魔王討伐編②

 ゆっくりと景色が流れる。

 春空に白い雲。日差しがガラスの窓を通り抜けて、冷たくなったあなたの肌を慰めるように暖める。

 モノレールからの景色は不思議なものだ。時速60キロの低速さにも一因はあるだろう。だが、街を走る電車では分からない、車でも分からない。それは視点の高さだ。根本的に違うのだ。飛行機やヘリの上級から見下ろすのともまた違う風景がそこにはある。

 普段は下から見上げるビルを見下ろすのは、それだけでも何とも言い難い感覚がある。遠くまで見通せる視界は、街をジオラマの如く見せて、目を凝らせばマンションで干している布団すら見える。ゆったりと、止まることなく流れ続ける景色。揺れも少なく、風で止まることもない眺め。変わり続ける街並みは、まるで自分がドローンにでもなったような錯覚で町を見ることが出来る。

 町の外は自然が多く、町の中心に近づくほどにビルが大きくなる。町の中心にある二つのビルが橋で結ばれる形の都庁。そこが終点だ。

 あなたはガラス窓の向こう側に一瞬冒しなものを見た気がした。だが、それは直ぐに見えなくなった。最初からなかったのか、それとも単純に疲れているだけなのか。自分のことであるはずなのに、あなたには判断がつかなかった。

 それを見かねたのか、向かい側に座る三人のうちの一号が声をかけた。

「休めているか」

『休憩中だ。見ればわかるだろう』

「そうか、そうだな。その、モノレールはどうだ? 実はモノレール初めて動かしたんだけど、まさかゲームでやった通りとはな。自動運転も起動できたぜ。悪くない乗り心地だろ」

『流石、自衛隊。マニアックだな』

 おうよ、と言って一号は沈黙した。代わりに肩をすくめた二号が務めて陽気に言葉を投げた。

「ヘイ、パワーだせよ」

『次の戦闘までには回復する、少し休ませろ』

 ファットダンディはあなたのガスマスクを見て、イラっとした感じで口を開いた。

「お前のせいじゃない」

『それくらいわかっている』

「分かってるだあ? そんなわけあるか。お前のせいじゃないってのは、オレの前でしけた面してんじゃねえぞボケ野郎って意味だ、額面通りに言葉を受け取ってんじゃねえ」

『俺の顔はガスマスクで見えないはずだが』

「そんだけ、しけた空気が漂ってんだよ」

『うるさい』

 あなたには分かっている。なぜ、ファットダンディたちが声をかけてくるのか。それでも、あなたは耐え切れずに、胸にある喪失感を口から吐き出すしかなかった。

『……助けられたはずだ』

「お前ほどの奴が言うんだ。そうだったろうな」

『もっと早く動いていれば、もっと早く目が覚めていれば、血だまりにあった穴に注意を払っていれば、モノレールにとりついた瞬間になりふり構わず撃っていれば。出来ていたはずなんだ』

「お前が言うんだ、きっと出来たんだろうな。で、止めるのか? 魔王退治」

 ファットダンディはあなたのことを全て肯定した。肯定したうえで、冷徹にこれからのことを聞いた。大木のように変わらない冷徹さを前に、あなたは願うように聞いた。

『俺は誰かを助けられるか』

「無理だな」

『俺は誰かを助けられると思うか』

「思わない」

『俺はまた、誰かを見捨てるのか』

「そうだ。オレたちに余裕なんてあるわけがない」

 ファットダンディの表情は変わらない。あなたにファットダンディを力づくでも黙らせたい衝動が湧き出て、握りしめた拳で近くの窓を叩いた。

「で、止めるのか? 魔王退治」

 ファットダンディが、また冷徹にこれからのことを聞いた。言葉は変わらない。変わる必要はない。ファットダンディもあなたも一号も二号もいる理由はそれだけだからだ。それ以外に存在しないから聞く言葉は同じ。

 ファットダンディは立ち上がり、あなたへと近寄づくと窓に勢いよく窓に手をつけた。

「お前は、無力なガキを切り捨ててオレと来たはずだ。今更、ガタガタ喚いてんじゃねえ」

『……分かっている』

「この程度で揺らぐなら、分かってるつもりだって言うんだよ。ガキみたくな。なんだったら最初から、あの馬鹿なガキについていけばよかったんだ」

 その後の言葉は言われなくても分かった。

 ――そうすれば誰かを助けられた。

 ……。

 それだけだ。それだけでしかない。その行動は魔王を倒すことにはつながらない。それでは事態は収束することなく続く。悲劇はなくならない。

 自分で決めたことだ。最善の行動よりも最良の未来を選んだはずだった。

 決断したことこそがあなたを苦しめる原因だ。それは決してなくならない。機械だったらと願ってしまわずにはいられないエラー(感情)。

 目の前に起きたことで決意が揺らいだ。リスクとリターンの判断を誤った。戦う必要はなかった。貫くための意思が足りなかった。

『俺はコールド(冷血)だ』

 次は揺らがないように、あなたは願った。

 ファットダンディは鼻で笑い、あなたから離れる。

「アホ、お前はアホだ。オレがデブなようにな。でなけりゃ、こんなところに初めからいない。なあ、あのおっさんは最後にお前に行けって言ったんだ」

『思いをくみ取れ、ということか』

「違う。それが復讐してくれなのか。危ないから早く離れなさいねーなのか、は知らん。それでも無駄にするかどうかはお前次第ってことだ。悲しむのは終わった後でいいし、そもそもがオレたちよりも家族がやってくれるだろうよ」

