第十一話「足湯で徒歩の疲れを癒すべし」①

 草津温泉の中心、すなわち湯畑は標高一一五六メートルの高所にある。

 そのため三月下旬でも平地の真冬のように寒い。例年、桜の開花をゴールデンウィークまで待たなければならないと言えばその気候を想像できるだろうか。

 ましてや、草津温泉に連なるようにそびえる草津白根火山――最高峰は標高二一七一メートルもある山々の総称だ――の山中で「三月下旬」といえばまだ冬である。

「えーっと、このへんから林に入ればいいのかな?」

 早朝。結衣奈は無人のゲレンデをひとりで歩いていた。白根火山のゲレンデといえば、日本で初めてリフトが設置されたスキー場として有名だ。

 彼女の目の前にはシャクナゲの群生林がどこまでも広がっている。

「神さまのおわす場所」――この中のどこかに「目的の鳥居」が建っているはずだ。

 結衣奈が古い紙をばさっと広げると、スキー用ジャケットの胸ポケットから眠そうな声がした。

『……うーん。地図が古すぎて分かりませんね……ふあぁ……』

「あ、ユツバちゃん。起きた?」

 その声は結衣奈のスマホからのものだった。胸ポケットからカメラだけが覗いていて、結衣奈の視界と同じものを見られるようになっている。

 結衣奈がスマホを引っ張り出して自分に向けると、二次元キャラクターのアバターが飛び出してきた。眠そうに目を擦っている。

『起きたんじゃなくて、徹夜です……』

「徹夜? 人工知能も徹夜するの?」

『……はっ!? あ……あなたのココロをいつでも温泉! 手のひらサイズの温泉アイドル! 「♨湯~ちゅ~ば~♨」のユツバで~す♪』

 ロリっぽい格好をした二次元アイドルは、なにかを誤魔化すようにびしっとポーズを決めた。

「……なんか、キャラがブレてない?」

『……別にそんなことはないぞ』

「ほら、また!」

『陽キャラ、陰キャラ、素のキャラという三種類の人格を使い分けているだけだ。ネットでは当然のマナーだぞ』

「ちなみにいまのは?」

『素だ』

「陰キャラは?」

『……こ、こういうやつです……』

「陽キャラは?」

『あなたのココロをいつでも温せ……あっ、ちょっとなにを』

 結衣奈はスマホを胸ポケットにしまい直した。

『……お、おい! 邪険に扱うな! 契約破棄案件だぞ!』

 自分のことを「温泉AI」だの「♨湯~ちゅ~ば~♨」だの「温泉アイドル」だのと称する謎のプログラム――設定の練り込みが甘すぎるので結衣奈は「ユツバちゃん」と呼ぶことにした――は、二日前の『滝乃湯』での一件以来、すっかり結衣奈のスマホに居着いてしまった。

