【紫苑視点】夏祭り(前編)
どどん、ばばん。遠くで、さっきから何かの炸裂音が響いている。
重厚な音は救急車のサイレン並みに鼓膜と内臓を震わせ、食事中の今は嫌でも気になってしまう。
雷でも鳴っているのかと、夕食のサバ味噌煮を口に運ぶ父に話を振ってみると。
「隣町でいま、花火大会やっているんだよ」
ああ、定時で抜けられたのに帰ってくるのが少し遅かったのはそういうことか。
どうやら、夏祭りの関係で交通規制が街のいたるところに掛けられていたらしい。
当然道路も渋滞気味で、やむを得ず遠回りのルートに切り替えたとのこと。
「てっきり紫苑も行ってると思ったんだが」
「予定があるなら事前に言うわ」
「だよな。なんなら、今から行ってきてもいいぞ。まだ7時なったばかりだし。10時までやっているみたいだから」
「……今から?」
近くまで送ってやると父は言ってくれたが、急すぎて気分が切り替わらない。
もしや、屋台のご飯が食べたくなったとかで代わりにおつかいを頼みたいのだろうか。
「それなら、娘をこき使わず立ち寄ってから帰ってるよ」
「父さん、単独で祭り行く人なんだ」
「人混みは得意じゃないけど、季節感を味わいたくてたまに行きたくはなるな」
父はこういうの苦手だと思ってたから意外だ。
わざわざ会場に行かなくても、たこ焼きもお好み焼きも焼きそばもフランクフルトも、大抵のものならそこの大型スーパーで安く売ってるのに。かき氷ならうちの店でいまフェアをやってるし。
「そういえばお前、昔っから旅行やお祭り行くとすぐに帰りたがってたなあ」
「とにかく人混みで暑かった記憶しかなくて……トイレに行くにも時間がかかるからって、おむつ履かされるのが嫌だったのよ」
「なるほどなあ、子供目線で聞くとまた違うね」
家族サービスしてくれていた父には申し訳ないが、あまり人の多い場所への遠出は好まない性分なのだ。
祭りもプールも何年も行ってないし、浴衣もうんと小さい頃に着たっきりである。
母親が私の看病で疲れ切っていてリフレッシュしたいことは知っていたから、むしろ、私はファミサポに預けて2人で気兼ねなく遊び回ってほしかったくらい。
海外だと子供を預けて夫婦で息抜きすることはわりとメジャーらしいが、日本だとそうもいかないのか。
「……あ」
会話が途切れた頃、棚に置いていた携帯電話が震えた。
食事中なので掛け直すか迷ったが、父からは気にせず出ていいよと言われたので電話を取る。
こんな時間に着信をよこすのは、知ってる限り1人しか該当しない。
廊下に出て、通話ボタンをスワイプした。
『いま電話大丈夫ですかねー』
「大丈夫。どうしたの?」
予想通り、電話の相手は芹香からだった。わざわざ掛けてくるほどの用事とは、緊急性があるのだろうか。
いま夏休みだと言うと大人は羨ましそうにするが、学生もそれなりに予定があって暇ではないのだ。
私の場合はバイト、文化祭準備に伴う登校日、中学時代よりも多い夏休みの課題がある。芹香はそれに加えて塾があると聞いた。
『しーちゃんも聞こえたと思うけど、いま、花火の音してるじゃん』
「聞こえたわね」
まさか、そっちの話題に行くとは思わなかった。
急だけどいま隣町のお祭りやってるから行かない? やや上ずった早口のお誘いが聞こえてきて、どうしたもんかと逡巡する。
芹香も当日まで気づかなくて、音が聞こえてきたから急遽電話することにしたのか。
準備が入念な彼女らしくない突発的な提案は新鮮で、でも小学生までの芹香はこういう思い立ったらすぐ行動する子だったよなあと懐かしさが湧く。
『ほら、うちは祭り当日バイトあるから』
「あー、そうだったね」
適当に言った。
自分の街のイベントの日程さえ、生まれたときから住んでいるのに把握していない。我ながらつまらない子供だと思う。
「いいよ」
『え……まじ?』
「まじまじ」
実の親に祭りは興味が薄いと言っておいて、恋人にはあっさり手のひらを返す。
主体性がない女だと自分でも思う。
けど、夏休みはあと1週間しかなくて、バイトと塾でデートらしいデートもあまりできなくて。
そう考えると、学生の夏休みをこれで終わらせていいのかと後ろ髪を引かれる思いが背中を押した。
付き合ってはじめての夏がもうじき終わるのだから、青春らしいことをしてもいいじゃないかと。
なんだかんだで、私もフィクションの充実した夏休みにはまだ憧れがあるんだなと実感する。
「浴衣はお披露目できないけれど、それでもいい?」
『じゅ、十分。……あ、お下がりでいいならうちの姉貴のやつ貸すけど』
