2.【紫苑視点】光と陰
なんでも自分で出来る人。
そういう者に私はなりたい。
ただでさえ私は、生きているだけで迷惑をかけてしまうのだから。
今までどれほどの人間の足を引っ張ってきたことだろう。
理想に向かって努力をしているつもりでも、現実は思うようにはなかなかいかない。
「……あ」
打ち返したはずのバレーボールは、でたらめな軌道を描いてコート外に叩きつけられる。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で頭を下げても、チームメイトは何も言わない。
『また黒川かよ』と言いたげに顔を引き攣らせて、鋭い視線をこちらに投げるだけで。
ズブの素人とチームを組んだところで双方に亀裂が走るだけなのを、いつ学校側は理解してくれるのだろう。
胃の痛くなる試合が終わって、ひとり壁板にもたれる。向こうのコートでは、まだ別のチームが試合をしていた。
「うげっ」
カエルが潰れたような悲鳴に、眠気が一気に霧散する。
「ごめーん」
この距離からでも目立つ、金色に染めた頭髪が火の玉のようにぶんぶんと揺れる。
「何やってんだよ清白ー」
「その身長は飾りかー」
口々に上がる不満の声は、言葉ほど刺々しくない。
私に向ける、無能を蔑む冷淡な目とでは明らかに温度差があった。
私と、あの子。似たようなミスをしたのに、どうしてこんなにも周囲の態度が違うのか。
「ほいやっ」
芹香のチームの女子がこぼれ球をうまく返球して、別の子が打ったボールが相手のコートに弾む。
わっと歓声が上がり、『ナーイス』と芹香のよく通る声も聞こえた。
試合をじっと眺めていると分かるのは、芹香は特段バレーが上手いわけではない。
拾えないときもあるし、トスは回転がかかっている。
でも、芹香は全身全霊でチームを応援している。
誰かが決めても失敗しても、真っ先に届くのは芹香の元気な声。
しっかり周りを見て、ボールを取りに行こうと行動している。
彼女はちゃんと『チームプレイ』をしている。
真似できるかと聞かれたら、到底できるわけがなかった。
体育館の隅で闇と同化する私と、コートの中で輝く芹香。
まぶしすぎて、瞳を伏せる。
私たちは、光と陰だ。
これでも一応、数年前までは互いの家を行き来していた仲なんて誰も信じないだろう。
さて、自主練に戻るか。
芹香たちから背を向けて、さっき試合をしていたコートへと歩いていく。
コミュニケーションに欠ける者にとって、社会は生きづらい。
人望が作れない者に、失敗は許されづらい。
だから私は、足を引っ張らない人間を目指さなければならないのだ。
最後に芹香と話したのは、確か4月の最初の頃だったか。
あの日の昼休み、用事があった私は職員室に行っていた。
教室に戻ると、私の椅子は近くの女子グループに掻っ攫われていた。
ちょっと、人の椅子勝手に使わないでよ。
喉まで出かかっているのに、盛り上がっているガールズトークに割り込む勇気が出ない。
「…………」
結局、私は声をかけられずロッカーから弁当箱を取り出した。
仕方ない、しばらく席を離れていたのだから。
戻らないとみなされ使われてしまうのも当然かもしれない。
諦めて、教室を去ろうとしたときのことだった。
「あのさ。食事中悪いけど、持ち主が帰ってきたから譲りなよ」
関わるはずがないと思っていた女子の声が聞こえて、え、と声に出しそうになる。
学食に行ったと思っていた芹香が、椅子を取った女子に話しかけていた。
「なんで? 別に本人から嫌とは言われてないんだけど」
「黒川さん別のとこで食べるみたいだし、余計なお世話じゃない?」
盛り上がっているところに水を差され、女子連中の声はハエを追っ払うような調子に乾いていく。
もういいよ、芹香。昼休みまでにキープしなかった私が悪いんだから。
波風立つ空気に耐えきれず、間に割り込んで静止しようとすると。
「椅子あればいいんだよね。今から会議室行って、何脚か持ってくるわ」
「……えっ?」
予想外すぎる提案に、私も他の子も目が点になる。
会議室って、ここから気軽に行ける距離にないのだけど。
芹香はさっと教室を出ていくと、数分もしないうちに戻ってきた。
両腕に3脚ずつ、計6脚のパイプ椅子を抱えて。1脚3kgはあるのに。
「許可もらったから大丈夫。ここ置いとくから」
有無を言わさず、芹香は教室の隅にパイプ椅子を立てかける。
そのうちの1脚を女子の目の前に置くと、女子はしぶしぶ椅子を引いて私の席へと戻した。
「みんなも気軽に使ってくれ。困っている子を出すよりはいいでしょ?」
視線などまるで気にせず、芹香はまっすぐ私へと親指を立てた。
もとの喧騒が戻ってきたところで、私は『ありがとう』とお礼を伝えた。
「礼には及ばないよ。だってこの時間、きみいつも勉強してるだろ?」
「…………」
見てたんだ。
ここの女子校は偏差値もそれなりだ。
なのでギリギリの点数で滑り込んだ私は、人一倍勉学に勤しまないと授業についていけないというだけだが。
「今日くらいはいいか、は通用しないのよ。次からはもっとエスカレートする。何も言い返して来ないからこいつの席は好きにしていいんだって、舐められる前にびしっと言ってやらないといけないんだ」
「……簡単に言えたら苦労しない、で終わらせない貴女はすごいね」
自分には絶対にできない。
羨望が混じり、褒め言葉もぎこちなく出てしまう。
思えば出会った頃から、芹香は学級委員や生徒会には率先して入っていた。
部活においても部長を務めていた。
リーダー役という嫌われポジションを買って出る彼女を、私は人として尊敬している。
席について、弁当箱を広げた。
ふわふわした心地はまだ胸の中に残っていて、忙しなく早鐘を打っている。
今の心情を言葉にするなら、”惚れ直している”のだろう。
だけどもう、この気持ちを芹香に抱くのに私は遅すぎた。
今更、どの口で伝えられると言うのか。
食べ進めながら、私は物思いに耽っていた。
いったい、どこで自分は間違ったのだろう。
脳裏には、まだ髪が長くて黒かった頃の芹香が浮かび上がってきた。
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