『……そうだな。俺たちはお助けマンにすぎないんだから、そういうのは他の奴に任せることにする』

 席に戻ったファットダンディは、手を叩いた。

「よーし、しけた空気を出しているノンデブの面倒なのが片付いたぞ」

『……俺を弄るな』

「はっ、オレをデブ弄りする奴には復讐弄りをするに決まってんだろ。だが、今はそれどころじゃない飯だ! カロリーだ! ついてこれなかった下っ端共のおごりの飯だ!」

「ヒャッハー、メシメシ焼き肉弁当焼き肉弁当!」

「ベントゥベントゥカスクートサンドイッチ!」

「鮭ハラミ握り!」

 やけくそに叫ぶ一号二号。ファットダンディたちは足元に用意していた袋から弁当にガッツいた。それはもう勢いよく。バクバクを大口を開けて。

 ガツガツと見ている方が腹をすく食べっぷりを見て、あなたも腹の具合が減っていたことに気づいた。いつの間にか、あなたの足元にも弁当などがあった。

『これ、どこで用意したんだ』

「モノレールに乗ってた、乗客を運ぶついでに運んでたんじゃねえの。代金は下っ端共が建て替えておいたから気にすんな、レジを通していない? 緊急事態だ」

「そうそう」

「問題があったら、後で下っ端共が首になるだけだ。生きてればな。死んでたら気にする必要もないってもんだ」

「そうそう。ソウソウ!?」

『うるさいぞ、ソウソウマン』

 あなたはガスマスクを脇に投げ捨てた。

 掴んだ割りばしで肉が並ぶ焼き肉弁当を一気に食らい、サンドイッチをかみつき、おかずの鮭ハラミ握りを丸かじり。コーヒー牛乳で流し込みこむ。

 焼き肉の味。ハムとチーズの味。コメと鮭の味。

 肉、コメ、ハム、鮭。

 次々とあなたは食らい尽くしていく。

 負けじとお握りを両手ににかぶりつくファットダンディ。まさしくデブの鑑だ。食いながらもファットダンディは話をする。

「よし、とっておきの話をしてやる。いいか、デブにはあるモノがある。それがお前らに分かるか?」

「体重だな」

「カロリーだ」

『デブの称号』

「外れだアホども。答えは鮮度だ。デブには鮮度がある」

『温度の間違いだろ』

「デブの体温は高いものって決まってんだろ! いいか、もう一度言うぞ、鮮度だ。いいか、デブを見たらまず何を思う」

「ムサイ」

「ホット」

『デブだ』

「そうだ。それが鮮度だ。そして鮮度は落ちると決まっている。クラスに一人ぐらいは居ただろデブ。見慣れるとどうなるよ」

『ムサくて室温を上げるデブだ』

「アホか! それは走ったときに感じるだけだっての。いいかよく聞け、オレにまたずれが起きたときの話を」

 ファットダンディが両手にお握りを持ちながらデブについて熱く語る。

 ファッキン自衛隊員一号が、自衛隊の飯がいかにうまいを熱弁し、だったら持って来いよを全員が無茶ぶりをする。

 ファッキンステイツ隊員二号が、ステイツ飯を語ればファットダンディがピザの話に食いつく。

 あなたが、地元の飯を話して滑って全力で突っ込まれる。

 ……。

 ……。

 あなたたちは短い時間で言葉を交わす。誰もが必死に騒ぐ。

 あなたたちは想像せずにはいられなかったのだ。

 魔王の前座ですら、あの強さだった。見つけてもいない魔王というのは、どれほどの強さだろうか。

 次は誰が居なくなるだろうか。ファットダンディが、一号か、二号か、あなたか。それとも全員か。

 想像は容易く心を侵し不安定にさせる。祈りたくなる。泣いて許しを請いたくなる。それで済むなら安いものだと思ってしまいそうになる。

 それを隠すためには騒ぐしかなかった。俺たちは勇敢だと誤魔化すために、下らない事ではしゃいで無理に明るく振る舞った。死ぬのなんて怖くないと見せるために、ブラックジョークで盛り上がる。弁当を食いまくって、誰の目も気にせず騒ぐ。

 騒いで騒いで。

 モノレールの終点が近づくころには全員の腹が裂けそうになっていた。当然、ガスマスクを着け直すあなたの腹もだ。

 吐きそうな顔の一号、二号。平気そうなファットダンディ。あなたは苦しい顔をガスマスクで隠している。そして、涼しげな声を無理に出した。

『そろそろ終点だな』

「一応程度には外を偵察してたが魔王っぽいのは見つからなかったな。どこに居るんだよ、ローリング作戦とかマジ勘弁しろよ、オレはデブだぞ、歩くと膝がやられるんだよ」

「おい、アレ」

 一号が外を指さした。

 そこにあるのは都庁と魔王の姿。

 それは、あなたが見たものだった。見間違いだと判断したはずのものだった。

 見ただけで体が勝手に戦闘態勢に入り、腹に入ったモノは即座に消化される。あれほどあった満腹感はなくなり、今すぐにでも動くことに問題はなかった。

 モノレールは留まる。

 停車アナウンスが無人の駅に流れ、あなたたちは追い出されるように歩く。モノレールに乗っていた時とは違い無言で、誰一人話すことなく都庁についた。

 高さ二五二メートルの二つの塔がつながった構造。それは、タックスタワーと呼ばれている。上に行くほど不自然にねじれるデザイン。灰色のコンクリートと青いガラスの窓が見るものを威圧する。手前を長いスロープになっていて、広場ほどの大きさで噴水もある。大きな通りに面し、車での出入りも出来るようになっていた。

