6.私のことをどう思ってる?

 いつまでも気を使ってないで、話しかけることも大事だ。

 バイト初日っていろいろ心細いだろうし。


「……いいの?」

「ぜんぜんいいんだよ。遠慮する必要ないのよ。ちゃんと自食記入表あるから」


 壁の張り紙の一つを指差す。

 客の注文分を作っている人に、自分の飯を頼みにくい気持ちはあるよね。

 でも1食分の食費を抑えられるわけだし、ぜひ紫苑には積極的に利用してほしいと思う。


「ついでにオーダーしとくよ。なに食べたい?」

「ホットドッグで」

「ほいほい」


 調理が簡単なメニューを選ぶのが紫苑らしい。

 私は遠慮のない女なのでロースカツカレーにする。


 ……待てよ。

 まかないを食べていくとは言ったけど、私がいると気まずいんじゃないだろうか。

 昼休みは友人とつるまず一人で食べている子だし、静かに過ごしたいタイプだよねきっと。


 とは言っても、わざわざ上がるまで待ってくれる程度には嫌われてはいないみたいだし……

 とりあえず料理ができるまで、私は品出しの手伝いをすることにした。


「食べ終わったお皿は下げ台に置いてくれればいいよ」

「ありがとう」


 紫苑の目の前にホットドッグとサラダの皿を置いて、私も向かいの席に座った。

 あー、労働後の空きっ腹にぶち込む高カロリー飯って最高。


「疲れたでしょ。たぶん明日あたり足腰に来るよ」

「来てほしくないので予防法とかある?」

「筋肉の努力否定しないであげて……強いて言うなら日頃からの有酸素運動と、丁寧なストレッチ。食べ物は鶏肉とブロッコリーあたり」

「わかった。試してみる」


 これに限らず、筋トレはだいたいの悩みを解決してくれる。

 人生に迷ったらとりあえず身体を鍛えるべし。


「なんか聞きたいことあります? バイトひと月未満の範囲で答えられそうなことならなんでも受け付けるよ」


 ほとんど聞けないじゃんってツッコミ待ちだったんだけど返ってこなかった。

 むう、上下関係があると聞きづらいか。


 紫苑は逡巡するようにグラスを呷ると、ずいっと身を乗り出してきた。


「貴女は……私のことをどう思ってる?」

「どぅえっひ」


 そりゃもちろん最愛の人ですがと口走りそうになって、わざとらしい咳払いでごまかす。


 落ち着け清白芹香。

 紫苑は言葉通りの質問をしているだけだ。断じて脈アリを確かめる言葉じゃない。

 勘違いするな、向こうはノンケなんだから。


「もちろん、今でもずっと友達だと思ってるよ」

「そう」


 変わらぬポーカーフェイスで頷くと、紫苑はサラダのサニーレタスを口に運んだ。


 そりゃ、友人関係に戻るなら聞くに決まっているよね。今でも自分に対して未練を抱いてないか。


「顔見知りが職場に来たわけだし……仕事しづらいと思っていても不思議じゃないなって。内定を承諾する前に、聞いておけばよかったなって反省していた」


「そんなこと思ってるわけないじゃん。むしろ、一緒に働けて嬉しいって思ってるよ」

「そっか、避けられているかもって勝手に勘違いしていた」


 避けられてる? 何を根拠に紫苑はそう思ったんだろう。

 シカトなんてするわけがないし、せいぜい片思いを引きずってるって思われないように振る舞っていただけで……あれ。


 自分が紫苑にやってきた行動を思い返す。

 血の気が引き、手足の末端がしびれていくのを覚えた。


 友人と思っていると言ったくせに、面接時は店長に友人どころかクラスメイトであることすら紹介しなかった。


 今日だって、挨拶以外は雑談すら交わしていない。

 お昼だって、思い留まったからよかったものの。”気遣って”紫苑と離れて厨房の隅で食べようとしていた。


 ……最低だ。

 全部、私の中では紫苑のために一定の距離を置いているつもりだった。


 過剰な配慮は、悪い意味での特別扱いと変わらない。

 人によって態度を変えるなんて、上に行こうとするものが断じてやってはならない振る舞いだ。


 テーブルに頭を打ち付けたくなったが、今は食事中。

 罪のないトンカツに歯を突き立て、八つ当たりとばかりに勢いよく食らいつく。


「友達と思ってくれているのなら、相応の呼び方に設定してもいい?」

「こっちでは先輩と崇め讃えてくれてもいいのよ」

「オーネパイセン」

「初日から生意気だなハルちゃんさん」


 そういえば、通名以外の呼び方はずっと二人称だったもんね。

 なんと呼べばいいか距離感がつかめなかったから聞いてきたのか。それは私も一緒だけど。


 食べ終わって、なるべく待たせないように私は着替えていた。

 今はカーテン越しで見えないから、存分にほくそ笑む。人にはとてもお見せできない面だ。


 でも、友人に戻るということは。この想いはぜったいに悟られてはならないということになる。

 知られたら最後、友達と思っているからこそ歩み寄ってくれた紫苑を裏切るに等しい。


 いつもの営業スマイルに表情筋をこねて戻して、カーテンを開けた。


「お待たせ」

「じゃあ、行こう。……ちゃん」

「え? なんて?」

「行こうって言った」

「その後の言葉だよ~」


 なんて言ったかは分かるよ。

 でもあえて小声で言ったよね君。後半明らかトーン絞ったよね。


「”しーちゃん”。相応の呼び方に設定したんじゃなかったのか」

 懇願するようにわざとらしく胸の前で指を組むと、根負けした紫苑がぼそぼそと『……せっちゃん』と声に出した。


 数年ぶりになる懐かしい呼称が聴覚に沁みて、天にも昇る心地が胸の底から湧き上がる。

 仲直りして、あだ名で呼び合う。これが交際の光景だったらと錯覚しそうになる。


「久々だからなんか恥ずかしい」

「なら、今後も言いまくって慣れて。二人称でごまかすの禁止だからね」

「……善処する」


 半ば強引にルールを設けて、私は紫苑の隣に並んだ。


「どこか寄ってく?」

 涼しい顔をした紫苑からそう切り出されて、返事がつっかえた。


 寄り道の予定なんてない。でも、紫苑と少しでも長くいたい。

 うーむ、どうしたもんか。

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