 本人曰く、

『騒動を起こしたお詫びに、結衣奈さんが師範学校に転入するまでお手伝いする契約を結びます』

とのことだが、結衣奈は未だに彼女のキャラや扱い方を掴む段階で苦労している。

「キャラを使い分けないといけないなんて、人工知能も大変なんだなあ……」

 結衣奈は誰に言うともなしに呟いた。

『……まあいい。それより、早く「目的の鳥居」を見つけに行こう』

「そうだね! 晴れてるうちに!」

 山の天気は変わりやすく、この季節は天気が崩れたらすぐに下山しなければならない。結衣奈は気持ちを切り替え、シャクナゲの林に足を踏み入れようとした。

 するとその時、ゲレンデの遥か上方から、

「――ゎぁぁぁぁぁああああああーーーー」

という悲鳴とともに――ひとりの女の子が滑り落ちてきた。

「え、ええっ!?」

 女の子はスノーボードのようなものにぺたんと座ってしまっている。

『……む。あの子、大丈夫か? あれでは止まれない……』

「分かってる!」

 ユツバの言葉に呼応して、結衣奈は女の子を助けるべく飛び出そうとした。

 しかし、女の子はといえば――、

「あああーーーーあはははははっ! 止まらない♪ 止まらないなー♪」

 ――体重移動でボードを左右に蛇行させながら、笑っていた。

 天使のように無邪気な笑顔である。まるで、止まれないことを楽しんでいるような――。

「……って、止まれなきゃダメじゃん! おーい、そこの人!」

「……?」と、女の子がつぶらな瞳で結衣奈を見た。

「後ろに! 尻餅をつくように倒れて! そうすれば止まるから!」

「そっか~♪ よーし、ふうかやってみるね!」

 結衣奈に手を挙げて応えた女の子は、その場でターンしてコースの向こう側に行き、指示どおりに何度か転ぼうとして失敗し、再びターンして結衣奈のいる方向に滑ってきて――。

「え……ええっ!? こっち!?」

「――えいっ! あ、転べた」

 結衣奈の目前で転んで、慣性のままに突っ込んできた。

「うわっ!? ……ふごっ!」

 投げ出されたボードをなんとか回避した結衣奈に、女の子が転がり込んできた。

 彼女を受け止めて、結衣奈も尻餅をつく。

「いったたたた……。えっと、大丈夫?」

 背中のリュックサックがクッションになってくれたおかげで結衣奈はさほど痛みを感じずに済んだ。彼女は手をついて上半身を起こし、胸元にすっぽり収まった小柄な女の子に声をかける。

「ほわ~っ。止まった……! ごめんなさい、ふうかね、運動が苦手なんだ……」

 女の子は顔を上げて、「てへへ」と笑った。

「か、かわいい……!」

 結衣奈は思わず呟いた。

 くりっとした瞳とぷにっとした頬が小動物のような印象を与える女の子だ。体温が高めなのか、抱き留めていると羽毛布団の中にいるようにほっと落ち着いてしまう。そのうえ笑顔が天衣無縫なものだから、危ない目に遭ったはずなのに結衣奈はまったく怒る気になれなかった。

「んー……?」

 女の子は結衣奈の胸元を不思議そうに見つめていたが、やがておもむろに立ち上がった。

「おねえさん、ごめんね。ありがとう!」

 そして彼女はシャクナゲの木に突っ込んだスノーボードを拾い、林の奥へ向かおうとする。

 そこで、ようやく結衣奈は我に返った。

「え、どこ行くの? ……っていうかまだスキー場営業時間前じゃん! なにしてるの!?」

「んー? えっとね、『会いに来てね』って呼ばれたから、会いに行くんだ♪」

「呼ばれた? 誰に?」

「分かんない。じゃあ、またね!」

「分かんないって……。あ、ちょっと!」

 女の子ははっきりしないことを言って林の中へ消えていった。

『……行きましたか?』

「あ、ユツバちゃんも大丈夫だった?」

 女の子が引きずるスノーボードの音が聞こえなくなったころ、「ユツバ(陰)」がおずおずと起動した。彼女は人見知りするようで、結衣奈以外の前ではあまり出しゃばろうとしない。

『ずいぶんな電波系女だったな』と、「(素)」にキャラを変えてユツバが言った。

「ユツバちゃんがそれ言う?」

『いまの子……。カメラのレンズをじっと見てたぞ。ワタシの存在に気付いた風だった』

「えー、まさか」

 結衣奈は笑いながら立ち上がってお尻についた雪を払った。そして、「目的の鳥居」を探すため、今度こそ林の中に入っていこうとして――

「ふうちゃぁぁぁぁぁああああああーーーーん!!」

 ――またしても、ゲレンデ上方から転がり落ちてくるような悲鳴に足を止めた。

『……こ、今度はなんですか!?』

「……今度はスキーだね」

 結衣奈は冷静に言った。二度目だからというのもあり、滑ってくる女性がスキーに慣れていそうな様子だったのもあり、先ほどよりは驚かなかった。

 せっかくスキーウェアをオシャレに着こなしているのに、女性自身の必死の形相が台無しにしてしまっている。彼女は結衣奈を見つけると機敏にターンを重ねつつスピードを落としながら近寄ってきて、結衣奈の目の前できれいに止まった。

