救出編②

 ステージの端でツキリが壁にもたれかかっている。目を閉じて静かに。

 戦士としての休息だ。金属製の手甲、足甲、肩当は今も体への守りを続けている。近くに置いてある白い長刀は手の届く位置にある。どこを見ても剣士で疑う余地はない。

 ならば、あなたの中でずっと見ていたいと思う気持ちがはなぜだろうか。あなたには、この周辺の時間が切り取られたように感じらていた。

 異性であろうと同棲であろうと筋肉質と脂肪が合わさった体はそれだけで魅力的だ。

 スラッとして高い身長を包むのは桃色の着物。わずかに傾ける頭から、肩にかかる長さの銀髪が防具越しに胸にかかる。垣間見えるうなじ。

 閉ざされた瞼の奥にある青い瞳は見れない。溺れたくなる魅力がある瞳が見れないばかりか、普段の柔らな表情はなくなり冷たさを感じる無表情があった。普段との違いが一味を変えている。

 形のいい唇が、艶だけで反射する光の加減を変えた。

「私は忙しーの。他所に行ってなさーい」

 言い終わると同時に立てかけていた白い長刀が倒れる。赤い服の女の子が足をひっかけて倒した。

 ツキリは、刀も女の子も気にした様子は表面上は見せない。良し悪しはともかく思うところがあったから先に口を動かしたことだけは、あなたにも分かった。

「おばちゃん、何もしてない。私も一緒」

「年だから休ー憩しているの」

「じゃあ私も休憩」

 そう言って、女の子が手にした箱のチョコ菓子を摘まんで差し出す。

 ツキリは手だけで、しっしっと追い払うが、女の子は気にせずチョコを押し付ける。ツキリの掌に押し付けられたチョコが溶け始めたころに一つだけ食べた。女の子はそれ見て自分の分も食べる。

 微笑ましい光景。

 それなのに……。

 あなたは視線を目の前に戻す。ステージ中央であなたの目の前に三人の男いた。リーゼントとサングラスのギターとバンダナの無口ドラム。思わず、むさ苦しいと感じてしまうのも仕方がない。

「いやー助かりましたっす」

「本当本当、チョヤバチョッバだったもんげ」

 イケメンであるし、そこそこの筋肉があって音楽も出来る。そう考えると魅力はある。魅力はあるが、それはそれとして、やっぱりむさ苦しいとあなたは感じていた。ツキリたちとのギャップがありすぎなせいだ。ワンクッションぐらい寄こせと、あなたは心で愚痴った。

 この三人は、楽屋に隠れていらしく騒ぎが収まったのでステージの様子見に来た。そこをあなたが見つけた。見つけたときは不審者Xに拉致されると騒がれたが、あなたの誠心誠意の説得により誤解は解けた。

 二万人を収容できる施設。ステージからは階段型の観客席もよく見える。避難している人たちで、そこそこ埋まっているのは皮肉なことではある。

『今日はライブをするのか?』

「いやー、出来るわけないっすよ。ベースも来ていないし、いや、変わりに俺がやればいいんすけど。それはどうでもよくて、ファンの子が怪我したら泣くっすよ」

「マジマジ、チョヤバチョッバだったもんげ」

 冷静でファン思い。歌次第ではファンになってもいいと感じるぐらいには好青年たちだ。バンダナの無口ドラムはSNSで中止を連絡している。

『じゃあ、俺たちが使ってもいいか?』

 交渉と言うほどのものにもならず、三人からは二つ返事で了承が得られた。

 さっそく源城がライブの準備を始めた。男たちもその手伝いをしていた。あなたも手伝おうかというと休んでいてくれと言われ従う。

 あなたは、ステージから離れて眺める。

 ステージの中央にはボーカル用のマイクスタンド。その隣にギターやベース。ステージの奥にドラムセットが。スピーカーは、ステージの前方に左右対称に配置され、ミキサーとパワーアンプは離れた場所にある。

 一般的な配置だと言った源城は、短い黒髪を弾ませるようにステージを何度も往復する。機材の扱いも慣れているようで男たちとも対等に話をしていた。こういった努力が、いわゆる、観客と一体感を感じられるという空気になるのだろう。

 源城は、ここに来るまでとは印象に雲泥の差がある。出来る出来ないをわきまえているのか、それとも能天気なだけか。少なくとも魔物に襲われても直ぐにライブをしようとするバイタリティーがある。それも元は人を助けるためだ。その心根だけでもアイドルと言ってもいい。小柄な体に煌びやかな飾りがつけられた紫色の衣装も似合っている。両手の鎖は個性だ。ただ、彼女の中で一番印象深いのは黒い瞳。つぶらなそれは保護欲を掻き立てる。あるいは、それだけでアイドルと言えるのかもしれない。

 源城はまだステージを駆けずり回っているが、男たちは作業を終え、あなたに妙に近づいてきた。

「いやーアイドルにもあんな子が居るんすね。きっと大物になりますよ、プロデューサーの腕がへぼくても。それにしても。俺たちよりもいかれたのが居るなんて、よく捕まらなかったっす」

「リアルリアル、チョヤバチョッバだったもんげ」

『俺はいかれてないぞ。何かあった時のための避難経路は、逃げてきた人たちにもきちんと教えているよな』

「ったりまえっすよ。ライブは安全安心で楽しく魅せるがモットーすよ」

「ガチガチ、チョヤバチョッバだったもんげ」

『何かを起こす気はないが、不確定な部分はあるからな。何かあったら、すぐにお前らも逃げろよ』

 イケメンであるが変な奴らだ。

 それがあなたの感じた印象だ。続く他愛ない雑談で、指ぬきグローブがいいよねとか、ジャケットをどこで買ったとか、ガスマスクが格好いいとか……なぜか、あなたを仲間扱いしている節がひしひしと感じられた。