お姉さんも私に似て出不精らしく、一度着たっきりだからと補足を受ける。
正直、浴衣は見て楽しむ衣装だと思う。
自分が着るとなると暑いし、鼻緒は痛くなるので浴衣を着るのは旅館だけで十分だ。
だが、デートなのに私服というのはどうなのだろう。芹香はひょっとすると、着て欲しいという期待から切り出したのかもしれないし。
「せっちゃんが着るなら着る」
『い、いいんですか? 見たいならいくらでも着てあげるけど』
気遣われていると思われたのか、芹香の声はらしくないまごつきが混じる。
誘うって、エネルギーが要る行為だからか。自分の都合に相手を引き込むわけだから、緊張しないわけがない。
なので、ほぐすためにシンプルな言葉をおくることにする。
「誘ってくれてありがとう。お祭りデート、楽しみにしてる」
ストレートな好意の言葉も、出すのにはエネルギーがいる。口にした後に、頬に熱が広がっていくのがわかった。
『わ、私も。したかったから、叶って嬉しい』
せっつくように芹香から言葉を継がれ、さらに体温が上がっていく。
踏みしめた廊下の板床までもが、焼けているように熱く感じる。
『えと、何時くらいにうち来る予定?』
「10分後くらいで」
夕飯はもうじき食べ終えるから、食器だけ洗っておこう。
急に意見を変えるなんてどういう風の吹き回しか、不思議に思われるだろうな。
『ちなみに、しーちゃんって着付けできる?』
「うん、まあ」
死装束にならないよう合わせ方に気をつけて、帯を結ぶだけ。だと思う。着物に比べればなんてことはないだろう。
手順くらい今は調べればいくらでも出てくるのだから、手間を掛けさせるわけにはいかない。
『そ、そっか。すごいね』
「別にすごくない。調べた通りにするだけだもの」
『あ、そっちか』
返事は、思いの外素っ気ない。
できないからやってーと言われたときにしそうな反応に聞こえるが、人の手を借りず着替えることのどこが引っかかるのだろう。
『あ、しーちゃん』
「なに?」
『髪は、やってもいい?』
「どうぞ」
そこまで恐る恐る聞いてくることだろうか。髪型はいつもの一本結びと編み込みしかバリエーションがないから、どう整えるか迷っていたところだった。
他人にアレンジしてもらえるのはむしろありがたい。
『ありがと。うんと可愛くしたげるからね。車はうちの親が出すから』
「こっちこそ、ありがとう。なるべく早く着替える」
自分に言い聞かせるように声に出した。髪結いが待っているならなおさら、迅速に着替えることを目指さねばならない。
花火だって向かってる途中に終わってしまっては元も子もないのだから。
こうして、急用ができた私は通話を切った。
遅くなってごめんとリビングに戻り、着席して父に切り出す。
「祭り行くことになった」
「え……行くのか?」
「うん。なにか買ってきてほしいものとかある?」
「じゃあ、ケバブ。なかったら広島お好み焼きで」
前者はあるか微妙なラインだった。父さん、それ好きだったのか。
「車出すか?」
「大丈夫。向こうの親御さんが出してくれるみたい」
「そうか……なあ、」
本当にいいのかと、父が固い声色で聞いてくる。
まあ、さんざん乗り気ではないことを言ったばかりだからなあ。
断りきれず誘いに乗ってしまったのかと詮索するのも当然か。
けど、気が変わったのは本当のことだ。芹香と一緒に行動するというだけで、イベントへの参加が浮足立つものになるとは。
まったく、恋とは一種の麻薬だと思う。
「デートのお誘いだから」
まだ、父に芹香との関係を言う勇気は出ない。だから今ここで、精一杯の匂わせを声に乗せる。
父は驚いたように目を丸くすると、言葉を咀嚼しているのか数秒ほど静止した。
ややあってそっか、と眉根を下げ、絞り出すように笑う。
「……あ、もちろん泊まりじゃないから安心して」
ついこの間初体験を迎えたとは死んでも言えず、罪悪感が胸を刺す。
たぶん、子を持つ親が不安視していそうなやり捨てや妊娠とかのリスクは一切ないから安心してほしい。なんて、いつ言えるのだろうか。
「楽しんで来なさい」
「うん」
短く言葉を交わして、空になった食器を下げる。
いつか、必ず胸を張って報告するから。決意を秘めて、スポンジに洗剤を染み込ませていく。
洗い終わった食器を拭く父はそれ以降は詮索せず、最新ドラマの話題に切り替えてくれた。
こうして、夏休み最後となる思い出の1ページが綴られることになったのであった。
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