 あなたたちは魔王を前にした。いや、魔王を上にした。

 魔王はそれほどの異様だった。

 あるいはどこを魔王と呼んだらいいのか分からない。タックスタワーの前に存在するそれは魔王なのは間違いない。しかし、本当に魔王と呼んでいいものなのか考えても答えは出ない。

 あなたの瞳がガスマスク越しに見つめる魔王は、空の切れ目から生えている巨大な魔物の左腕だった。指の大きさだけでも人間をはるかに超える大きさ。腕だけで全長は一〇〇メートルあるだろう。指の数は5,造形としては通常の魔物と違い仏像のように整った腕であり、白い硬質のものに覆われ、それが防具のようにも見える。

 魔王の左腕は見つめるあなたたちに気づていないのか、動くことは一切なかった。動いた時は惨劇が始まる合図に他ならない。それを疑う者はいない。

 春風、漂う桜の香りだけが場に不釣り合いだった。

 見ただけで、冷や汗を流すファットダンディが口を動かした。

「プランを出せ」

『敵巨大、戦力不明、目的不明、敵位置前方空中。人間が挑むものじゃない、地対空ミサイルで飽和攻撃でもしていろ。重砲なら数を用意するんだな』

「要は相手は空中戦艦として見ろってことだな。空中戦艦ってなんだよ、戦艦てのは普通、海に浮かんでるもんだぞ。攻略法なんざ知らん、プランなんかあるわけはない。アレが動いたら死ぬだろうが、突っ込むしかねえってことだ。おら、ここが墓場だ。お前ら全員死んでこい」

『意外と早く言ったな』

「命令は嫌いか」

『聞くまでもないな。デブと同じくらいだ』

 あなたたちは散会し各個に銃を構えた。

 銃越しに魔王の左腕を見据える。あまりの大きさにどこを狙っていいのかも分からない。外す事がないのだけは確かだ。難点を言えば、見上げ続けなければならないことだ。見上げなくなったときのことは考えなくていい。

 あなたは下らないブラックジョークで自分の緊張を解す。

 間を置かずファットダンディの号令で一斉射撃を開始した。

 連続する銃声がタックスタワーに響く。

 銃弾の嵐が魔王の左腕に襲い掛かる。襲い掛かっても反応はなかった。全ての銃弾を受けてなお身じろぎすらしなかった。銃弾は着弾するたびに白い防具を削りとっている。だが、それは巨大な体からすれば文字通り細胞の一部程度なのだ。細胞を削るために銃撃は続く。

 白い防具は削られたそばから魔物と同じ黒いちりへと変わる。春空をバックに辺りへ降り注ぐ光景は火山の灰だ。そして、火山灰のように降り積もり、ようやく魔王の左腕が動いた。

 腕を上げて、平手のまま地面へと叩きつけた。それは黙れと、人がやるようにではない。虫を追い払うように乱雑な行動だった。矮小な相手を気遣うようにも見える一撃。それだけ手加減していたにも関わらず、広場のコンクリート地面が割れた。

 魔王の左腕はスルッと動き、元のタックスタワー前で陣取り元のように動かなくなった。

 目の当たりにした脅威。想像を絶する攻撃力。足元を揺らす小規模地震。

 しかし、その程度で今更ひるむ奴ははいない。そんな軟弱な奴ならモノレールから降りてこなかった。貧弱な奴ならこの場に来ることはなかった。脆弱な奴なら元凶を潰そうと立ち上がることはなかった。

 あなたのチームは屈強だ。あなたたちは銃を構え直し、固い引き金を引き続ける。

「効いてるぞ、撃ち続けろ!」

 ファットダンディが叫ぶ。

 明らかな噓。誰も引っかからない子供だまし。仮にでも効いているならば魔王の左腕は直接的な攻撃をしていたはずだ。だが、これは闘志を保つために統率するリーダーの言葉。あなたたちは嘘だと理解していても銃撃を続ける。鼓膜が痛くなり、火薬の匂いでむせ返るころに執念は実を結ぶ。

 集中射撃を受けた小指が千切れ地面に落ちた。ドズンと重い音を立てて、コンクリートへ沈んだ小指は黒いちりへと変わっていく。

 とうとう……魔王の左腕が動き出す。

 まず、やったことは手を広げることだった。残った四つの指をピンと張る。そして、腕を持ち上げ、撃ち続けるあなたへ叩きつけた。

 銃を構えたまま跳んで躱す。あなたは、そのまま引き金を引く……ことができなかった。

 魔王の左腕から発生する風圧があなたを吹き飛ばす。逆さまの視界でも地面を転がりダメージを逃すあなたを小規模地震が襲う。平衡感覚が失われる中コンクリートの礫が飛び掛かる。

