愚か編
あなたは戦おうと思った。
それが、愚かだったとしても思ったのだ。
だが、あなたは戦えないと感じた。
あなたの体はボロボロだった。立ち上がるのすら億劫で倒れていたい。立とうと思って意識した途端に体中で痛みが走る。痛く苦しく、指一本ですら動かしたくない。
あなたの心は折れていた。たったの一撃でここまでされて折れないはずがない。歴戦の英雄ですら床を見たまま、うずくまり続けたくなるほど。ここは寒くて辛い。
あなたの頭はズタズタだ。何一つ勝てる要素が見つからない。冷静に動き続けた頭は考えることすら放棄した。何も出来ない無力感が全てを奪っていく。
体が勝手に死ぬの準備を始めていた。痛みがスウッっと引いていく。苦しさが消えていく。辛さがなくなっていく。ただ、寒さだけがある。
感覚が遠い。
あなたの魂から体も心も切り離されているようだった。
これは、混乱であるのかしれない。それは、空想に逃避をしているのかもしれない。あわれ、精神が錯乱しているのかもしれない。どうしようもなく、静かに狂乱しているのかもしれない。
流れる時間すら分からない。
あなたはふと、空を見た。だが、そこにあるのは木張りの天井だった。どうして見上げたのかすらあなた自身にも分からなかった。
ただ、思ったのだ。
ああ、まるで留置場に居た時みたいだな、と。
あの時もこんな感じだった。違いなんて……たった一つしかない。いつまでも天井がぶち壊されることがないだけだ。
あの時は留置場に置いて行かれたな、と思った。置いて行かれたことに不満はない。誰もが必死だった。あの時と同じくあなたの耳が捉えた。
少女のか細い吐息。
少女も立ち上がれない。限界なのだ。立ち上がることすら出来ない。それは当然だ。それほどの攻撃だったのだから。生きていることが奇跡なのだ。
ギチっと、音がした。あなたが歯を強く咬み締めた音だった。
あなたは戦たいと思った。
頼る者もなく頼られる者がいなくても。何の意味もなかったとしても。
あなたは倒れたまま板張りの床を見る。少女の方は見れない。見てはいけない。きっと少女は倒れているところなんて見られたくないだろうから。あなたが知っている少女は死ぬかもしれない状況でも折れないの強さを持っていて、傲慢というには人が良すぎることだけだ。そして、あなたを馬鹿にして弱いと弱いと口癖のように言うのだ。お節介であなたを遠ざけようとするのだ。また、一人で行こうとするはずだ。
ふざけるな!
そんな少女だ。そんな傲慢で強情で強引な少女だから、あなたは決めたはずだ。
そのために馬鹿丸出しで町を走り回った。そのために空を見上げてアホみたいに町を駆けずりまわった。そのために、少女に負けないように人だって助けた。
全ては一つだけのため。全ては一つのせいで。
あなたは戦う必要があると思った。
あなたが、今ここに居る理由は一つのせいだ。だから、たった一つを成し遂げる以外は全て些事だ。
だが、その一つは震えるほど怖い。とてもつらい。
惨めさで泣き出したい。走り出して逃げたい。誰にも見られない場所で無様な一生を過ごしたい。
かつて、同じ思いを抱いた時に、あなたは決意していた。
そして、この期に及んでもなお、あなたは少女のことしか頭になかった。
だから、あなたは口に出した。
「お前を……………………見返してやる!」
口に出した。
口から出してしまった。
恥も外聞もなく、あなたは決意を口から吐き出した。
それがどういう意味を持つか分かるから、あなたは口を動かしたのだ。
思うだけなら自由だ。考えるだけなら好きしていい。しかし、口から出してしまったからにはやるしかない。もう引くことは出来ない。やり切る以外に道はない。許されない。あなた自身が許さない。何よりも、その決意が少女本人に聞かれているのだ。何があってもやり切らなければならない。決意は秘めるモノでも口に出すモノでもない。それは、行動だけで示すものだ。
体が動かくても、頭が働かなくても、心が竦んでいても、そんなのは、もはや止める言い訳にもならない。
体が動かくても、だからどうした。やれ。
頭が働かなくても、それがなんだ。やれ。
心が竦んでいても、そんなことは関係ない。やれ。
あなたが自分で決めたことだ。間違っていると分かっていても、やると言ったのだ。たった一つの願いを胸に。たった一人の少女のために。たった一人の少女を思って。たった一人の少女を見返すために!