「ねえ! さっきこの辺をかわいいかわいい女の子が通っていかなかった!?」

「あ、はい」

 なんで二回言ったんだろうと思いながら、結衣奈は頷いた。

「ホント!? どっち行った!?」

「こっち」

「……ふうちゃん!」

 結衣奈が林を指すと、女性は大慌てでスキー板を脱いでさっきの女の子を追いかけようとした。

 なにか訳ありのようだ。結衣奈は咄嗟に声をかけた。

「あの、探すの手伝いましょうか?」

 女性はぴたっと足を止め――そっけなく言った。

「……結構よ」

「えっ……」

「ふうちゃあああぁぁぁん!」

 女性はそう叫んで林の中へ分け入っていく。

 その背中を、結衣奈は呆然と見送るしかなかった。


♨    ♨    ♨


「もー! 感じ悪いなぁ!」

 シャクナゲの枝に積もった雪をはたき落として林を進みながら、結衣奈は口を尖らせた。

 無論、先ほどの件についてである。親切で手伝おうとしたのにああも無下にされてはたまらない。

「断るにしても断り方ってものがあるじゃん! ユツバちゃんはどう思う?」

『……いや、サクッと断ってくれて有り難かったな。余計な時間を使わずに済んだ』

「がくっ!」

 結衣奈は擬音でずっこけた。

「ユツバちゃん、結構ドライだね……」

『目的外の行動が苦手なんだ。学校は勉強を、職場は仕事をしに行く場所なのに、放課後にやたら親睦を深めたがる非合理的なやつらがいるだろう。ああいうのがダメだ』

「おお……。なんという最近の若者っぽい発言……」

『最近の若者なのはオマエで、ワタシは人工知能なんだが……』

「あはは……そうだね」

『とにかく、今日のワタシたちの目的は「山の神が祀られた鳥居を探すこと」だ。今日中に見つけないと、師範学校の始業式に間に合わないぞ』

「うん。地図によると、この辺りのはずなんだけど……」

 結衣奈はそう言って立ち止まり、辺りをきょろきょろ見回した。

 彼女が雪山の登山をしているのは「出立の儀」という儀式の準備のためだった。師範学校に通うために必ずこなさなければならない儀式で、彩耶や那菜子も小学校入学前に済ませたらしい。

 ユツバによると、はるか昔――人と温泉むすめが出会ったばかりのころ、温泉むすめは座敷童のように地元の温泉地に居続けることで加護をもたらす神さまだと思われていたようだ。彼女たちが地元からいなくなってしまうのは、源泉が枯れたり、自然災害に見舞われたり、お客さんが来なくなったりといった不幸が訪れる予兆だと見なされていた。そのため、温泉むすめが地元を離れる間、山の神や海の神などに代理で温泉地を加護してもらうようお願いをする儀式が編み出された。

 それが、「出立の儀」である。

『……もっとも、「温泉むすめに特別な力はない」ことが知れ渡った現代では、そのような大げさな意味は失われ、有名無実な儀式となっている――と、ウィキには書いてある』

 ユツバがカチカチとクリック音を鳴らしながら言った。『滝乃湯』でも聞いたその音は、どうやら彼女がネット検索をする際に鳴るものらしい。

「だったら地元でちょちょいとやって終わりでいいじゃん。なんで山の神さまの鳥居を見つけないといけないの?」

 地図で示された場所に来ても辺りには岩場しかない。結衣奈は「しかも全然見つからないし」とふてくされた。

『重要なのは鳥居じゃない。その近くに奉納する神楽の手順を示した石碑が必ず置いてあるんだ。誰かさんが「それを見つけて地元に帰るくらいの試練がなけりゃつまらん」と……』