 素早く銃を構え直したあなたは揺れる中でも正確に礫を撃ち落とす。さらに引き金を引いた。銃弾はコンクリートに埋もれる左腕にも届く。

 ダメージを受けても何事もなかったように魔王の左腕は再び持ち上がる。

 二度も同じ攻撃を食らう轍を踏むあなたではない。今度は余裕をもって腕が落ちるよりも早く動く。それでも風圧でジャケットがなびく。だが、またも起きた小規模地震が襲いたたらを踏まざるをえなかった。

 襲い掛かる礫を撃ち落としつつ魔王の左腕に目を凝らす。

 地震を任意に引き起こせるのならそれだけで終わってしまう。

 何か仕組みがあるはずだと、あなたはガンマンの目をもって全て観察する。

 落ちてくる腕。何もない。回避。

 発生する風圧。何もない。通り抜けた。

 コンクリートを叩く。小規模地震が発生する。跳んでくる礫を撃ち落とす。

 ……結果は何もなかった。特殊な能力など何もない。対処はできない。発生を止めることなど不可能だ。

 埒外な存在を前にあなたの背筋に戦慄が走る。

 動作の全てを見逃しはなく、余すことなく見ても、コンクリートに埋もれる左腕が地面を叩いただけ。たったそれっぽっちで、小規模地震を、1トン爆弾のような衝撃波を発生させていた。

 銃を構え直すあなたの前で腕が持ち上がりワキワキと指を動かす。今までよりも明確な意思を感じさせる動作は、何かの前兆だった。

「走れ!」

 あなたと前兆を同じく感じ取ったファットダンディが滅茶苦茶な指示を出す。

 銃撃を中断したあなたが距離をとる。ファットダンディと一号も走り出し、二号がわずかに遅れて続く。

 魔王の左腕がそれぞれが居た場所を順番に掌を叩きつける。リズミカルにダイナミックに。逃げるあなたたちを追うように叩きながら、時折だけ先回りして叩く。常に逃げる先を変えるあなたたちを追いかけながら広場を滅多打ちにする。それはもう無差別爆撃だった。止まらぬ爆撃音。発生する地震が足を止めさせる。発生する風圧で吹き飛ばされる。あなたたちには抵抗する事すらできない。

 執拗に滅多打ちにされた部分は陥没。それ以上に周りが隆起する。砂絵のように変わっていく地形。わずかな時間で広場は姿を変えて塹壕迷路となった。

「塹壕の中に入って撃て!」

 逃げ道を絶たれたあなたたちはファットダンディの指示で地の底のような塹壕の中へ入る。

 土とむき出しの岩。その隙間に体をねじ込む。

 すぐに魔王の左腕が爆撃を引き起こす。響く爆撃音と衝撃。しかし、固められた塹壕は崩れることがなかった。

 あなたたちは、魔王の左腕が来れば頭を隠して通り過ぎるのを待ち、爆撃が終わると同時に顔を出して銃撃を繰り返した。

 三巡したところで左腕は動きを変えた。効果がないとみて爆撃を止めたかと思うと砂遊びをするかのように大量のコンクリート片を掴む。それを細かく握りつぶしながらあなたたちの上からまき散らす。蟻を砂で押し潰す遊びのように。

 巨大な魔王の左腕からすれば砂利に過ぎなくても人間からすれば岩の塊だ。一つだけでも当たれば押し潰されて死ぬ。当たらなくても塹壕に埋められて死ぬ。悪魔の二択だった。

 岩の雨が降り注ぐ。あなたは必死に落石を銃弾で破壊する。砕け散る岩は石へと姿を変える。石の雨が無慈悲に塹壕へ降り注ぐ。鋭い石辺があなたの耳をかすめて血が流れる。あなたの脇で塹壕から額から血を流す二号が飛び出した。その判断は一点では間違っていない。落石を逃れられて塹壕に埋められて死ぬこともない。一見画期的にも見える解決策。だが、それは、あまりにも。

「今すぐ戻れ!」

 体の半分が砂に埋まっているファットダンディ。その指示は遅かった。

 落石を止めた魔王の左腕は持ち上がった。銃撃の嵐を受けても動きは一瞬たりとも止まらない。

 二号は不意に止まった落石に空を仰いだ。その目が最後に見たのは巨大な掌だった。

 ……。

 再び持ち上がる魔王の左腕。何の感慨も躊躇もなく。虫けらのように二号が潰れた。潰された場所には血の跡すら残っていない。魔王の罠にかかった者の末路は質の悪い冗談のように何も痕跡はない。爆撃で死ぬとはそういう事だ。魔王に挑むと言うのはこういう事だ。

『二号!』

 あなたはコードネーム(名前)を叫ぶ。ファットダンディも一号もコードネーム(名前)を呼んだ。しかし、返事などない。あるわけがない。死んだ人間はもういないのだから。それでも名前を知らない誰かの名を叫ばずにいられなかった。