少女は……きょとんとした。何もかもを忘れて、倒れているあなたを見た。
ほんの一瞬だけ、少女の意識が外れたことでセンゲンクセボサツが不快な表情を作る。
それを見た、あなたはセンゲンクセボサツを理解した気になった。
こいつは巨大な力を持っているだけの構ってちゃんだ。だから、何かをしてやろうと傲慢を通り越したものしかない。それを素晴らしいと勘違いする奴はいるだろう。
しかし、あなたは邪悪だと断じる。
こんな奴はまがい物だ。あなたの知っている傲慢は少女だけだ。お節介な少女の傲慢だけが許されるのだ。
今なら、ラサマが言葉も自分勝手な期待も理解できる。絶望。希望を与えられる屈辱。そうなる前に魔王に挑んで死ね。自分は出来なかったから。
あなたは、あなたと同じラサマを負け犬と呼んだ。そう呼んだからには自分がそうじゃないと証明しなければならない。意味がなかったとしても負けたままでいたくはないから。少女があなたを見ているから。
あなたは拳を握りしめて、殴るように床へつけた。
あがく、床につけた拳を起点に体を起こす。
あがき、あなたは力を振り絞り立ち上がる。
あがいて、立ち上がると膝が情けなく笑い力が抜けて後ろへ体制を崩す。
ポスっと、あなたの体が支えられた。
いや、支えられたわけではなかった。隣にいる少女があなたへ倒れこんだだけだ。それが結果として支え合う形になっただけ。少しだけ、少女が笑った。
「しょうがない奴。本当は、本当に、本当の馬鹿ね、私は言ったはずでしょ。一番最初に死ぬのは私だって」
『馬鹿が話を聞くわけないだろ』
「そうね。もう、弱いくせにおバカなんだから」
あなたたちは寄り添って魔王を見上げる。
観音堂の中央にいる不動の存在。巨大なセンゲンクセボサツと対峙したのだ。センゲンクセボサツはアルカイックスマイルを浮かべたまま、あなたたちの前から巨大な手を引いた。
あなたは虚空に右手を伸ばす。
『俺はやるぞ、やりぬいてやるぞ。だからお前は邪魔なんだよ! こい、テラーオブフォーチュン(絶望未来)!』
あなたに覚悟なんてものはない。大義も理想も立派な志もない。
あるのは決意だけ。
それでも、テラーオブフォーチュンは呼びかけに応じた。
あなたの手の中に黒い槍が生まれた。それは見るだけでも心を蝕む呪いの塊。未来を代償に戦う力を与える存在してはならない禁忌。黒い槍は希望と救いに満ちた未来を貪る。センゲンクセボサツに与えられるはずだった全てが消えうせた。あなたと少女には二度と希望と救いは訪れない。
槍が黒き輝きを放つ。
犠牲が生み出す膨大な力。魔物をたやすく滅ぼし切る力。それをもってしても。届かない、あなたはそう悟った。
これほどの力があっても届ない。それでも、あなたはテラーオブフォーチュンを握りしめる。
『俺の名前を呼べ! 俺の名は!』
あなたは自分の名前を叫ぶ。そして、全力でテラーオブフォーチュンを放った。
槍が黒い軌跡を描き全てを食らう。板張りの床も。赤い柱も。ぼんぼりも。そして、更なる希望を貪るために。呪いの槍は全てを食らい尽くしてセンゲンクセボサツに迫る。
「グラビティカノン(黒猫の輪唱)」
少女の両腕から放たれる超重力ビーム。呪いの力に重力の音階が乗せられて、阻むものを破壊する。
「愚か」
センゲンクセボサツは小指、薬指、中指を順に弾く。発生する超巨大な三連衝撃波。
立ちふさがる壁となった衝撃波に黒き槍は真っ向から激突した。
黒き槍は小指が起こした衝撃波を貫く。
迫る第二衝撃波。
重力の音階が衝撃波を砕く。
押し寄せる最後の衝撃波。
一番大きな力へ黒き槍が食らいついた。
拮抗する。
呪いが衝撃波を食らう。食らい食らい食らい尽くして、溺れるように飲み込まれる。
拮抗する。
重力の音階が衝撃波を砕く。砕き砕き砕き尽くして、それ以上のエネルギーに包み込まれる。
決壊した。
呪いが、重力の音階が潰されていく。
巨大なモノにすりつぶされていく。
失われていく。
……。
その時、歌が響いた。
人を守ろうとする思いを込めた歌が。あなたたちが来た空間の切れ目から届いた。
あなたと少女に誰かがつながる。
力が湧いてくる。
思いが溢れてくる。
あなたたちは、その力を、思いを込めた。
重力の音階が盛大な音をまき散らし消える。黒き輝きを取り戻した槍が衝撃波はを貫く。
そして、センゲンクセボサツに届いた。
衝突。力の余波は空間全体を揺るがす。
世界が紙のように破ける。びりびりに分割された空間が紙吹雪のように、ひらひらと舞い散った。
断絶された空間の向こう側、センゲンクセボサツを相手にテラーオブフォーチュンがどうなったのか、放ったあなたたちにも分からなかった。
あなたの手には届いた感触だけが残っている。それだけは確かだった。
腕を伸ばすことも出来ない狭い狭い空間で、あなたと少女は寄り添って座り込んだ。
「倒せたのかしら」
『手応えがありすぎて分からない』
「そこは嘘でも、倒したって言うでしょ、普通。そんなのじゃ、あれよ。あれ。なんて言うのかしら、こういう場合。馬の耳にも念仏とかかしら?」
『嘘、つかれたいのか』
「はあああ? 言ったら、あれよ。なんかひどいことするから。私にそういう事言うと、凄いわよ。凄いひどいわよ、分かったわね」
小さな世界の欠片が落ちている。一枚の紙切れのようにどこか知らぬ場所へ落ちていく。
それに伴いあなたの意識も暗く沈むようになくなっていった。あなたが今、感じられるのは背中に感じる体温と声だけが全てだった。
『オレはどうだ』
「……救いようもないおバカね。おバカを救うのがどれだけ無駄かってのが分かったわ」
『そうじゃない。そうじゃなくて、見返したかって聞いてるんだよ』
「見返すって、あなた……私、あなたの名前すら知らないんだけど」
『俺の名は』
「知ってるわよ。何度も叫んでたでしょ……ぷぷ、何度も何度も本当に本当に、おバカみたいにっていうかおバカ叫んでたじゃない。私は礼儀として言っただけよ。私の名前はミゼカ・ナイゼンよ」
『馬鹿馬鹿言うな。俺はこう呼んでくれ、あー、ユウ……YOU……ゆう……勇者?』
「思いつかないなら言うんじゃないわよ、おバカ勇者」
『うるさい』
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