 ガスマスクってどんな感じ、ガスマスクを貸してくれと言われ、流石にアレだったのであなたは、ステージに上がってスピーカーを見ているの源城に近づいた。

『準備はどうだ』

「ダメでした……って、すみません冗談ですウソです。いやー、流石平成36年、ボタン一つでOKだなんて技術革新じゃないですか」

『それは凄いんだよな』

「ふっ、自慢じゃないですが機材のことは少しぐらいなら分かりますよ。照明とか音響とか職人芸ですが、ボタン一つでそれらが全てが良い感じになるってすごいんですよ」

「そうっす凄いっす」

「マジマジ、チョヤバチョッバだったもんげ」

 いつの間にか、距離をとったはずの男たちがあなたの後ろにいた。

「流せる曲も聞いたんですけど、なかなかでしたよ。アカペラじゃないから、逆にリハーサルもなくぶっつけ本番とか怖いんですけどね」

「そこはしゃあないっす。大丈夫、フォローはするし、歌詞が飛んでも皆は演出って勘違いするっす。なにより、オレたちのライブでボーカルがゲスト参戦のアイドルってのは、今回限り。スペシャル特別ライブっすよ」

「セメントセメント、チョヤバチョッバだったもんげ」

「そうですね。私はやります、間違えても歌い続ける覚悟ですよ」

『本当にできるのか』

「私に考えがあると言った通りです。アイドルが作る夢の船で最高の一時を楽しんでください!」

 大丈夫か、とあなたはバンダナの無口ドラムを見たが、親指をビシッと立てられただけに終わる。ライブにおいては、出来ることがないあなたは口を出すことは控えた。

 代わりに聞き方を間違えていると思うも、そのままの言葉で聞いた。

『なんで、ライブをやろうと思ったんだ』

「それはもちろん、ライブをやりたいからですよ?」

 源城は何でそんなことを聞くんだと言った様子だ。

『そうだろうな……何で誰かを助けようと思ったんだ』

「そうしたいからです、だって私バカなんです。普通の人はやらなくても結果が分かるって言うじゃないですか、私、そういうのが分からなくて、とりあえずやってから考えるんです。まあ、失敗ばっかりなんですけどね。あなたは違うんですか?」

『悔いのないようにとか言わないんだな』

「悔いなんて何時だってありますよ。今だって、剣道やってればノンシュガーさんみたいになれたのかなって思います。でも、他に出来ることがありますから。それに、何をやっても悔いが残るから、次こそは! ってなるんじゃないんですか? 私はそうです、他の人はどうなんでしょうか……言いたいことは分かりますよ。これが失敗したら、ひどいことになるってことですよね。分かってます、でも、やらないなんてありえないじゃないです。もしも失敗したら、次こそは何て言えないでしょうけど」

『失敗なんてさせない』

「何で、そんなことを言えるんですか」

 源城は真っすぐあなたを見る。黒い瞳は源城の思いをあなたの心に訴えた。

 あなたは過去に決断した。その理由もあったはずだ。だが、それを口に出すことはしなかった。

『お前を信じてるだけさ』

 そう嘯いて誤魔化す。源城は目をパチクリさせた。

「やっぱり、あなたはイロモノですね。ここは何かこう、悲しい過去を言うシーンですよ。言われても困っちゃいますけど。でも、私はアイドルですから。ファンに信じられた分も頑張ります」

 始めます。

 源城はそう言った。表情を改め、雰囲気が変わる。今まであった緩い空気は瞬く間に消し飛ぶ。ステージに居たのは張り詰めた空気を持つ同じ顔をした別人だった。

 集中に入った。

 ステージの上にあなたの居場所がなくなったと理解させられた。応援の言葉すら邪魔になるだろう。あなたは無言で立ち去った。

 ステージの中央で源城は両手を空にかざす。

「私のブレイブカレント、チェーンデスマッチ(死を分かち合いましょう)。つながる力でみんなの元へ届いて!」

 両手の鎖は一直線にどこまでも高く舞い上がり空へと繋がる。そして、紫に輝いた。

 その瞬間、あなたの頭に鉄で殴られたような重い衝撃があった。

 ギャリギャリギャリ。

 鎖が軋む音があなたの中から聞こえる。つながれた感触に戸惑うあなたの頭の中に直接、声が響いた。

「皆さん。落ち着いて聞いてください。状況を把握していない方もいらっしゃるでしょう。だから、私は伝えます。私たちは今、魔物の襲撃にあっています。その魔物は皆さんの手に負えない危険なものです。でも、心配しないでください。私たちが魔物と戦います。これから私たちの元へ魔物を呼び寄せます。その間、どれだけ怖くても隠れていてください。このライブ会場の近くは危険ですか絶対に近づかないでください……私との約束ですよ。応援の声は歓迎しています。でも、魔物に気づかれないようにお願いしますね。それでは聞いてください。始まりの曲は、私たちは負けない」

