好きっていうからさあ?」





人間誰しも裏と表の顔は持っている。

分かっていたはずだった。

けれど、私にも気軽に話しかけてくれた優木さんまでもがそうだと思っていなかった。


白瀬綾、17歳、失恋しました。

そう自覚すると余計に心に来て、個室の壁に寄りかかる。


彼女は、片親の私の心の拠り所だった。

小学校、中学校と寂しい思いをしていた私にとって天使のような神様のような人だった。

母は私を育てるためにとても頑張ってくれていたのは知っているしわかっている。

けれど、寂しかった。

父のことを覚えていない私にとって、親は母だけ。

気を緩めたらすぐにでも涙が溢れてしまいそうな状況に私はいた。

そんな今にも崩れそうな私の精神を立て直し、支えになってくれたのだ。

いつも優しく、笑顔になると周りに花が咲いたような人。

それはもう、この世のものとは思えないほど美しい。

崇拝と言われてしまうほど、私の世界は彼女を中心に回っている。



彼女のことに想いを馳せているとその張本人とそのお友達はいつの間にか教室へと戻っていた。

彼女を思うだけでこんなにも辛くなってしまう私は、しばらく立ち直れそうになくて、トイレの個室で五時間目を過ごした。

トイレの芳香剤の匂いがキツくて目にもきたのか涙が止まらなかった。

いや、芳香剤はいつも通りだったかも知れない。鼻水も止まらないから、もしかしたら少し遅めの花粉症かもしれない。


もちろん優木さんが私を好きなわけない。学年一の人気者とクラスメイトにも名前を覚えられていないかも知れない人間。釣り合うわけないとわかっていた。

けれど前の席替えの時、神様に願って願って願ったお陰か大好きで天使な優木さんの隣になれた。

前の方の席だから優木さんは少し嫌そうな顔だったけど、私を認識すると笑顔で名前を呼んでくれた。

この時に、もしかしてと思ってしまった。

LGBTやら何やらが騒がれている現在でも、少数派なことはわかっていた。けれど、もしかしてって。もしかして、優木さんは数%でも、恋愛的に私のこと好きなんじゃないかって。

そんなわけない。わかっていたけど、自分のことしか考えられない単純な脳みそを持っている私は転がり落ちた。いとも簡単に。


彼女を思って詩も歌も手紙も書いた。

今まで以上に彼女が私の中心だった。


けれど、そんな幻想は消え去った。彼女は異性愛者だった。

私なんか視界にすら入っていない。

手紙を渡す前でよかった。彼女の裏の顔は他の人と同じで汚い。渡していたら晒されていたかもしれない。

何を考えてもうまくまとまらない頭はチャイムの音を拾い、教室に戻らなければと足を動かした。



自分のクラスに戻り、前は死ぬほど願いそして今は私だけが気まずさを持っている席に戻った。

「白瀬さん、五時間目はどうしたの?いなかったからすっごく心配になっちゃった」

甘く、優しい声に脳が揺れる。

あまりにもいつも通りで、私を気遣う声。


そこで、私は一つの正解を導いた。

彼女は仲のいい人にさっきの言葉を素だと思わせようとしたのだ。

女の子を好きだという感情を優木さんは隠したかったのだ。

私を狙う人なんていないと思うが、もしかしたらあの中に人のものを奪うのが好きな人がいたのかもしれない。

優木さんは私との仲をゆっくりと育んでいきたかったのだ。

優木さんの上手な演技に私も騙されるところだった。

そうだよ、あの場には彼女と彼女の友人たちしかいないと思っていたはず。本命の私がいるだなんて思ってもいなかったのだ。

そうに違いない。

「…ううん、大丈夫だよ」

私は気付いているからねと心の中で付け足し、笑顔で彼女に接した。

私が笑顔を浮かべると、彼女も笑ってくれる。

なんて幸せな日常なのだろう。幸せすぎてバチが当たりそうだ。


私は彼女の笑顔を守りたい。

心からそう思っている。だから、こんなにも可愛い彼女に悲しそうな顔をさせた八坂さんが気に食わなかった。

実は私も八坂さんのことは苦手に思っていた。

優木さんのことを抜いても、全てを見通しているかのような目が苦手だった。

彼女と違い、優しさなんてどこにも感じない、変な人だ。

彼女は優しい人だから、気にしてないよだなんて言うだろうが心の奥底ではずっと心に残っているはず。

私は優木さんを守ると決意した。


早速、八坂さんを放課後呼び出した。

呼び出したと言っても、一緒に帰ろうと誘っただけだけど。

移動教室の時に、一人でいる八坂さんにこっそり声をかけた。

優木さんが勘違いしないようにバレないよう、誘うのは難しかった。

だって彼女は私のことをずっと見ていてくれているから。

いきなり話しかけてきた私に対してすごく嫌そうな顔をした八坂さんに心が少し折れそうになった。けれど、優木さんを守るって決めたんだから。

八坂さんは放課後、律儀に私を待っていてくれていた。クラスに私と八坂さんしかいなくなった時、何も言わずに私たちは教室を出た。


階段を降りながら、いつ話を繰り出そうかと考えていた。考えて考えすぎて、私の頭は窓の外の光景に気を取られていた。まだ夏な今日は陽が高く登っている。もしかしたら降りてこないのではないかと感じてしまうほど。