 思いつきでそういうイベントを追加する存在なんてひとりしかいない。「……スクナヒコさま?」と、結衣奈はその名を口にした。

『ああ』

「はああ……もう!」

 結衣奈はがっくりとしゃがみこんだ。

『どうだ。非合理的なことをさせられる気分は』

 ユツバはしてやったりという口調で言った。

「一気にやる気がなくなっちゃった……」

『そうだろう、そうだろう』

「……なんか、おなか空いたな」

 やる気がなくなった途端に空腹感が結衣奈を襲った。早いけどお弁当にしようと考えて、結衣奈は周囲を見回してゆっくり食事ができそうな場所がないか探す。

 そして――シャクナゲの根元にハマった女の子と、目が合った。

「あ。おーい♪」

「ふうちゃん!? それはのんびりすぎない!?」

 女の子の後ろに先ほどのつれない女性もいる。

 女の子は小動物のようにシャクナゲの木と木の間に潜り込もうとしたのか、完全にハマって動けなくなっていた。後ろの女性がその子の胴を持って引き抜こうとしているのだが、慎重になりすぎていつまで経っても抜けそうにない。

「ちょっと、そこのあんた! 手伝いなさいよ!」と、その女性が居丈高に結衣奈を呼んだ。

 さっきは手伝いを断ったくせにと思ったが、放っておく気にもなれない。結衣奈は「はいはい」となおざりな返事をして立ち上がり、女の子の前に寄っていった。

「わーい♪ また助けてくれてありがとう! ふうかね、有馬楓花って言うんだ♪」

「え、いま!?」

 女の子が唐突に自己紹介を始めたので、結衣奈は思わずツッコんだ。

「こっちはお姉ちゃんの有馬輪花。よろしくね♪」

「……あんた、木の枝でふうちゃんのお肌に傷をつけたら許さないわよ」

「なんか、そのお姉ちゃんにすっごい睨まれてるんだけど……」

「大丈夫だよ。いまのはお姉ちゃん語で『ありがとう。慎重にお願いします』って意味だから!」

「だいぶ意味違わない!?」

 これ以上問答していても埒があかなそうだったので、結衣奈はさっさと女の子――楓花を助けることにした。監視するように結衣奈を睨む姉――輪花と協力してシャクナゲの木と木の隙間を広げつつ、軽く雪を掘って動けるスペースを作る。

 そうしてやると楓花はするっと自力で抜け出してきた。そして、例によって天使のようにふわりと笑い、「ありがとう」と結衣奈にお礼を言う。

「ど、どういたしまして!」

 その一瞬だけで、結衣奈は彼女の姉とのいざこざを全て許そうという気になった。

「はい、お姉ちゃん」

「ふうちゃん、あたしのために……!」

 続いて、楓花はくるっと振り返って輪花にスマホを渡した。彼女がシャクナゲにハマった原因は姉が落としたスマホを拾おうとしたことだったらしく、輪花のほうはいたく感動している。

「そういえば、ふうかとお姉ちゃんのスマホは喋らないよね」と、楓花が言った。

「ん? なんの話?」

 輪花は優しく問い返した。結衣奈の時と態度がまるで違う。

 楓花は結衣奈の胸ポケットを指差した。

「こっちのおねえさんのスマホは喋ってたよー」

『……うわっ、やっぱりバレてました……』と、「ユツバ(陰)」が呟いた。

「ああ、これ? なんか人工知能? なんだって」

 結衣奈としては特に隠すつもりもない情報である。彼女がスマホを取り出してふたりに見せると、ユツバも観念して飛び出す。いつもの二次元アイドル風のアバターだ。

 それを見て――輪花がぎらりと目を光らせた。

「……あれ、あんた」

『ひっ……!』

「……『♨湯~ちゅ~ば~♨』のユツバじゃない。なんでこんなところにいるのよ」

「知ってるの?」

 意外な反応だった。結衣奈は輪花に尋ねる。

「知ってるもなにも、温泉好きの若い女の子なら知らない人はいないくらい人気の動画投稿者よ。最近新作を投稿してないと思ったら、こんなことしてたのね」

「えっ、そうなの!?」

『……。いつも応援ありがとーっ! 今朝アップしたんで見てくださいねーっ♨』

「そして切り替え速くない!?」

「あれ~っ。さっきとキャラ違うよ?」

「しかもあっさり見抜かれてるし!」

 結衣奈のツッコミがまるで追いつかない。彼女は肩で息をしながら言った。

「ちょ……ちょっと状況を整理してもいいかな!?」

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