 言葉が終わると同時に始まった。

 最初は弱く。

 ギターが奏でる音色、ベースが支える音程、ドラムが作るリズム。

 ミキサーが音声を調整し、パワーアンプが増幅し、スピーカーが音を放つ。

 ステージを照明が照らす。

 最高のタイミングで源城が声を響かせた。皆の元にも届く声を。

 ライブが始まった。

 ……。

 歌に集中する源城たちを置いて、あなたとツキリは会場を離れる。

 外につながる正面ゲートの中は暗い。

「緊張してなーい?」

『まさか。女の子は?』

「ステージの近く。楽しんでるんじゃないかしらー。問題しかないけど、ここよりはましよー。少なくと自分で選んだことだから、死んでも納得くらいは出来るでしょーね」

『それなら問題ない。俺たちが全部倒せばいいだけだからな』

「できるのかしーら、ちなみに私は出来るわー。だから助けなんていらないからー」

『そっちこそ』

「あら、私は助けてあげるわよー。年寄りのほうが早く死ぬべきですもの」

 あなたは、シャッターゲートを開け放った。

 見えるは一面の緑。よほどライブが気に食わないようで会場の外は既に魔物であふれていた。数えるのも馬鹿馬鹿しく、前回と違い場所の割り当てすら不要なほどだ。

 あなたとツキリは魔物たちを前に悠々と歩き出る。事前の手筈通りに遠隔操作でゲートが固い音を立て閉じた。これでゲートが破壊されない限りは魔物に侵入する術はない。

 青い空。春の日差しに桜の香り。それらを台無しにする魔物の群れ。日常を破壊する化け物。

 ツキリが躊躇なく魔物の群れへ切り込む。

 ふわりと動く長刀をかすらせる技の切れ味は健在。最小限の動作で仕留め、体力の消費を抑え込む技量は敵ならば空恐ろしく味方なら頼もしい。

 遅れまいとあなたが走る。

 飛び蹴りで三体を巻き込む。着地と同時に脇に居るミールに肘を食らわせる。腕を伸ばしてくるのに合わせカウンターを叩きこむ。

 ストレート。フック。ボディブロー……。

 六。七。九。十二……。

 一撃一殺。淀みのない動きで途切れることのない連撃。キルカウントで冷静さを保ちながら常に攻撃し続ける。

 数は力だ。

 押しつぶされれば終わる。

 攻撃されれば防ぐことは出来ない。

 団結されれば逃げることも出来ない。

 倒せなければ倒される。

 目まぐるしく動く戦場。わずかなミスが終わりにつながる状況。あなたは死と隣り合わせでミールを屠り続ける。

 速攻。

 回避カウンター。

 抹殺優先順位決定。

 乱入。

 状況把握。

 行動修正。

 脅威発見。ミゴーラを挑発する。その片手間でミールの群れをすり抜ける。追いかけて来るミゴーラの腕がミールたちを吹き飛ばす。

 三八……四九……七七……

 消失したミールの群れ。あなたは跳びあがり用済みとなったミゴーラの頭に両足をかけてひねる。首の骨を叩き折ってからの着地。

 近づくミールの塊へ風切る回し蹴りを放つ。三体を砕く。塊はまだ残っている。足にミールたちがとりつく。止まった足を無理やり振り抜き嚙みつこうとした奴らの顔面を打ち砕く。

 遠くのミゴーラがミールを掴み持ち上げるオーバースロー。力任せにぶん投げるミールの砲弾。

 あなたの後ろ回し蹴りが撃ち落とす。

 挑発。

 次々と飛んでくるミール砲弾を誘導し別のミゴーラに衝突させる。ふらつくミゴーラへ追撃のハイキックで仕留める。

 九九。

 砲撃を辞めたミゴーラが迫り腕を振り上げる。突然、凍り付き、その後ろをツキリが走り抜ける。

「ずいぶん暇そうね」

『一〇〇目だったんだけどな』

「わざわざ数えてたのね。私はまだ一三二体目よ。あららあら、大変」

 あなたとツキリは背中合わせに立つ。その周囲を魔物が取り囲む。

 魔物たちは、未だに途切れることなく現れ続けていた。

 あなたたちは視線だけで牽制し、魔物たちはそれ以上踏み込めなかった。しかし、着実に輪が分厚くなり、徐々に狭まる。

「まさか、こんなことになっちゃうなんてー、どーしましょう」

『押し付けるなよ』

「先にやったのはガー君よ、こっちにも砲弾が飛んできてたわ」

 動くのは同時。

 あなたとツキリは互いの背後を狙うミールを倒す。

 響く舌打ち。

 ふわりと動く長刀が白い軌跡で円を描く。ツキリを中心に据えた横なぎは進路上の全て凍り付かせる。

 跳んでかわしたあなたは魔物の群れへ突っ込んだ。

 二六〇。

 飛び蹴りはミゴーラが振り上げた腕に塞がれ、反動を使い宙返りをする。

 振り下ろされる拳は地面にぶつかる。長刀が浅く胴体を切り付ける。地面に降りたあなたは凍った胴体を拳で砕く。

 振り向いたあなたはツキリへ踏み込みストレートを放つ。わずかに体を傾けるだけで躱された拳はミールを砕く。

 四三〇。

 ツキリの振り返りざまの薙ぎ払い。

 しゃがんだあなたのうなじを冷気が撫でる。ミゴーラの胴体に止められた長刀の峰に掌底を叩きこみ無理やり動かす。

 ツキリは手元に戻した長刀でミゴーラへ平突き。胴体を貫く。間髪ない横なぎでミールたちともども一掃する。

 刀が通り過ぎた隙に襲い掛かるミールをあなたがアッパーで打ち上げる。

 目まぐるしく変わり続ける状況。入れ替わり立ち代わり。あなたたちは互いに紙一重の攻防を止まることなく続ける。

 六一一。

 七二四。……。

 八五六。……。……。

 一〇〇〇。

 会場の外周に魔物はいなくなった。

 あなたとツキリは背中合わせ。肩で激しく息をしていた。

「ハアハア……あらー、ずいぶんとお疲れじゃなーい」

『ハアハア……この程度で? まさか。自分が年寄りだから、相手にもそう合って欲しいと思っているんだろ』

「二戦目は思ったよりもー早かったわね」

『ようやく準備運動は終わったのか』

 あなたとツキリは振り返り、間近で睨み合う。

 青い瞳が目の前にある。相手のまつ毛の長さすらも分かる。吐息がかかるほどの距離。

 ツキリの瞳にはあなたしか映っていない。あなたの瞳にはツキリしかいない。

 一挙手一投足を見逃すことなく、互いに高め合う緊張を複数の足音が邪魔をした。

 だが、あなたもツキリも互いから視線を逸らさない。逸らしたその瞬間に攻撃が来る。あなたはそう信じている。だが、状況が変わるのも頭で理解していた。

 緊張を保ちながらも、多大な努力を駆使して口だけを動かした。

『何体だ?』

「人間よ。五〇人くらいね。そんなことも分からないなんて駄目駄目ねー。それにしても最初に隠れてろって言ったはずなのに何を聞いていたのかしらー。折角の機会に邪魔が入ったわ」