「…八坂さんってさ、人の感情とかないの」

やっと出た言葉がこれだった。

「そんなこと言う白瀬は人を思う気持ちとかないの」

もっともだった。正論が私に刺さった。

そう言いながら私によこした視線は冷めていて、何を考えているのかわからない。

私が誘った理由はわかっているのに、興味がないからそのままにしているようだった。

この視線が苦手だった。彼女とは真逆の感情のない視線。温かみのない、人間らしくない視線。

そして私の言葉と似せてこれるほど八坂さんは心に余裕があるらしい。

私はいっぱいいっぱいだというのに。

「何で、八坂さんは優木さんに冷たく当たるの。可哀想じゃん」

「別に優木限定の態度じゃないってことわかってるでしょ。」

「だとしても、あんなに優しいんだから、少しは態度を変えたって!」

いいじゃん、と続けようとした。

続けられなかった。

いつもの真っ黒で大きな目が、さらに大きく、全てを飲み込もうとしているように見えた。まるで、ブラックホールの様。

背中がヒヤリとしたが、ここまできたらもう止まれなかった。

「だって!八坂さんなんかにも気軽に接してくれる人なんて優木さんしかいないよ!?」

「…白瀬はさ、優木のなに?」

ゆっくりと動いた口から発せられた声は女性らしい声なのに、ひどく重い。

「わ、私は、優木さんと両思いなの。高校卒業したら一緒にウェディングドレスを着て式をあげるの。」

「それはあんたの理想で妄想でしょ。私は事実を聞いてるの。」

「私の妄想なんかじゃない!これはもう決まってることなの!!!」

ひどく冷たい目が、私の視線と絡まり合う。

もう、私は私を制御できなかった。


ぱちり。

瞬きをしてふと、冷静になった。

目の前にいた八坂さんが視界にいない。

恐る恐る、下の踊り場に目を落とす。


そこには、階段から転げ落ちたであろう八坂さんがいた。

間違いなく、犯人は私。

教室には誰もいないとはいえ、先生たちはまだいるし、部活動をしている生徒もいる。

私は、自分のしたことが怖くなって、逃げ出した。

走って家に向かっている時、私の頭の中は恐怖と後悔でいっぱいだった。

八坂さんは先生か生徒に発見され、目が覚めたらすぐに私のことを言うだろう。

何であんなに頭に血が登ってしまったんだろう。

八坂さんが訴えればきっと私は犯罪者だ。

どう親に説明したらいいのかわからなくて、帰ってすぐに部屋に篭った。篭ったところで何も現実は変わらないが、気のせいでもいいから安心したかった。

学校か警察からの電話や訪問を恐れて、数日は部屋どころかベッドから出ることができなかった。


いくら経っても、あの人の話題は出てこなかった。

学校からは、私の体調の心配の言葉しか出てこなかった。

もしかしたら、私は殺してしまったのかもしれない。

階段の上から下まで落ちたのだ。軽傷ではないと思っていたがまさか。

あの場には幸い誰も居なかった。

言われないのであればバレる心配はない。

ただ単純に目が覚めていないだけかもしれないという選択肢はあった。だが、私にも救いの道が見えてきたと、少し気持ちが楽になった。

私は明日学校に行く準備を始めた。



母が心配して学校に送ってくれることになった。

犯罪を犯したかもしれない娘に対してなんて優しいんだと思い、久しぶりに母とハグをした。


教室に入ると陽キャたちが私を囃し立てた。

何を言っているのかは理解できなかったが、みんな私をみて拍手をしている。

やっぱり、私のしたことは間違いじゃなかったんだ。

「新のこと好きすぎて体調崩してた白瀬さんふっかーつ!」

ほっとしたのも束の間、そう言われた瞬間冷たくて重い衝撃を受けた。

何が起きたのか理解ができなかったが、少しして水を被ったのだと理解した。

「この前大きな声で宣言したんでしょ?新と両思いだって。そこで、新からのお返事でーす!」

「えー、ちょっとやめてよー。白瀬さんなんて何とも思ってないんだし。…私、別に誰が誰好きとか興味ないからどうでもいいんだけどさ、思いを一方的にぶつけられんの吐き気がするほど嫌いなんだよね。私はあんたの脳内で生きてる人間じゃないからさ?もっと周り見ようねー?」

優木さんはそう言いながら私に手に持っていたジュースをかけた。

何とも思っていない、興味ない、どうでもいい、一方的、嫌い。

頭の中でぐるぐると回る言葉は全て私を突き刺してくる。


こうなった私を、あの人はどう思うだろうか。

私のことを正論パンチでボコボコにした人。

目が、自然とそちら側に向く。

そこには何もなく、ただただ空間が空いていた。



あれ、あそこって何かあったっけ。

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