 今、出来ることは確実に消耗している、そう信じ撃ち続けるしかない。そうでなければ二号の死が無駄になる。

 あなたたちは悲しみを怒りへ変えて銃撃を続ける。それをあざ笑うかの如く魔王の左腕は平べったい石塊。広場ほどの大きさの岩盤を掴んだ。

「今すぐ隠れろ!」

 ファットダンディの指示。ファットダンディと一号が塹壕で身を低くする。

 あなたは冷静に破壊力を想定する。

 岩盤が塹壕に当たったら崩れる可能性はあまりにも高い。そうなったらチームが丸ごと生き埋めだ。

 あなたは投げるモーションに入った魔王の人差し指に銃弾を集中する。力加減を狂わせられた魔王の左腕は一枚の岩盤を握り潰してばらまいた。

 岩盤はいくつもの砲弾と化す。それですらも脅威だ。向かってくる砲弾を更に銃弾で粉砕する。着弾の寸前であなたは塹壕へ隠れる。その直後に起きた衝撃が塹壕全体を揺らがす。塹壕のあちこちが崩れて土煙が一帯を覆う。あなたの尽力の結果、あなたたちが居る辺りは崩れることはなかった。

 続く地震が収まったころにあなたは降りかかった土を払う。その間に追撃はない。魔王の左腕も見失っているからか、と考えたあなたは移動を開始する。場所を変えておけば発見が遅れる可能性があるからだ。ほんの些細な時間でも結果が変わるかもしれない。

 幸いにもあなたは着用しているガスマスクのおかげ行動に支障のない。ファットダンディたちと違って砂埃の影響も魔王の左腕が視認できない以外はないようなものだった。

 あちこちが崩れより複雑になった塹壕迷路を辿る。手探りで壁を伝いながらの移動。崩れていない塹壕を辿りながら見つからないように慎重に離れる。こちらからは見えなくても上空からは見えている可能性がある。それこそ神の視点の話だ。攻撃がないという事は見つかっていないはずだ。あなたは自分を言い聞かせ、塹壕から出ないことを徹底して移動を続ける。いくつもの行き止まりの果てにいい場所を見つけた。

 塹壕でも少しだけ広い部分。ファットダンディたちとも離れていて、ここなら敵を見やすく逃げやすい。

 あなたは銃を構えてタイミングを待つ。

 砂塵はいまだに視界を覆い隠している。今すぐにでも銃弾を撃ち込みたい気持ちを抑えて待つ。

 少しずつ薄くなっていく砂埃。あなたには声が聞こえた。耳から聞こえる声ではなく、あなたの内側からの声。

 あれほどの目標なら適当に撃っても当たるはずだ。二号もそれを望んでいるはずだ。

 あなたを惑わす誘惑の声。引き金が軽くなりそうな錯覚。感情が引き起こす幻聴。

 だが、あなたは耐える。

 有効打も確認できない状況で撃つにはいかない。ファットダンディも待っている。俺だけが暴発するわけにはいかない。機械は正確でなければならない。

 頭に理屈を思い浮かべ、甘い誘惑の声を必死に振り払う。

 待つ。待つ。待つ。

 土煙が消えた。

 待ちに待った機会。あなたは引き金を……引けなかった。

 青空と傾くタックスタワー。そこに、あるべきはずのものがなかった。

 銃を構えたまま視線を動かすが、あれほど巨大な物体が消えていた。見間違えようもないはずの魔王の左腕がなかった。

 左上から水平に視線を動かす。青空。タックスタワー。青空。塹壕。地面。必死に探すが魔王の左腕は影も形もない。

 あれほどあった爆撃地獄が嘘のようだった。嘘のように消えていた。

「もしかして、終わった……のか?」

 狐に化かされたような状況にファットダンディも困惑を隠せなかった。

 あなたも同じだ。何もできないやるせなさに銃を握りしめる。

 広場に沈黙の帳が落ちる。

 最初は音。空の破れる音が静かな空間を打ち据える。

 次は振動。空間が破壊された衝撃波があたりに散乱する。

 最後は色、空の欠片が一枚ひらひらと落ちた。

 あなたの右にできた空間の切れ目から魔王の左腕が伸びる。あたかも新幹線のように横を通りすぎた。そして、遅れてくる風圧があなたの体を吹き飛ばす。筋を伸ばし切ったところで左腕は止まる。一拍後、スルスルと空間の切れ目に引きさがっていった。出来たばかりの空間の切れ目は、すぐに塞がり元通りとなる。

 素早く立ち上がったあなたの耳に音が聞こえる。空の破れる音だ。

「今すぐ塹壕から離れろ!」

 ファットダンディの指示と同じタイミングであなたたちは塹壕から飛び出す。

 空間を破り出現した魔王の左腕は塹壕をドリルのように削りながら通り過ぎた。暴風と巻き上げられた礫が降りかかる中、あなたは銃を構える。だが、そこには何もない。撃つべき相手は既に空間の中へと隠れていた。

 避けれたのは偶然だ。逃げることすらままならない状況。幸運は二度も続いた。次は当たるだろう。回避することも出来ず、何より相手がいないのならば攻撃することも出来ない。