 あなたとツキリは同じタイミングで視線を逸らす。

 遠くからライブ会場に向かって必死な形相で人々が走る。子供を抱えたハゲテル中年を先頭に老人や女性が続く。その後ろを魔物たちが追いかけていた。

 正面以外からも助けを求める声が広大な敷地にこだまする。それは他にもいることを証明していた。

 遠隔操作で正面ゲートが開き、避難民を受け入れる体制が出来た。

 梅雨払いはあなたたちの役割だ。

「それで何体?」

『補聴器が必要だな。ちょうど一〇〇だ』

 あなたは息を整え、体の各部を動かし具合を確かめる。

 筋や筋肉に問題はない。関節に違和感はない。季節外れジャケットも冷気をばらまく奴がいるからちょうどいいくらい。拳や足に多少の熱がある程度。

 まだヤレル。

 あなたをツキリが流し目で見る。挑発的な視線の意味は聞くまでもない。

 先頭を走ってきた子供を抱えたハゲテル中年が、あなたたちの前で止まり息も絶え絶え叫ぶ。

「あんたたちも早く逃げるんだよ!」

「「邪魔!!」」

 異口同音。

 避難を訴えた者を会場へ追い払い、魔物たちを眺める。

 ……先ほどよりも数は少ない。しかし、質は遥かに上だ。魔物は全てミゴーラだ。ミゴーラ自体が警戒すべき脅威であり、それが群れを成して走る姿は壁だ。まさしく生ける壁だ。ドスンドスンと地面を揺らして近づいてくる。

 一体一の状況を作れるなら勝てるが多対一では難しい。それが、あなたの見立てだ。さっきはミールが居たから良い具合に分断して倒せた。今回は違う。

 舌打ち。

 自然と出たそれに、拳と刀を握りしめる音が重なる。

 あなたたちは力を合わせなければならない。先ほどまでとは状況が違う。話す時間もない。ミゴーラはすぐ傍まで来ている。

「守ってあげよーかしら」

『年寄りが無理するなよ』

 一〇〇。

 ツキリの白い軌跡が先頭集団の足を薙ぎ払う。機動力を奪う狡猾な一撃。

 あなたは足が地面に張り付き動けなくなったミゴーラの体を駆け上がる。頭を踏み台に跳ぶ。首の骨が折れたミゴーラがちりに変わる。

 九〇。

 別の頭を踏み台に更に連続して跳ぶ。

 視線を独り占めにしたあなたに緑の巨腕が殺到する。地獄の亡者もかくやと言った有様。あなたは手を踏みつけ跳び続ける。

 フリーとなったツキリが切り込む。ミゴーラには深く踏み込めない。筋肉で刃が止まれば終わる、本来ならば。今は違う。警戒しているのはあなただけ。隙だらけのでくの坊を倒すのは容易。

 七四。

 仲間の悲鳴で事態に気付いたミゴーラ。

 それをフワリと長刀が突く。浅く突いた胴体を氷柱が貫くもミゴーラは暴れる。あなたが氷柱を踏み台に傷口をえぐることで倒れた。

 首折りを警戒すれば刺突が。刺突を警戒すれば首折りが。離れようとすれば足を。下を見れば上から。

 地上と空中。どちらも囮。どちらも本命。死神は二体いる。

 縦横無尽な動きをミゴーラごときに止められる道理はなかった。

 一〇。

 両手の指を合わせた数になって、ツキリは初めて動きを止め納刀した。

 絶好の好機に目を血走らせ迫るミゴーラたち。あなたは呆れた目で見送り離れた場所に降り立つ。

 ツキリは待つ……待つ……待つ。

 ミゴーラが間合いに入った瞬間、ツキリの手が目に映らない速度で動く。

 抜き放れた刀は、迫るミゴーラたちの首をまとめて切り離す。あまりの速度に宙を飛びながら凍り付き、地面に衝突すると砕けてちりへと変わった。

 〇。

 周囲に魔物が居なくなった。敷地の見えるところにも魔物はいない。だが、それも一時にすぎない。ライブはまだ続いている。それならば魔物はまた襲撃するだろう。

 新しく避難してきた人々が次々と会場へと入っていく。生還を喜ぶ声や神に祈る声が辺りに満ちる。

 途切れることのない流れをあなたとツキリは離れたところで見ていた。

 長い戦いだった。

 連戦の疲労で、あなたの体が休憩を求めている。膝に手を付けて立っているが、本当は地面に座り込みたいぐらいだった。明日は重めの筋肉痛確定だと感じるほどだ。あなたは近くにいるツキリをチラ見した。

 同じくらいの汗を流しはしているはずのツキリは平然としている。籠った熱を出すためか防具を少し緩めていた。あなたの視線に気づいたのか、ツキリもあなたを見た。そして、柔らかく笑いかけ、鼻で笑う。

 あららあら、もしかして、この程ー度で。

 あなたの脳内でツキリの声が聞こえた気がした。そう言われたようにしか見えなかった。

 カチンときたあなたは背を向け、余裕をアピールするためにシャドーボクシングを始める。

 架空の世界チャンピオンを相手にコンビネーションを決めたところで女の子がゲートから歩いてきた。その手には未開封のペットボトルがあった。

「おばちゃん」

「あのーね、何ーで来るのかしら」

「お水」

「あーはいはい。ここは危険なのよー、さっさと離れて二度と来るんじゃないわー」

 意地を張るのも面倒だったのか、ツキリは女の子からペットボトルを奪うように受け取り、一気に飲み干してごみを押し付ける。わりと乱雑だが女の子は気にした様子ない。

 どっちが大人だろうかと疑う光景だ。

 だが、それでもましな扱いだ。なぜなら、当然のようにあなたの分はない。女の子から人間扱いされていないのは明らかだ。それに気づいたツキリが、半分残せばよかったわと呟いたぐらいだ。

 今のうちに水でも飲むかと思ったあなたはゲートへ向かおうとして、耳にした高音に振り向くと、また新しい群衆が来ていた。その中から女性が声を張りながら走って来る。

 あなたは聞き間違えたかと思ったが、不安を掻き立てる高音は今も鼓膜を揺らし続けている。

『音がする』

「どこから」

 表情を引き締め、聞き返すツキリにあなたは首を振る。

 あなたは逸る気持ちを抑え、頭の中に流れるライブの音を意識から振り払い、耳に集中すると音がより感じられた。

 高音。雑多な足音。木々が風に揺れる音。話し声。雑音。

 目的のモノを音の洪水がかき消す。

 慎重に聞き分けようとするあなたの努力をあざ笑うように高音はピッチを上げて甲高い音へと変わる。決して聞き間違えることはありえない音となった。ツキリも聞こえたようで探し始めるが音源は見当たらない。

 あなたは群衆に目を凝らすが魔物はいない。居たら逃げ惑っているだろう、周囲も見るが何も確認できない。上を見ても憎らしいほど青い空があるだけだ。

 敷地に隠れている? それとも単純に距離が遠い?

