魂からの叫びは悟りの快楽に近いものである

ユウユウ

第1話 涅槃の快楽は魂から絶叫と同じである

『かれ』は骸骨をかぶることが心から好きなのである。

ある時彼は魂の存在である死の神を復活させてしまい、その御礼として骸骨の兜を被り骸骨になって生きることが出来ることになる。

しかし『かれ』は心根は善人であり、その死の神への心からの恐怖と自ら復活させた死の神がもたらす世界中の不幸に対し、心から絶叫して拒絶したのである。


しかし!!


魂の絶叫を叫ぶことは悟りを開いた瞬間の快楽にもまさる心の心地よさだったのである。

肉体と声は全身から、内蔵がスプーンの縁でまるですり潰されるように口から絞り出されるような絶叫で拒否しているのに、心は骸骨をかぶれること、骸骨で作られた被り物が乾いてペコペコと頭に当たる音の心地よさを想像して、まるで酔っているような快感でもあり心地よさに浸っているのである。

温度のない温泉に浸かるようなその心地よさは、胸の中心から蝕み手足へとゆっくりゆっくり温度のない温かい心地よさに満たされながら海の潮の満ち引きのごとく、押して引いてを繰り返し、徐々に徐々に手足の先へ殺到するのである。


この絶叫するすべての中身が飛び出るほど、音などという陳腐なものでは表現できない声などというものはなく、それは口から浸かられた鉄バットによる周りすべてのものを叩き潰す存在なのに、心はまさにブッタが沙羅双樹の下で初めて悟りを開いたときの気持ちの如き快楽と充足感に満たされるのである。

この矛盾した状態の彼はずっとずっと叫び続けるのである。

なぜなら心の心地よさは絶叫し続けることで持続するからである。


心から好きなことを全身全霊で拒絶するこの2つの背中合わせの感情がまるで地震を起こす断層のように交わらないのに合わさると気持ちい夢はもっとも恐ろしく辛い悪夢の中にあったのである。


悪夢とはなんと快感であり恐ろしく気持ち良い恐ろしい。

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