 有効な手はない。何もできない。

 絶望的な状況。

 現状を正しく認識することで腹をくくったあなたは広場の中央で足を止めた。

 目を閉ざし極限まで神経を研ぎ澄まして攻撃の前兆を待つ。

 これはピンチだ。

 次の攻撃を察知できなければどちらにしても死ぬ。ならば、攻撃できる可能性がある方にかける。

 あなたは自らの体の状態を確かめる。視覚に問題はないが目はダメだ。死角から攻撃されている。聴覚は度重なる銃声で鼓膜はしびれていて頼りにならない。

 使うべきは別の感覚。

 あなたは待つ。集中力を高めながら、次の攻撃を。

 首筋に薄紙を張り付けるような微細な感覚。あなたは右へ跳んだ。

 背後から飛び出した魔王の左腕が通り過ぎる。地面を削りながら空間へ引きかえった。

 振動だ。一瞬だけある空間の振動を肌で感じ取れ。

 あなたは左から感じた感覚から逃れるように転がって躱し通り過ぎた魔王の左腕を撃つ。薬指が欠けてちりとなっても、止まることなく空間へと消える。

 確実にダメージが蓄積されている。

 ようやく見えた成果にわずかに気が緩む。そのため肌が感じた弱い感覚に反応が遅れた。

 あなたはその場で銃を構える。銃口の先にいたのは一号。その体を中指がかすめる。それだけで交通事故にあったように服が破けて弾き飛ばされた。

 一目で分かるヤバい飛ばされかた。

 今度は魔王の左腕は消えなかった。あろうことか、地面でうずくまる一号を中心に据え、中指を地面に突き立て円を描く。ぐるぐると回る中指は中にいるものを出さない檻だ。もし、触れれば弾き飛ばされるのは目に見えている。

「俺に構うな! おら、来いよ化け物! 自衛隊員の意地を見せてやる!」

 この状況が罠だと悟った一号が叫ぶ。そして、魔王の左腕を撃つ。立ち上がることすら出来ずに狙いすら定まらない銃。放たれた弾丸は巨体をかすめもしなかった。

 中指の描く円が地面を削る。少しずつ、少しずつ円が小さくなる。

 それは閉じていく螺旋だ。いつか、中心へたどり着くための焦らし。木の棒で蟻のように嬲る仕草にあなたは走る。

『今行くぞ!』

「切り捨てろ!」

 あなたの背中にファットダンディの声がかかる。それが正しいと考えても、あなたは円の中に飛び込む。衝突寸前だった中指から一号を抱えて救い出す。

 中指はピタっと止まった。そして、待っていたとばかりに左腕が持ち上がる。

 ぐぐっと力む腕。勢いをつけて落ちてくる掌。空気は押しつぶされ高熱となっていた。極限の圧力を無視しファットダンディの元を目指し歩くあなたの視界の端を黒いものがかすめた。

 長く太い帯状のビームは光を吸い込み辺りに闇をまき散らす。一瞬で魔王の左腕の肩をえぐり取った。空間の切れ目から切り離された魔王の左腕が地面に轟音を立てた。ビームの有り余るエネルギーはタックスタワーをも貫ていった。

「今のはなんだ?」

 恐らく他の勇者だ。それ以外にないと言ってもいい。

 重傷を負っている一号をファットダンディへ預け、あなたは確信と共に銃を握り直す。

 あなたたちの前で地面に落ちた左腕に変化が生じた。掌の中央が縦に裂けギラつく眼球があらわれた。眼球は血走る目であなたたちを睨む。そして、再び魔王の左腕は宙へ浮きあがり戦艦のように泡で出来た白く巨大な泡を放つ。それは、フワフワと移動しタックスタワーに当たった。外壁がスプーンでくえぐり取られたように消滅する。

 腕全体から放たれる泡弾。それはフワフワと無作為に辺りのものへ衝突し弾ける。そこに区別はなかった。植物も、地面も、コンクリートも等しく消えていく。

 無駄な消耗を嫌ったあなたは向かってくる分だけを銃弾で撃ち落とす。しばらく、待っても謎の砲撃に二度目はない。

 さっきのが渾身の力を込めた一撃だったということだろう。放った勇者がどうなったかは知る由もない。

「重砲は、戦場の神はどこにいった。支援砲撃はもうないのか」

『あったらとっくに撃っているだろう、弾薬が尽きたみたいだな。残りは俺たちでやるしかない』

「俺が囮になる」

「一号。お前が囮になってどうするんだよ、一人で動けないくせに」

「モノレールがある。お前。あと二つ武器を召喚できるんだろ」

「意味もないリスクだ。死ねとは言ったが、無駄死になんぞさせられるか」

「モノレールの終着点はここだ。だが先がある。そこは倉庫だ。うまくやれば、そこで何かできるかもしれない」

「……なら、有意義に死んでハイリターンを寄こせ。おい、イエローは時間を稼げ。お前はまだ死ぬな。オレをデブ扱いしやがったからな」

 ファットダンディが自衛隊員を抱えてモノレールへ向かう。それを追いかける泡弾をあなたは撃ち落とした。

 まだ死ぬな。

 これほど難しいことを、あれほど簡単に言ったファットダンディの人使いの粗さは世界一に違いない。

 ガスマスクの下で一人苦笑するあなた。意味がないと知っていても、ジャケット翻して魔王の左腕に啖呵を切った。

『お前の相手は俺だ』

 あなたは素早く向けた銃を乱射する。

 連続するマズルフラッシュ。一斉に飛び掛かる弾丸密度はマシンガンと同じ。一点集中で眼球を狙い撃つ。

 銃弾の雨を受けてもギロリと動く目玉の反応は乏しい。

 撃っている間に近づいてきた泡弾が迫る。避けるあなたに更に視界を埋めつくす量の泡弾が襲い掛かる。

 もし、ファットダンディたちが居たら違っただろう。皮肉なことにあなたは一人しかいないために広い空間を余すことなく使えた。それならば避けるのは容易い。避けるのが容易いのならば攻撃する機会も簡単に作れる。