 必死に目を凝らすも見つからない。音だけが強くなり続ける。春風に乗って焦げた匂いがあなたの鼻に届く。

 遠くの木々の陰で赤い何かが見えた。あなたが前に見たときはそこは木々があったはずだ。しかし、今は赤熱化した筒のようなものが見えた。そこに砂埃と共に渦巻くほどの空気が吸い込まれている。

 アレはまずい!

 見た瞬間にあなたの本能が叫びだす。しかし、止めるにも遠すぎる。

 音の正体は空気が上げる悲鳴。収束する空気が膨大な熱量を生み出し、周囲の植物が燃えて、魔物の姿があらわになった。

 触手で出来た胴体に灰色でトカゲのような皮膚。筒のような長い顔に穿ったよう赤い八つの目がついている。魔物は今も口を開け、空気を吸い込み続けている。それはまさしく砲口にしか見えない。目標を捉える目は照準としてゲートに固定されていて離れない。その砲口が吸入する空気の量は増加の一途。全身から赤炎が放たれた。

「ママ」

 ゲートへ向かっていた女の子の声が聞こえた。母親らしき女性が走ってくるのが見えた。

 あなたは弾けたように動いた。それよりもツキリのほうが早かった。それでも、たった一歩分だけ。たった一歩分の違いでしかない。

 三歩。

 親子は互いしか目に入らない。離れ離れだったのだ。当然だ。そして当然のように迫る危険に気づかない。

 二歩。

 届かない。そう分かっていてもあなたもツキリも諦められない。

『逃げろ!』

 願いを叫んだ。叫んだ分だけあなたの足が遅れた。母親はあなたの声を気に留めない。ひたすら我が子の元へと走った。

 ツキリは、ただ手を伸ばした。

 魔物の口が開く。顎が裂けたように大きく、並ぶ牙と喉奥にある炎をむき出しにする。

「ファイアストーム」

 砲口に赤炎は渦を巻く。

 ライブのクライマックスが鳴った。

 その激しい音に動揺し群衆を狙った砲口は1センチだけ上にずれる。

 一歩。

 必死に手を伸ばしたツキリが女の子の手を掴んで引き寄せた。

 女の子が攫われた母親の顔は驚愕に染まった。

 砲口から放たれる炎。グロテスクな蛇のようにとぐろを巻いた炎の渦が飲み込む。植物も、魔物も、建物も、アスファルトも、人々も、女性も。膨大な熱量で進路上のものを焼き尽くす。

 視界が赤く染まる。炎が通り過ぎた後には融解した地面と穴が開いた会場だけだった。

 歌が止まった。

「え?」

 誰もが同じ疑問の声を挙げた。声は燃え盛る炎の音に飲み込まれた。

 黒煙があがり、青い空が紫に染まっていく。

 砲口を持つ魔物は、その長い頭を巡らせ周囲を見回した。

「まだ終わっていないな。まあいい、一時でも耳障りな音が消えたことには変わりない。このエンガには悲鳴を届けろ猿ども」

 そして融解した地面の上を触手の足で進む。再び空気を吸い込み、焼野原に変えようと周囲に炎を吹き付ける。

 胸に抱く女の子をあなたに押し付けたツキリ。まなざしに殺意を漲らせ切りかかる。素早く反応したエンガは避けて見せた。

 焦げる土の匂い、燃える桜の芳香、血が蒸発する香り。

 人々の悲鳴、木が爆ぜる音、炎が燃え広がる音。

 黒煙が呼吸を苛み、熱波が肌を焼き、熱が視界を歪める。

 ……。

 ここは避難所だった。ここは平和だった。ここは春だった。だが、ここは地獄だ。一瞬で地獄になってしまった。

 あなたの腕の中で女の子は融解したアスファルトに手を伸ばす。

「ママ?」

 あなたは何も言えなかった。ギリっと歯を噛みしめて燃え盛る中を会場へと走り、頭に衝撃が走る。衝撃の正体がミールの拳だと気づいた時には地面に倒れていた。

 ニタニタと笑みを浮かべ見下ろすミール。

 あなたは素早く立ち上がり周囲を見ると魔物がさらに終結していた。

 常であれば食らうはずもなかった攻撃だ。浮足立ち周囲がおろそかになっていた。そのことに気づいたあなたは胸の中にある怒りを抑えようとする。しかし、静まらない。静まるはずもない。地獄の中で怒りが抑えられるはずもない。

 今すぐ、こいつらを皆殺しにしたい!

 その衝動を抑えられたのは胸に抱く女の子が居たからだ。だが、女の子が存在に焦りを感じてしまうのも事実だ。

 あなたの視界の端に入ったツキリとエンガ。

 戦いは互角に近い。

「死ね! 化け物!」

「そうだエンガは化け物だ。恐怖を忘れられるほどの悲鳴を上げろ」

 幾度も白い軌跡を刻んでいるがエンガにダメージはない。逆にツキリは熱波で削られていく。ただでさえ、連戦の疲労が残っているのだ。何よりも冷静さが見えない。怒り狂い苛烈に攻撃を仕掛け続けている。戦いの結果は目に見えていた。

 あなたは今すぐ加勢したい気持ちを理性で抑えつける。ここで無理をすれば危険な目にあるのは幼女だと言い聞かせる。そして、女の子を抱えたまま周囲を囲むミールたちを倒しゲートへ移動した。

 それを見たエンガはツキリをあしらいながら会場へと近づく。攻撃を受けながらも突進し、ツキリを花道まで吹っ飛ばす。体に炎をまとわりつかせるエンガが口を開く。

 狙いはダメージでその場から動けないツキリ……ではない。エンガの八つ目はステージを捉えていた。照明に照らされている少女。

 源城から片づけるつもりか!

