第四話「洗い場でばっちり身を清めるべし」②

 「湯畑」は日本の中心にある(と結衣奈が思っている)草津温泉のまさに中心にある。

 観光地のど真ん中にサッカーコートと同等の広さの岩場が露出し、毎分四〇〇〇リットルという想像も及ばない量の温泉が湧出している。湧き出た高温の湯は強烈な硫黄の匂いをふりまきながら、七本の木製のレール――「湯樋」の中を通って北へ一〇〇メートルほど下り、地鳴りのような音を立て滝として流れ落ちる。

 自然の驚異と人工物の機能美が融合した草津温泉のシンボル、それが湯畑だ。「湯畑」という名前の由来には諸説あるが、湯樋の底に沈殿する温泉成分を「湯の花」と呼び、それを採取する場所であることから「花の畑」、湯畑と呼ばれるようになったという説が有力である。

 この場所ほど「温泉地に来た」ことを感じさせる場所はない。周囲には複数の共同浴場と足湯、両手で数え切れないほどの旅館、食事処、土産物屋が建ち並び、年中賑わっている。

「うむむ……。ここまでの道中にはなし、か……」

 アスファルトに穴が開くほどの目つきで地面を睨んでいた結衣奈が顔を上げた。

「やっぱり湯畑のどこかかな」

「どこかって……」

 彩耶の言葉を聞いて、ふたりについてきたちかやが消え入りそうな声で言った。湯畑は広く、人々がひしめいている。こんな場所で捜し物をするのは困難を極めるだろう。

 結衣奈は不安そうなちかやの頭をそっと撫でた。

「大丈夫だよ、ちかやちゃん。わたしに考えがあるから」

「……考え?」

「なんてったってわたしたち――温泉むすめだもん!」

「え……?」

 結衣奈はちかやに微笑みかけて、湯畑の手前に設けられた広場を見上げた。

 湯畑から奥に向かって階段状に高くなっていく広場である。段数はわずか四段しかないが、その一段一段が高く、そして広い。「棚田状」と形容するのが分かりやすいだろう。

 もっとも、これから結衣奈がやろうとしていることを鑑みれば――一段一段が舞台のステージのようだ、と言った方がいい。広場は木造の回廊で囲まれていて、最上段の向かって右側には舞台袖に使えそうな棟がある。

「結衣奈ちゃーんっ! 準備オッケーだべ!」

 その「舞台袖」の入口で――印半纏を着た那菜子が、こちらに手を振っている。

 結衣奈は親指を立て、那菜子にグーサインを送った。

 那菜子は頷いて、棟の中へと引っ込んでいく。

 しばしあって――大音量の音楽が流れ始めた。

「わっ……なに?」

 ちかやがびっくりして広場を見る。音楽は広場に据え付けられたスピーカーから流れていた。

 湯畑にいた人々も、「なんだなんだ?」と一様に広場の方を振り返っている。

「ちかやちゃん、そこにいてね!」

「えっ? えっ?」

 結衣奈は広場の最上段に向かって駆け出し、大声で叫んだ。

「さあさあみなさま、どうぞお集まりくださーいっ!」

 ――コォン、コォン。

 結衣奈の掛け声に合わせて、拍子木の小気味のいい音が鳴る。

 鳴らしているのは彩耶だ。いつの間にか彼女もランニングウェアの上に印半纏を羽織っている。

 結衣奈は彩耶にウインクして、ステージを上っていく。

「これからお披露目いたしますのは、なんとも可笑しな神さまの神楽!」

 ――コォン、コォン。

 不思議そうな顔をしながらも、近くにいた人々が広場に集まってくる。

 いい調子だ。――もっと集まってこい――と結衣奈は強く念じた。

 結衣奈は軽やかに広場のてっぺんまで駆け上がり、那菜子が投げて寄越した半纏をキャッチした。

 バッとそれを羽織って――結衣奈は眼下のお客さんたちに宣言する。

「こんにちはーっ! わたし、『温泉むすめ』ですっ!」

「よっ、温むすさまっ!」

 ――コォン、コォン。

 那菜子の囃子と彩耶の拍子木が結衣奈を盛り立てる。結衣奈が湯畑全体を見渡すと、彼女をよく知る地元の人々――旅館や食事処のスタッフ、土産屋の店員たち――が、観光客を広場に誘導してくれていた。

「草津温泉の温泉むすめ、第二十代『草津』――名は『結衣奈』! 湯の花満開十五歳!