 回避を兼ねた走り撃ち。進行に邪魔な泡弾だけを迎撃する。魔王の左腕を中心に円を描き、塹壕をも活用し走り回る。追いかけるような泡玉は塹壕を無駄に掘り進めるだけに終わる。

 あなたはここに来て撃ち方を変えた。今までのような攻撃を妨害するための撃ち方ではなく、殺すための方法を掴むために四方八方から弱点を探り続ける。

 指先、手首、肘、肩。それそれを狙い反応の違いを慎重に探る。

 反応は芳しくはない。ただ、唯一気になったのは指を狙った時が一番大きい泡弾を放っていた。

 あなたは偶然かと考えるも脳裏を走る光景があった。小指や薬指が不自然に取れたことを。

 閃きと行動は同時。マシンガンのごとき連射。弾丸の雨が中指の指の付け根に降り注ぐ。次々と食らいついく弾丸が中指を落とした。

 間違いない、これが弱点だ。

 確信するあなたの前で魔王の左腕は震える。腕を持ち上げて横から平手打ちをする。

 土津波を起こす掌を塹壕に跳びこみ何とかやり過ごす。戻ってくる手の甲の勢いを利用し跳んだ。

 狙いは人差し指の付け根。空中で弾丸も放つも魔王の左腕はすぐに高く持ち上がる。

 嫌がるように逃げた魔王の左腕。

 追撃しようとするあなたの耳が捉えた発車アナウンス。あなたは目を走らせると陸橋にモノレールが動き出すのを確認した。手を止めて地面に着地する同時に陸橋へ走り出す。瞬く間に走り抜け、ハヤブサのように垂直の陸橋を駆け上がり、線路から動くモノレールの屋根へ飛び移る。

 あなたを追って魔王の左腕もモノレールをやってくる。圧倒的な大きさの違いを見せびらかすように並行して走る魔王の左腕。

 あなたは警戒し、いつでも動ける状態を保つ。黒い服を着ている一号が運転席から顔を出して叫ぶ。

「このまま進むぞ」

『プランの用意できているのか』

「リーダーは乗ってないが。心配するな」

『あのデブは食いすぎ以外では死なない。それにコマンダーが死ぬのは困るからな』

「あの化け物を何とか、俺に近づけてくれ」

『お前も簡単に言ってくれる。今度こそ死ぬぞ』

「まさか、助かると思ってるのか」

『……俺が助けたんだ。精々、格好つけて見せろ』

 運転席に居る一号の傷は重傷だ。助けたあなたの見立てに間違いはない。その証拠に今も浅い息を繰り返している。それがどういう事かあなたには分かる。悠長にしている時間もないことも。今更行動を変える時間もないことも知っている。なによりも、一号が来ている黒い服。それがどういう意図があるものなのか、あなたは理解している。

 青い空の下。吹き付ける風が黄色のジャケットをはためかせる。

 度重なる銃弾で白い防具がなくなった魔王の左腕が泡弾を放つ。

 その数は地上に居た時よりもはるかに多い。いよいよ本気になってきているのだ。

 追い詰めているという実感と追い詰められているという危機感が脳を刺激してボルテージを高める。

 あなたの闘志は尽きない。それに二挺の銃が答える。ブラックが放つ弾丸は衝撃で複数の泡玉をまとめて弾け飛ばす。ライトニングの放つ弾丸は次々と貫通し撃ち落とす。

 だが、多勢に無勢。

 弾丸の雨。弾幕を超えた泡弾が線路に着弾。えぐられた部分が振動を引き起こし衝撃がモノレールを揺らす。さらに連結部も破壊され、後部モノレールが穴だらけの物体となった。

 今まで並行して動いていた魔王の左腕はあなたの頭上に移動する。人差し指を伸ばし突き刺す。ステップで躱すあなたの前でモノレールの鉄板を障子のように貫通した。

 この期に及んでも遊んでやがる。

 魔王の左腕は、動くあなたに合わせ人差し指を突き刺す。出来たばかりの大穴からモノレール内部に逃げたあなたを追う。横からドアを突き破り巣をほじくるように指先を動かす。あなたは届きそうで届かない位置に逃げる。それを追ってより深く突き刺さる指。誘い出したあなたは指に飛び移り連射しながら駆ける。

 反応は驚くほど早い。モノレールから離れた魔王の左腕は無視を振り払おうと手首を振る。

 あなたは振り落されそうになるのを親指にしがみつき耐える。離れないとみると上下の動きで振った。地震よりも凄まじい上下運動に内臓が吐き出されそうになっても耐える。それは生死をかけたジェットコースター。