 気づいたあなたは腕に抱える女の子をツキリへと投げる。足に力を込めて源城へと走る。その行為は賭けだった。だが、やらないわけにはいかなかった。

 走るあなたの背に鋭い痛みが走る。ツキリが切りつけてもあなたは止まらない。花道を駆け抜けて源城の前に立った。

「ファイアストーム」

 放たれた砲火。炎の渦がグロテスクな蛇のように飲み込む。

 一切の容赦なく全てを。ツキリも、女の子も、あなたも、源城も。

 体の焼ける音。血が泡立つ感覚。視界が朱に染まる。体を炎が這いずりまわる激痛。切り付けられた背中から炎が入り込み体の内側を焼く。

 生きたまま焼かれる地獄の苦しみ。体が炭化する苦しみ。あなたは源城をかばい続ける。

 突如、あなたの背中に変化が訪れた。

 炎の中にあって異様な感覚。

 冷たい。

 それはさらなる激痛を呼び込む。

 切り付けられた背中から発生した氷が瞬く間にあなたの全身を包む。炎の舌は丁寧に氷をなめて解かす。なめられるたびに皮膚が露出し焼かれる痛み。火傷した皮膚が再び凍てつく痛み。

 火傷を凍傷が抑え込み、凍傷を火傷が永劫とも思える時間続く。

 熱い。冷たい。熱い。冷たい。熱い冷たい熱い冷たい……。

 たまらずに叫ぶあなた。しかし、それでもその場を動かない。

 常人なら間違いなくショック死する拷問。

 それでもあなたは耐え切った。炎の渦が消え去ると同時に、あなたはステージに片膝をついた。

 ライブ会場は炎上していた。ステージも炎で包まれている。避難してきた人々は逃げ惑っている。

 あなたが庇った源城は辛うじて無事だった。

 焦げてボロボロになったあなたを見て、源城の膝から力が抜け落ち崩れた。息も絶えそう中でもあなたは歯の間から言葉をこぼす。

『フウフウ……大丈夫だな』

「あ、ああ。燃えて、みんな燃えて……」

『お前は大丈夫、そうだな!』

「あなたにもこんなに傷が……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

『返事をしろ』

 あなたに手を伸ばす源城。あなたは源城の肩を掴み強く揺さぶった。

 あなたの体に残る炎の熱が少女の皮膚を焼く。その痛みで初めて目の前のあなたに焦点があった。泣きそうな瞳であなたの目を見る。

「私のせいだ」

『何を言っている』

「ただ、誰かを助けたいだなんて思って。誰かを助けたいなんて言わなければよかった。私は怖かった。留置場にいれば安全だと思った。でも、人が死んで、殺されて。私もそうなるって思って、でも他の人にもそうなってほしくなくって、こんなことになるなんて思いもしなかった。思ったらやってなかった。私のせいだ」

 源城の瞳から涙がこぼれる。頬を伝う涙は熱波で消え去る。それでも涙は流れ続ける。

 この状況は決して源城のせいじゃない。誰が地獄を望んだろうか。誰も地獄を望んでいない。だが、現実として地獄は目の前にある。全てを飲み込もうとする炎は猛り狂い続けている。

 絶望に打ちひしがれる源城は泣き続けた。

 あなたは、こぼれる涙を指で拭う。

『勇気をありがとう』

 戦いはまだ終わっていない。あなたの戦いはまだ始まってもいない。ツキリは今もエンガと戦っている。

 ボロボロの姿であなたは立ち上がる。体中に走る激痛。心が折れそうな痛みでもあなたは耐えることが出来た。

 決めたことだからだ。最初に決めたことがあなたの体を突き動かす。

『俺は見たこともない誰かを助けたいとまでは思わなかった。でも、ここに居る。それは、目の前にいた少女を助けたいだけだ。最初もそうだ、今もそうだ。だから、俺はお前を助ける」

