賢者編

 あなたは必死に頭を動かす。

 今まで使ったことがないような脳みその片隅すら動員して。

 少女の声すら耳に入らないほど集中して。

 血管がぶち切れそうなほどに。

 シナプスが火花を散らし。

 考えた。

 目玉が血走るほど知恵を巡らせた果てに、センゲンクセボサツの言葉を正しく解釈した。

 救世。慈悲。真理。どれもが同じ言葉だ。その同じ言葉が指すものは一つしかない。それは、センゲンクセボサツのことに他ならない。

 救いを与える。それはつまり、願いを聞くのだ。天上天下唯我独尊。誰もが無視できない存在。誰よりも価値がある。

 誰よりも価値があるという傲慢をも通り越した超越意識。その証明として願いを叶えるのだ。

 正しく理解できれば、これほど分かりやすいことはない。正しく解釈できたから、これほど扱いやすいものはない。自然現象に意味を問う事と同じなのだ。

 天啓とも呼ぶべき閃きをあなたは口から漏らした。

『お前は、見つけたものの言うことを聞くはずだ』

 それは、かつて真理を、悟りを開いたと自己申告した者たちと同じように。凡人には理解できない真理を語る。

「やめなさい!」

「求めよ、求めよ、救いを求めよ。餓鬼ども」

 倒れたまま、あなたは目の前にある巨大な手を見つめる。立ち上がった少女はあなたに小さく震える手を伸ばす。

「お願い、やめて」

 少女の懇願にあなたはガスマスクの下で、何でもないよと笑った。血走る目を向け、怖がることはないと引き攣りながら微笑んで、そして、センゲンクセボサツの指に触れた。迷える人がそうするように。希望と救いを求めた。

「魔物がいた世界へ帰ってくれ」

「良いぞ、良いぞ、餓鬼よ良いぞ。大悲呪が終わりし時に再びまみえようぞ」

 センゲンクセボサツは48の腕のうち、一本の腕を動かす。蓮の花が描かれた水差しを自身へと傾ける。現れた巨大な泡がセンゲンクセボサツを覆い、次の瞬間に消えた。

 跡形もなく。味気もなく。呆気もない。

 無空。

 観音堂が変わっていく。

 センゲンクセボサツが居た中心から徐々に変化していく。

 傷一つなかったこげ茶色木張りの床は、軋みあげる廃材へと成り果てる。天井はクモの巣が張り巡り、柱は今にも崩れ落ちそう。ぼんぼりの明かりは消え失せ、燃え尽きた抹香の匂いが残っている。

 広大な廃墟に残されたのは、あなたと少女だけだった。

 暗い空間で立ったままでいた少女は顔を伏せて声をこぼした。

「どうして、こんな事をしたの」

 ダメージで体を動かせないあなたは目だけで少女を見る。少女は目を合わせない。

「私は、あんなのに屈するぐらいなら。死んだ方がよかった」

『勝てるはずがない』

「そんなことで諦めるなら、最初から勇者になんてなってない。この惨めな気持ちはなんなのよ。こんな気持ちを知りたくなかった。どうして、私は死ねなかったのよ」

『命は大事だ』

 少女は初めてあなたと目を合わせた。それは、暗い目だった。勝気で炎のようであった瞳は燃え尽きたように暗かった。

「あなたのせいで私だけは助かったわ。よくも、よくも、よくも」

 昏い瞳はあなたを見ていない。あなたを瞳に捉えていない。

「ありがとう」

 真心のこもらない感謝の言葉があなたの胸を打った。

 あなたに立ち上がる力が湧くことは二度となかった。だから、倒れたままであなたは考える。

 間違っていないはずだ。

 間違った選択をしていないはずだ。正しい選択をしたはずだ。何の意味もない、何の価値もない選択をする者などいるはずがない。誰もがこちらを選ぶ。

 ならば、この結果はなんだろうか。どうして、こうなったんだ。どうすればよかったんだ。

 あなたは、考える。

 今まで使ったことがないような脳みその片隅すら動員して。

 血管がぶち切れそうなほどに。

 シナプスが火花を散らし。

 考えても出ない答えを。

 あなたは、いつまでも考え続けた。自分の望んだことすら忘れて、考え続けるしかなかった。

【賢者編終了、エピローグへ移動】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る