【手のひらクルー】手のひら返しはなぜ起きるのか?

エテルナ(旧おむすびころりん丸)

【手のひらクルー】手のひら返しはなぜ起きるのか?

WBCのメキシコ戦9回裏。

それまで不振だった村上選手を批判していた方たちがいましたが、彼が逆転タイムリーを打った直後に態度が一変、途端に褒め称えました。


これを俗に『手のひらクルー』、正しくは『手のひらを返す』といいます。


【手のひらを返す】

急に態度を変え、従来とは正反対の対応をする様子などを意味する言い回し。親身に接していたものが突如として冷淡にあしらうようになる、といった状況を述べる表現

※Weblio国語辞典


Weblioに記載の例の逆、酷評から絶賛の転換も同一です。


この【手のひらクルー】、結果を出したので評価を変えたと言えば聞こえはいいですが、しかし周囲からの反応は冷たいものです。

ネット記事には手のひらを返す人の特徴として――


・面と向かって物事を言えない

・損得勘定で動く

・人や気分で態度が変わる

・間違いを認めたくない

・友達が少ない


などなど、様々なことが書かれていました。

しかしこれ、確かにと思える部分もある反面、実は割と誰にでも当てはまる負の部分を述べているようにも感じます。


誰であっても面と向かって物事を言えないことはありますし、利害関係は求めます。

美人と不細工、著名人と一般人、友達と他人、警察官と犯罪者、人の容姿や職業によって少なからず態度が変わるのが当然です。

間違いを認め辛いことに関しても、人は己のミスを外部からの要因とする『外的帰属』、他人のミスは内面の要因とする『内的帰属』と考える傾向が、心理学の上で誰にでも少なからず当てはまります。

なぜなら己の心を守り、他人を疑う性質を宿していた者の方が歴史上で生きやすく、繁栄しやすい性質であったからにほかなりません。誰しもその性質を遺伝しているのです。

友達が少ないにいたっては結果論です。


誰にでも当てはまることを述べて納得させる話術は、占いにもよく使われる『バーナム効果』といいます。

手のひらを返す人のグルーピングを上記のように設定すると、これらの特徴にのみ焦点が集まるようになり、「確かにあいつはそんな奴だった」と、妙に納得してしまうのです。


『手のひらを返す』という言い回しだと嫌悪感を覚えますが、『見直す』だとか『興醒め』であれば、誰しも体験したことがあるのではないでしょうか。


実のところは誰にでも起こり得る手のひら返し。

しかしなぜこれほどまでに、手のひら返しは嫌われてしまうのでしょうか。また嫌われる行為にも関わらず、手のひら返しは起きてしまうのでしょうか。

そこには心理学的な要因が幾つかあります。


【一貫性欲求】


人は自分の行動に一貫性を持ちたがることを、一貫性欲求といいます。

二重規範(ダブルスタンダード)を嫌う要因には、少なからずこの一貫性欲求が関係しているでしょう。


・二重規範、ダブルスタンダード

同じ人物・集団において、類似した状況に対してそれぞれ異なる対応が不公平に適用していることへの皮肉の言葉である。

※Wikipediaより抜粋


この一貫性欲求を示す例としてフット・イン・ザ・ドア・テクニックがあります。

はじめに大きな要望をお願いするよりも、関連する小さな要望を順に受け入れさせることで、結果的として大きな要望を通せる効果です。


最大目標:訪問先の家の玄関に交通安全の看板を立てさせたい。

・はじめから看板を立てるお願いをする→成功率16%

・安全運転のステッカーを車に貼ってもらう→交通安全の立法化を求める嘆願書の署名→看板を立てるお願いをする→成功率76%


本来なら受け入れられない事柄が、関連する小さな要望を受けてしまったがゆえに、一貫性を保つ為にも断れなくなってしまう。

(蛇足ですがこのフット・イン・ザ・ドア・テクニック、小さな要望を承認させてデートや恋人関係にこぎつけるという、恋愛にも使える効果ですので、恋にお悩みの方は使ってみましょう)


二重規範を嫌い、一貫性を好む人間の性質。もちろん他の要因もありますが、手のひらクルーを見た人が違和感や嫌悪感を覚える一つの理由として、この一貫性欲求が挙げられるでしょう。


とはいえ一貫性を好むなら、そもそも手のひら返しをする人たちが存在しないのでは? という疑問が浮かびます。

しかし彼らには彼らなりの一貫性を持っているとも言えるのです。

そこには認知的不協和があります。


【認知的不協和】


自己の中に矛盾がある状態を、認知的不協和といいます。そして人間はこの認知的不協和を無意識的に解消しようとします。

例えば健康に悪いにも関わらずタバコを吸っている人は、『喫煙者の中にも長生きの人はいる』だとか、『やめた方がストレスが溜まりかえって健康に悪い』などの都合の良い理由付けで、認知的不協和を起こさないようにしています。

WBCで言えば、スポーツは結果が全てなのだから、活躍したことで評価を変えて何が悪い。といったところでしょうか。


つまり彼らは彼らの中で、評価の変換についての合理性を持たせることで認知的不協和を解消します。

しかしあくまでこれは『自己の矛盾』を解消する効果であり、上記では括弧付けで評価の変換を述べたものの、口には出さずに無意識的に己の中で矛盾を解消しているに過ぎず、端から見れば二重規範は解消されていないので許しがたく感じます。

また前半に述べた、他人の言動は内面の要因と考える『外的帰属』も相まって、手のひらを返す奴はクズだとかの人格批判にまで及びます。


個人的には結果で評価を変えること自体は悪くないことだと思います。

犯した過ちや実った成果を、過去の栄光や不祥事で曲解されるのは正当な評価とは思えません。

また人間は成長する生き物であり、今と昔で価値観が変わることは往々にして起こることです。


ここまでの内容だと、手のひら返しを擁護してるのかと言われてしまいそうですが、やはり気を付けるべきは受け手ではなく発信する側の手のひらを返す方にあると思います。


手のひら返しは、批判していたにも関わらず成果を出したという認知的不協和を、己の中で一貫性を持たせる為に解決するが、その経緯が自己完結しているがゆえに、他人から見れば二重規範を犯し嫌悪感を感じてしまう。

手のひらを返した側に悪意はなく、正当だと信じているがゆえに躊躇いもなく発信してしまう。よって手のひら返しはこの世から無くならない。


心がけておくことは、他人の批判をするならば強い言葉は避け、慎重に言葉を選ばなければなりません。誹謗中傷はもってのほかです。

また評価を変える際には謝罪なり経緯なり、その変換を目に見える形で表現すれば、受け手に不快を与えることを防ぎ、意見を変えること自体は無くならないにしろ、余計な諍いを避けることができるでしょう。

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