 源城は顔を俯けて、涙を流す。

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……私は出来なかった、私は失敗しました」

『何も終わってない。たとえ最初思い描いたのと違ったっとしても、お前は皆を助けろ』

「私にはもう出来ることなんてない!」

『俺だってそうさ! それでも次はないんだ。悔いがあったとしても、小さいほうがいいだろ』

 あなたは歩き出し源城の元を離れた。

 顔を上げた源城は、その背中を見て、涙をこらえて立ち上がる。

 あなたは融解するゲートを超え、逃げ惑う人々を振り切り、ツキリの脇に立つ。ツキリの全身は焼け焦げて満身創痍であり、戦いの激しさを物語っていた。

「あららあら、もっとゆっくりでいいのに。あいつを殺すぐらいは待ってくれないかしら」

『女の子は?』

「とりあえずは無事よ」

『その様子ならヒステリーは終わったな。ならやるぞ』

「ええ、やってやるわ。救うことが出来ないのなら殺すしかないもの。合わせなさい」

 傷ついた有様とは真逆にツキリはの殺意は研ぎ澄まされた。

 対峙するエンガはあなたたちを見下していた。

『そうだな。おい、化け物』

「化け物。そうだエンガは化け物だ。恐れろ」

『一応言っておく、泣きわめこうがぶち殺す』

「ヒハ。ヒヒ、ハハハハハハハハハ……愉快。実に不快。なんて不愉快なんだ。貴様らごときに出来るわけがない。死ね猿、ファイアサークル」

 エンガが胴体を構成する触手のから炎を放出し自らを守る空間を形成する。炎はグロテクスな蛇のように動き回り、獲物を求め舌を動かす。

 あなたは一人ならば近づくことすら出来ずに炭となるだろう。ツキリ一人では炎蛇とエンガを相手にするには手数が足りないだろう。

 だが、あなたもツキリも一人ではない。

 ツキリの白い軌跡を描く刀が炎蛇を切る。飛び散る炎。切り裂かれた熱波の道。あなたは踏み込む。勢いの乗った拳がエンガの顔面を捉える。

 焼ける熱量、鉄のように固い皮膚の感触、重厚な質量。殴った拳が傷つき血を流す。

 ニタっとエンガが得意そうな表情を浮かべる。

 あなたはギギッっと奥歯を噛みしめた。力を込めて逆の拳を叩きこむ。灰色の硬質な皮膚に僅かな亀裂が入る。

 動揺するエンガを刀が撫でる。凍り付く表面が亀裂を大きくする。

 エンガは苦し紛れで長い頭で薙ぎ払う。あなたは跳んで避けた動作で上から浴びせ蹴りを食らわせる。

 皮膚が零れ落ちながらもエンガは頭を振り上げる。

 持ち上がられた勢いを利用したあなたのかかと落としがさく裂。衝撃の大きさで頭をふらつかせた。

 あなたは拳を固く握りしめる。傷つき血を流す拳を。

 そして、力一杯殴りつけた。

 殴り、殴り、殴り、殴る殴る殴る殴る………………。

 貯めこんでいた怒りを吐き出す乱打。故に止まらない。

「……!」

 悲鳴を挙げ、たまらず下がったエンガ。

 隙だらけの頭に全力の右ストレートがさく裂した。大きくよろめくエンガ。砕けた皮膚からは炎のような液体が流れる。

 それだけに終わらずツキリの刀がスルリと傷口を撫でる。発生した霜が傷口をえぐった。

 頭部の左半分が激しく傷つき苦悶の声が上がる。それでもエンガは距離を取り、触手から自身を守る炎蛇を発生させた。

 桜の木が燃えて、炎はいよいよ空までも赤く燃やし始めた。

 ここに至ってエンガは初めて、正面から八っつの目であなたたちを睨んだ。

 視線の圧力に背筋がゾワリと逆立つ。

 雰囲気が変わった。猿と見下していた相手にする目ではない。ここまでダメージを受けて初めて敵と認識した。

 それを直感したあなたは弾けたように突っ込む。ツキリが作る道を走る。放つ拳の狙いは正面。スッと長い頭が角度を変えた。それだけで拳が皮膚を滑らされる。

 受け流し!?

 驚愕するあなたの前でギパっと大きな口が開く。誇示される鋭い牙。あなたのアッパーが口を閉ざし長い頭をかちあげる。

 わずかに宙を浮く体。八つ瞳はあなたを睨みつづけている。

 走る悪寒。エンガは攻撃を食らった状態を利用し、限界まで伸びきった体で思いっきり頭を振り下ろす。

 とっさのクロスガードが間に合い致命傷は避ける。しかし、防いだはずの衝撃が骨を軋ませる。体を突き抜ける衝撃で一時的にマヒしたあなたの胴体に頭を移動させる。口がつく距離で空気を吸い込む。

 明確な死の予感に戦慄するあなた。白い刀が動く。それに合わせエンガは密着状態となったあなたの体をツキリへぶん投げた。更に追撃を加える。

「ファイアストーム」

 小規模であっても、その熱量は致死量。

 宙を浮くあなたに避けるすべはない。炎の渦があなたを囲む。ツキリは刀の軌道を変えて炎を切り刻む。それはエンガの前では致命的だ。

 エンガが隙だらけのツキリに突進し弾き飛ばす。距離が開けたことで悠々と炎の蛇を再生させる。

 器用に地面に転がったあなたは素早く立ち上がり、構える。だが、攻めあぐねている。ツキリが切り込まないから踏み込むことが出来ないが、ツキリもあなたと同じ理由で切り込めない。

 なぜなら、攻撃よりも防御を優先したからだ。

 たったのそれだけだ。それが出来ることが逆に敵の恐ろしさを示していた。今の攻勢は押せば勝てたのだ。追撃すれば勝てたタイミングを捨てたのは確実に勝てると判断したからに他ならない。

 だから、今もエンガはニタリと笑いながらも一挙同も見逃すまいとあなたたちから目を離さない。

 強い。ファイアストームだけの化け物じゃない。攻防一体ファイアサークルはそれだけで脅威であり、八つの目が的確に危険を把握する。なによりも、それらを十全に駆使する判断力。

 あなたは乱打で仕留めきれなかったのを思わず悔やむほどの強さだ。

 ツキリが状況を変えるために切り込む。変調子。炎蛇を払った刀を切り返し頭上からエンガを狙う。威力を重視した刀を前にエンガが逆に近づきツキリごと横から頭で薙ぎ払う。

 防具がはじけ飛ぶほどの衝撃を受けるツキリ。追撃の自動車のような突進が迫る。あなたの横から蹴り。逸らされた突進は衝突した消し炭の木をぶち折った。

 止まったエンガの横っ面をあなたの拳が殴り亀裂を入れる。だが、エンガは見向きもせずにツキリを狙う。突進。もつれる足で辛うじて躱す。急停止したエンガはかみつく。

 ツキリは刀を間に入れることで辛うじて防いた。刀に触れている口がみるみるうちに凍り付いていく。凍りながらもかみつきを止めないエンガは逆に押し倒す。のしかかり動けない状態で空気を吸う。熱量が氷を解かし口が元のように牙を誇示した。

 炎が吐き出される。あなたの体当たりが砲口を逸らす。

 炎を止めたエンガはあなたを見た。跳ねるようなかみつき。躱したあなたに急転換しさらにかみつくこうとする。ジャケット一枚の差でかわしたあなたを炎蛇が襲う。肌を焼く炎は直ぐに消えた。膝をついた状態のツキリが切ったのだ。

 エンガは再び距離をとる。

 好機。それを追いかける体力はなかった、あなたもツキリも。

 連戦に次ぐ連戦。度重なるダメージ。そして何よりも熱波が致命的に体力を奪っていた。

 邪魔をするものが居ないと分かったエンガは悠々と空気を吸い込む。

「随分、疲れているみたいね」

『年寄りは無理しなくていい』

 あなたは辛うじて立ち上がる。膝をついたままでいたツキリも刀を支えに立ち上がった。

 空気が高音で吸入されていく。

 ツキリは刀を寝かせて突き出すように構える。だが、それはもう構えではなかった。震える切っ先が体力の限界を伝えている。平突きは突き立てられない。

 あなたはツキリの前に立つ。意味などない。しかし、奇跡的にあなたの体で炎を防げるかもしれない。

 エンガの口から炎があふれる。それでも貪欲に空気を吸い込み続ける。塵一つ残さないために。全てを灰にするために。

 空気が甲高い悲鳴を挙げた。

 エンガを見据え、終わりを覚悟するあなた。

 その瞬間、あなたの頭に鉄で殴られたような重い衝撃があった。

 ギャリギャリギャリ。

 鎖が軋む音があなたの中から聞こえる。つながれた感触に戸惑うあなたの頭に直接歌が響いた。

 この状況でも思わず聞き入ってしまう歌。背中を後押しする歌に動くことも出来なかったはずの体に力が湧いてくる。

 変化はそれだけにとどまらず、ツキリの刀から流れる冷気があなたの体を優しく包む。全身を余すことなく包む白い鎧となった。

 ……これがつながる力? 

