3.【紫苑視点】取り戻せない後悔

 病弱だった私は、よく近所の病児保育を利用していた。


 まだ全国でも珍しかった、小学生も利用できる施設。

 そこの職員のひとりが、芹香のお母さんだった。


 芹香とは家が近かったこともあり、そこから一緒に遊ぶようになったのだと思う。

 親が仕事で遅くなる日は、よく芹香の家で帰りを待っていた。


 今考えれば完全に、迷惑な放置子のそれ。

 厚かましく居座っていたことに顔から火が出そうになる。よく出禁にならなかったものだと思う。



『私、誰よりも君のことが大好き』


 中学生になってまもない頃のこと。

 休日に芹香の家で勉強会を開いていたときに、彼女は真剣な顔で想いを伝えてきた。


 大好きな友達に改めてそう言われると、なんだか照れる。

 だけど芹香の”好きLove”は、私が抱いていた”好きLike”とは異なるものだった。


 中学生は、もう子供じゃない。

 象徴となる制服に袖を通した瞬間から、相応の振る舞いを求められる。


 部活や委員会による上下関係が生まれ、教師も教科担任制により距離感は希薄になる。

 自主性を育むため、自分たちで考えて行動しないといけなくなるのだ。


 テストだって、授業の終わりに確認としてやってくれた単元別試験とは違う。

 平均点以下なら内申点に直結するというペナルティを課せられ、高校受験に影響してしまう。


 いわゆる”中1ギャップ”に陥っていた私は、今はそんなことを考えられないという余裕の無さから芹香をふった。


 女の子同士では結婚できないのに。

 夫婦役に分かれておままごとをしていた頃とは違うんだよと、彼女の好意を本気には受け取っていなかった。


 振り返れば、当時の自分はどれだけ無知ゆえの罪深い行動を取ってしまったのだろう。

 また明日からも、友人関係が続くだなんて考えは甘かったのだ。


 同じ頃、『LGBTQ+』を題材とした授業が開かれた。

 ニュースでたびたび耳にしていた言葉の意味すら私は分かっておらず、芹香がそこに属する人間だったことを知った。


 ずっと芹香は、私が慣れるタイミングを待っていたのだろう。


 彼女の部屋には大きい本棚がいくつも置いてあって、頻繁に遊びにいっていた私はほとんどの漫画を読み切っていた。

 その中には女の子同士で恋愛する漫画もあって、芹香はとくにそのジャンルがお気に入りのようだった。


 私は少女漫画と同じような感覚で読んでいたが、好きかと聞かれれば普通。

 ただ、芹香があまりにも夢中になって読んでいるから。

 少しでも感想を共有できるようになりたくて、読み始めたというのがきっかけだ。


 芹香はおそらく、同性愛者である自分を私が避けていると思っている。

 平謝りをして誤解を解くんだ。

 そうしたら、きっと。また、やり直せるはず。


 だけど。残酷な時間の流れは、私に無慈悲な現実という罰を下す。


 芹香はすでにべつの女の子と出会い、新たな幸せを手に入れていた。

 そう、本人から報告を受けた。


 ならばそこで、パートナーを見つけられてよかったねと祝福するのがせめてもの勤めだったのに。


 たった一言、おめでとうの言葉すらも指が震えてうまく打てなかった。

 送信した瞬間、視界がにじんであふれ出すものを止められなかった。


 友人の幸せを応援する温かい涙ではなく。

 隣に自分がいない悔しさによる、冷たい涙が。


 友人と恋人は違うのに、友人として隣に居続けることはできるのに。

 芹香の顔を見ることすらも辛くなって、めっきりLINEの頻度は途絶えてしまった。


 あれだけ漫画で予習をしていたのだから、もっと私に同性愛に対する知識が深まっていたら。

 あのとききっと、もっといい返答ができていたはずなのに。


 取り戻せない後悔の念は尽きることなく、時が流れてもずっと私に巻き付いていた。


 今なら、迷うことなく付き合おう、って言えるのに。

 抑えきれない執着がひとつの言葉へと行き着き、ようやく私は自覚する。


 私の初恋は、ふった親友が別の子と付き合い始めた瞬間に始まった。

 手遅れの、今更どうにもならない想いだった。



 意識が帰りのLHRへと戻ってくる。

 頭によぎるのはさっき届いたメールのことばかり。


 これで、何度目の不採用通知になるだろうか。

 頬杖をつき、ため息も吐く。


 接客態度や手際の良さは努力次第でカバーできるが、この140cmにも満たない忌々しい身長だけはどうにもならない。

 それだけが不採用続きの理由ではないと思いたいが、制服のサイズが無いとかで不利なのは確かだ。


 バイトでこれならば、この先自分に仕事を振ってくれる企業などあるのだろうか。


「では、学級委員、号令を」

「きりーつ」


 芹香のよく通る澄んだ声で、学校での一日が締め括られる。


 斜め前の席に立つ彼女に視線を向けた。

 整ったフェイスラインを伝う髪の毛は、きっちり毛先でシャギーカットが入っている。

 明るい髪色と白い肌が透明感を引き立てていて、クラス内では抜群に垢抜けている子だと思う。


 自覚した今では、つい視線で追ってしまう。

 こんな綺麗な人に相手ができないわけないだろうと、ようやく最近折り合いをつけられるようになってきた。


 いつかは、私も夢から醒める日が来るのかもしれない。

 だけど今は、遠くから見つめ想いを馳せるだけでいい。


 すでに途切れ、朽ちた鎖となってしまった恋心でも。相手が芹香であったことは決して後悔していない。



 さて、今日も面接が入っている。

 願わくばここで、良き出会いに巡り会えますように。

 ひとつ深呼吸をすると、表情を引き締め私は扉に手をかけた。


「いらっしゃいませ、ただいま参りまーす」


 まさかそこで、芹香に出迎えられるとも知らずに。

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