 動きはさらに激しくなる。とうとう腕全体を使った動作へと変わる。肩を動かす大きな動作。力が頂点に向いたその瞬間、あなたは手を離した。

 高く。高く。青空へと沈むように宙を浮く体。

 追いかける魔王の左腕。そこはモノレールの真上。

 あなたは太陽を背負い銃を構える。狙いは親指の付け根。今まで狙わなかった部分を集中攻撃する銃弾。突然のダメージに魔王の左腕は耐え切れずモノレールへと落ちていく。

 あなたは掌に着地し垂直に駆け降りる。わずかでも遠く離れるために空へと舞う。

 あなたはそこで見た。

 一号が不敵に笑う。馬鹿野郎が、と言って体に巻き付けた無数の黒い爆弾を起爆した。

 それは落ちてくる左腕の質量をも利用し、さらには倉庫にあった物質をも巻き込み威力を拡大させた。

 その凄まじい音と閃光の衝撃はあなた意識をも飛ばした。

 ……。

 ……。

 水の中にいるように音が遠い。

 見える赤い空が暗くにじんでいる。

 傾いたタックスタワーに腕が刺さっている冗談のような光景。それでも魔王の左腕は泡弾を放つ。

 ファットダンディが何かを言った。

 その直後、タックスタワーが爆破される。魔王の左腕を巻き込んで。そして、意趣返しのように大量の瓦礫が降り注いだ。

 ……。

「おい、おい。衛生兵が来てやったぞ。ったくよお、巻き込んだと思ったがよくも、まあ生きてたな」

 ファットダンディの声にあなたは再び目を開けた。

 こちらを覗き込むファットダンディは、最後に見たときよりもボロボロで血だらけになっていた。

 あなたは、地面が目の前にあることでようやくうつぶせに横たわっていることに気づいた。意識が飛んでいたことにも気づき、体を動かそうとするが動かない。首だけを動かして見ると体が瓦礫の下敷きになっていた。

 危機的状況にあなたの頭は逆に冷静さを取り戻す。そして、周囲をよく見まわす。

 ここは都庁前だろう。

 だろうと思うのは、景色が変わりすぎているからだった。広場は壊滅、タックスタワーは跡形もなく崩れ、瓦礫の山。魔王の左腕はその下敷きになっている。

 何で自分は生きているのかとあなたは考えたが、時間の無駄だと切り捨てた。代わりに口を動かす。

『何とかしろ、デブ』

「わあってるっての、もう少し待てよ。デブは逃げれねえんだよ」

 ファットダンディは辺りのがれきから鉄骨の一部を取り出す。あなたを何とか掘りだすと引きずるように運び、近くの壁にもたれる形で降ろされた。

 空が燃えているように赤い。辺りを土煙と静寂が包む。

 あなたの指は、偶然か引っかかるようにして銃を二挺とも握っていた。ファットダンディに返そうとするが皮肉なことに動かせるのは右腕しかない。どうやって返すかと、あなたは考えていた。

 カラカラ。

 小さな音がした。瓦礫が崩れる音だ。また崩れるのかと思うあなたとファットダンディが、それを見た。

 少しずつ、少しずつ。瓦礫が崩れていく。

 ガラガラ。ガラガラ。ガラ。

「化け物が」

 瓦礫の下敷きになった魔王の左腕。崩れた瓦礫から人差し指だけが露出した。未だ埋もれているがれきの陰から血走った目玉があなたたちを捉え、激しく震える人差し指を向けた。その指先に泡弾が生じる。それは今までよりもはるかに小さい。しかし、あなたたちを葬るには十分なものだった。

 あなたは自分の状態を俯瞰する。壁にもたれかかり体を動かせない状態では避けることも出来ないだろう。ならば銃を撃つしかない。だが、一度でも撃てば恐らく限界に達する。そんな予感がした。

 そしてそれは、ボロボロのファットダンディもそうだろう。

 あなたはためらった末に、右腕のブラックを手放した。

 ファットダンディは力の限りでゴールドを構える。あなたは腕を伸ばし、金色の銃を掴んだ。

『賭けをしないか』

「手を離せ! 今、撃たないと間に合わない!」

『お前がクールかどうかの賭けだ。ああ、悪い。デブが乗るわけもないか』

「……俺は最高にクールだって証明してやるよ」

 泡弾を見た後、ファットダンディは銃を下した。ファットダンディも分かっていたのだ。撃ったら終わりだと。撃っても倒せないと。だから分の悪い賭けに乗った。

 あなたたちは眼球を正面から睨み返す。

 徐々に生じた泡弾が大きくなっていく。力の限りを尽くしたはずの泡弾。完成したものは全盛期よりも小さかった。

 そして、指先から離れた泡玉が動く。

 ふわふわと。

 あなたたちの方へ。

 じっくりとじったりと。

 時間をかけて脇を通って、遠くの瓦礫に当たって消えた。

 あなたはブラックをファットダンディに投げて渡す。そして、あなたはライトニングを握る。

 血まみれのファットダンディは両手で辛うじてブラックを構え、あなたは右腕だけでライトニングを構えた。

 引き金は決意よりも固かった。

 マズルフラッシュは鮮烈だった。

 燃える空に銃声が響く。

 飛び出した二発の弾丸は迷うことなく震える人差し指を撃ち抜いた。人差し指はビクンと動き、腕から切り離される。そして、目玉がぐるんと裏返り、やがて左腕は黒いちりへと変わった。

 ファットダンディが灰色のスーツが汚れるのも気にせず、デカい音を立てて地面に転がり大の字になった。

「どうだ。俺は最高にクール。だな」

『デブは最初からホットだ』

「賭けになってねえじゃねえか」

『デブがクールなわけないだろ。もしかして、本当に賭けのつもりだったのか』

「……デブの弄り方ってもんが、ちっとは分かって気たみたいじゃねえか、イエロー」

 勇者たちが光に包まれる。役目が終わったのだ。困難を乗り越え魔王を撃退したのだ。

【討伐編終了、エピローグへ移動】

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