 お越しいただいた感謝を込めて、一曲舞わせていただきます!」

 ――コォン、コォン。

 ぴったりのタイミングで前奏が終わり、同時に彩耶の拍子木が2回鳴る。

 あまりに急なことで、お客さんたちはまだ集まりきっていない。

 それでも、結衣奈は構わず舞い始めた。こういうのは勢いが大切なのだ。


〽草津よいとこ 一度はおいで

(あ、どっこいしょ!)

 お湯の中にも 花が咲くヨ

(ちょいな、ちょーいなー)


 曲目は草津の民謡『草津節』だ。ここまでの勢いの割にはゆったりしたテンポの曲である。

 お客さんたちがそのギャップにずっこけて、笑う。

 そうして心が緩んだタイミングで、結衣奈は両手を彼らの方にばっと広げた。

「はーいっ! みなさんもご一緒に!」


〽草津よいとこ 里への土産


 そこまで踊って、結衣奈は口パクで観客に合図を送る。

「……あ、どっこいしょ」

 という声が、戸惑いながらも小さく聞こえてきた。


〽袖に湯花の 香が残るヨ


「……ちょいな、ちょーいなー」

 少し声量が大きくなった。結衣奈は全身で観客を煽る。

「もっともっと! お願いしまーす!」


〽積もる思いと 草津の雪は


「あ、どっこいしょ!」

「そうそう!」


〽解けるあとから 花が咲くヨ


「ちょいな、ちょーいなー!」

「ありがとうございまーーーーす! 草津結衣奈でした!」

 結衣奈は両手を広げて合いの手に応えた。ぱちぱちと、温かい拍手が広場に響く。

 曲が終わるころには、湯畑にいるお客さんの八割くらいが広場の近くに集まってきていた。

 その人混みの中に、商魂たくましいお土産屋さんたちがバラ売りの商品を抱えて突入している。

「温泉むすめ印の温泉まんじゅう、バラ九十円でーす!」「温泉たまごもいかがですかー!」などと言って売り回る足取りは慣れたもので、遠慮も無駄もない。

 それもそのはず、観光客に聞きたいことがあるとき、結衣奈はよくこの方法を使っているのだ。

 結衣奈は那菜子からワイヤレスマイクを受け取ると、改めて挨拶した。

「本日は草津温泉にお越しくださり、ありがとうございます! 温泉むすめの結衣奈です!」

「おお……!」

 あとから来たお客さんたちがどよめいた。

 カシャッ、カシャッとシャッター音が響く。

 結衣奈はそれに応えて、お客さんの左端から右端まで、向きを変えつつ順番に手を振った。

 そして、ようやく本題に入る。

「あのっ、湯畑でお財布の落としものを見つけた方はいらっしゃいませんか? クマのデザインのかわいいお財布です。三十分くらい前に、湯畑でなくしちゃったみたいなんです」

 情報を出し終えて、結衣奈はゆっくりマイクを下ろした。

 誰かの手か、声が挙がるのを待つ。

 しかし――広場の人々は、心当たりなさそうに顔を見合わせていた。

「……っ」

 ちらりとちかやを見る。彼女はぬいぐるみを抱きしめて、縋るような目で結衣奈を見ていた。

 結衣奈はもう一度尋ねようと、口元にマイクを寄せた。

「あの――!」

「――結衣奈さまーっ!! これ! これじゃないですかーっ!?」

「……え?」

 湯畑の奥から、着物を着た女性が走ってきた。

 結衣奈のよく見知った人だ。温泉まんじゅう屋で売り子をしているお姉さん・檜ちゃんである。彼女は手に持ったそれを高々と掲げ、こちらへ向かって振っている。

 その手に握られているのは、紛れもなくクマの財布だった。

「……ちかやちゃん!」

 結衣奈はちかやを見た。ひまわりのような笑顔で財布を見ていたちかやは、結衣奈の方を向くと――ぶんぶんぶんぶんと、何度も首を縦に振った。

「あったーーーーっ! みなさん、ありましたっ! ありがとうございます!」

 結衣奈はマイクに向かって絶叫した。

 ぱちぱちぱち……と、誰かが拍手した。

 その拍手が、少しずつ広がっていく。

 やがて――広場全体を、大きな拍手が包み込んだ。

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