19. 自分の知らない紫苑の顔

 カンナから指摘を受けて、仲を怪しまれるほどにひっついてたことに気づいた。


「ご、ごめん。無意識だった」


 ぱっと手を解放すると、少しむくれた紫苑に目を細められる。

 まずいまずい。逃さないって以前放った言葉があったから、紫苑も恥ずかしくても言い出せなかったのかもしれない。


「あんたの握力だとクロがへし折れちゃうよ。気をつけな」

「ご指摘ありがとうございます」


 当たり前のように手を握るカンナに嫉妬して掴んだとは、口が裂けても言えない。ほんと、自重しないと駄目だな。



 目的地のミ○ドは学生や家族連れで行列ができていた。どうやら辻利コラボ中らしく、目に優しい深緑色ののぼりが立っている。


 なお目玉商品はすべて売り切れており、最推しの抹茶わらびもちが買えなかったことにカンナは屍になっていた。


「うちあほだ……この時間じゃもうないに決まってんじゃん……」

「土日にトライだなぁ」


 汁そばをすすりつつ、カンナはひたすらに魂の抜けた声で嘆きのストーリーをインスタに上げていた。

 そこまでショックだったんかい。


「クロ、ほんと生クリーム好きだよね。もたれない?」

「パンケーキ作るときに欲張ってたくさん泡立てるんだけど、そのたびに胸焼けしてる」

「食べすぎて夕飯入らない、なんてことないようにねー」


 ふたりの会話が気になってトレーに注目すると、確かにクリーム系のドーナツが並んでいた。ポンデエンゼルに、エンゼルフレンチ。

 エンゼルクリームを大事そうにちまちま食べていく紫苑の姿は微笑ましくて、同時に胸がざわついていく。


 私、紫苑がクリーム好きだってこと、初めて知った。


 カンナは、いつから知っていたのだろう。

 自分の知らない紫苑の顔をすでに誰かが知っていたことに、ざわざわと焦りを覚え始める。


 今日だってそうだ。いつも紫苑は昼休みの勉強時間を確保するために、ひとりで食べているものだと思っていた。


 紫苑が誰と仲良くなろうが自由なのに。

 疎遠になったのは自分のせいで、報われるはずのない相手を全部知りたいと思うのは気持ち悪いことなのに。


 だから、ここにいる私は邪魔者なのだ。

 本来、紫苑とカンナで過ごすはずだった時間に割り込んでいるのだから。


 カンナと帰る約束をするタイミングが被ってしまったのは偶然だけど、引き下がるという選択を私はしなかった。できなかった。


 せめて、今だけは聞き役に徹しよう。

 相槌か共感の返事に会話を留めて、カンナと紫苑のやりとりを優先する。


「クロ、端っこ。粉砂糖ついてる」


 カンナが身を乗り出し、封を切ったばかりのお手拭きを紫苑の唇に当てた。

 子供の口周りの汚れを拭き取る親のような仕草に、思わず目を見開いてしまう。


「どうも」


 そして紫苑も、いつもと変わらないポーカーフェイスでカンナに拭われるがままに静止している。


 リップなにつかってる? ジル。うちはアナスイだなー。気になるなら後で試してみる? なんて、ナチュラルに貸し借りの話題にまで飛んだから耳を疑った。


 あれ、女友達ってこういうものなの?

 ボディタッチや間接キスは恋人とそれ以外で線引きをしている私からすると、距離感がわからない。


「ずっとクリーム系ばっか食べてると舌がだるくならん?」

「好物だから別に」

「うちのカレーパン食う? これけっこう辛いから甘いのほしくてさ」

「一口ほしいなら最初から言いなさいよ」


 流れを無視してカレーパンをゴリ推すカンナに、紫苑が呆れた息を吐く。

 サービスだよ、と付け足して。紫苑は2個めのエンゼルクリームを半分に割って、お皿に置いた。


「せっちゃんもいる?」

 気遣うように、紫苑がもう半分を私に渡してこようとする。


「い、いえいえ食べなはれ」

「そう?」


 謙遜してしまったけど、お言葉に甘えればよかったかなと若干後悔する。

 でも、クリームが好物だって聞いちゃったからな。好きな人が好きなものを好きに味わっている姿を眺めるだけで、私的にはごちそうさまだ。


「ありがと。じゃ、お返し」


 一方カンナは、カレーパンを紙ナプキン越しにちぎった。

 それを箸でつまんで、紫苑の口元に持っていく。

 ……え、そこまでする?


「神川、お母さんみたい」

「せめてお姉ちゃんと言え。や、カレーパンって指汚しちゃうからこっちのがいいかなって」

「すぐ拭けばいいだけだと思うけど?」


 カンナの態度に首を傾げつつ、紫苑は控えめに口を開けた。

 ひな鳥の餌やりみたいな光景を眺めながら、あまり減っていなかったお冷を呷る。


 これが、2人の普通なんだ。

 言い聞かせるように、氷できんきんに冷え切った水を喉に流し込んでいく。


 友人という共通の関係でも、カンナと私は紫苑の中で決定的に違うものがある。


 同性が好きか、異性が好きかの差。

 自分を意識しないという安心感がある相手なら、多少はガードが緩くなるのは仕方のないことだ。


 わかっていても、カンナの距離感を羨ましく思ってしまう。

 背景に徹すると決めたはずなのに、心を無にできない自分に苛立ちが募っていく。


「ごめん、ちょっとお手洗い」

「いってらー」


 カンナに半分あげたぶんの残りを食べ終えた紫苑が席を立つ。

 紫苑の姿が見えなくなったところで、カンナが話しかけてきた。


「すずちーもいる? クロからもらったやつ。ほしいなら今のうちに半分に割るけど」

「……なんで? カンナのために分けてくれたものなんだから食べなよ」

「やっぱり欲しそうな顔してたし」

「だから、欲しくなったら買うってば」


 甘いのがほしいって言ったのはカンナじゃないの?

 むしろ、カレーパンを引き取って欲しいとせがんでくると思ってた。


「ふーん、そう」

 あっさり引き下がって、カンナは涼しい顔でドーナツにかじりついた。

 指についた砂糖をぬぐい、肘で私の腕を小突く。


「なんや」

「すずちーさ、クロのこと好きでしょ」

「まぁぁ?」


 ああんとドスを効かせたつもりが声が裏返ってしまった。

 それはほぼほぼ図星の反応みたいなもんで、カンナに腹を抱えて笑われた。

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