 振り返るあなたの目に、花道を超えた先にある光景。燃えるステージでライブを続ける源城たちの姿が映った。

「ファイアストーム」

 エンガの砲口から放たれた炎の渦があなたを飲み込む。

 視界を染める恐しい赤色。

 獲物を求める怖れる炎の音。

 全てを飲み込む畏れる灼熱。

 あなたは拳を握りしめ目を閉じた。その時が来るのを信じて立ち尽くす。

 絡みつくグロテスクな蛇。激しく挑みかかる。燃える舌であぶられても氷鎧は解けない。突き立てるられる牙を何事もないかのように弾いた。蛇は諦めずに何度も何度も迫り続ける。それでも氷の鎧は一ミリたりとも揺らがない。

 とうとう、炎が止まった。辺りには水蒸気が立ち込めていた。

 氷の鎧の中で、あなたは目を開いた。

 勝利を確信し高笑いを上げるエンガを見据え、あなたは一直線に抹消面から突進する。

 驚愕の表情を浮かべるエンガ。

 あなたは固く固く握りしめた拳をぶつけた。

「死ーーーーーーーーーーーーーーーねーーーーーーーーーーー!」

 ラッシュ! ラッシュ!! ラッシュ!!!

 それは拳の嵐だった。

 嵐を前にエンガが出来るのは耐え忍ぶだけ。

 氷が砕ける。固い皮膚に亀裂を入れた。拳が砕ける。皮膚にひびを入れた。

 それでも止まらない。怒りが止めさせない。決意の拳は砕けない。

 エンガは耐える。エンガは耐える。エンガは耐えて。

 ついに、皮膚が砕け散った。

「ギィエアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 エンガの悲鳴。

 それでもラッシュは止まらない。変形するエンガの長い頭。ボロボロに砕けていくエンガの体。

 スマッシュ!!!!

 最後の一撃がエンガを吹き飛ばす。

 見るも無様な姿。それでも生きている。呆れるほどのタフさで生きている。

 しかし、あなたの膝が地に着いた。気力を限界まで振り絞った結果だ。

 だが、あなたは、あなたたちは一人ではない。

 フワリと白鳥の翼が舞った。それは白い長刀。業火で研ぎ澄まされ続けた殺意。

「死になさい」

 頭部を貫く突きは鍔まで深々と刺さった。間髪なく変換される横なぎ。その切れ味はエンガを真っ二つにした。

 源城の歌が止まった。そして、鎖でのつながりが途絶える。

 戦いは終わった。

 体中が痛む、特に拳は酷い。指一本も動かしたくないほど疲労していて横になりたいと体が訴えている。

 あなたはツキリを見る。ツキリもあなたを見た。互いにボロボロの姿に思わず笑いがこぼれた。笑った振動で体が痛むが笑わずに言われなかった。一しきり、笑った後、何とか立ち上がるあなたたち。

 状況は最悪のままだ。全ての魔物とエンガを倒したが、辺りは燃えていて早急に離れなければならない。

 女の子を連れて源城が駆け寄ってくる。女の子はふさぎ込んでいた。

 あなたはかける言葉を探す。だが、言葉なんてなかった。あるわけがなかった。それでも言葉を探すあなたの肌がざわついた。

 何を感じ取ったのかすら分からずに。あなたは燃える空を見た。

 それは異様な光景だった。

 紙吹雪のように空の欠片が一枚、ひらひらと落ちた。空の破れる音が鳴り響き、切れ目から巨人の腕が生えている。

 それは異常だった。

 あまりの異常にあなたの体が勝手に震えた。

「まおう」

 小さな声。

 あなたは目だけで声の主を探す。地面の上で真っ二つになったはずのエンガ。その八つの瞳は怯えと憎しみが混じっていた。

 それは畏怖。

 死を前にしてもなお強い感情があった。強い執着があった。

「まお、う。ま、お、う。ま……お……う……化け、物」

 怨嗟の声を上げてエンガはちりとなって消えた。

 あれが魔王。

 あなたの喉が唾液を飲み込んだ。

 身じろぎもしない巨人の腕を前に誰も動けない。ツキリもあなたでさえも。

 そんな中で一人だけ動いたものが居る。女の子は、あなたたちから離れる。その腕には熱で変形した空っぽのペットボトルを胸に抱いていた。

 融解したアスファルトの前で口を開く。

「ママ、どこ?」

 状況を理解していない声。死を理解するには幼く。しかし、何かがあったことだけは理解している。だからこそ聞く者にはその悲痛な叫びが分かる。弾かれたように源城が駆け寄り、後ろから女の子を抱きしめた。

 そして、喉を震わせる。

 それは思い。亡くなった者を弔うために告げる思い。

 鎮魂歌。

 悲しみを告げる歌。失ったものの価値を告げる唱。それでも私たちは生きていくと告げる離別の唄。死者を弔うための詩。

 永く続いた時間が終わる。

 魔王の腕が震えた気がする。悲しみのようにも見えた動きのあと、空の切れ目へ消えた。

 そして、あなたたち勇者の体が光に包まれる。役目が終わったのだ。消える間際に女性は幼女へと言葉をかける。その言葉をあなたが聞き遂げる前に光の中へ消えた。

【救出編 完。エピローグへ移動】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る