救出編①

 留置場の白い床に壊れた鉄格子の欠片が散乱している。穴が開いた白い壁。傷ついた白い柱。煤けた白い天井。白い蛍光灯の光に照らされる少女。

 あなたは口を閉ざして少女を見つめた。そして、その握りしめている拳が震えていることに、初めて気づいた。魔物に襲わればかりなのだ。それも当然だ。それでも、少女は人々を助けたいと言った。

 健気で無力で可愛らしい少女。震える拳を握りしめている彼女も勇者なはずだ。しかし、勇者とは思えないほど弱い。戦えないほど儚い。もし、彼女を留置場に置いていったらどうなるか。

 あなたの脳裏に浮かぶ光景は一つ以外ありえない。逃げ惑った末に少女が魔物の爪に貫かれる光景だ。それは、先ほど起きた光景。あなたが防いだ未来。だが、あなたがいなければ確定される未来。鮮明な映像はあなたの心臓を痛いほど跳ねさせた。それは目の前の少女を見捨てることは出来ないという強い思いだった。

 思いに気づいたあなたの体に見える変化が訪れた。

 それは瞳。あなたは決意がこもった瞳を少女に向けた。その力強さは、たとえガスマスクごしでも伝わるほどであった。

 少女もまた変わった。少女の瞳にあった涙がなくなり、変わりに花開くような笑顔を浮かべた。それだけでも決意した価値があったと思えるほどの笑顔だ。

「あなたほどの人なら、分かってくれると思ってました。イロモノですけど、やっぱり誰かを助けることが一番大事ですよね」

「人命の数を優先するなら、一刻も早く討伐をするべきだがな」

『それでも困っている人を見過ごすことは出来ない』

 端的な返答に太った男は面を食らう。重く息を吐いた。あなたはせめて、自分の思いを告げようとするも、太った男は聞きたくないと太い腕を振って遮った。

「思ったよりも甘い野郎だな。それとも相手が女だから、良い格好を見せたかったのか? なんなら、ガキみたいな勇者らしいとでも言ってやるよ。まあいいぜ、ならよ、ここでお別れだ。信じるぜ、お前の言葉。せいぜいオレの分まで救ってやってくれ」

 太った男は言い切った。そして、無駄口をたたく時間も惜しいというように、止める間もなく留置場を出て行く。男の道は想像を絶するほど険しいだろうに躊躇いなど微塵もなかった。

 独りだったしても力強く揺らがない、太い大木のような男。あの男と肩を並べることが出来ればどれほどの幸運だろうか。今からでも追いかけるべきではないだろうか。一緒に魔王と戦うべきではないか。

 そんな誘惑のような考えがあなたの頭によぎった。今、あなたは確かに惜しいという感情を覚えていた。それでも、誘惑のような感情を断るように頭を振って、その感情を捨てる他なかった。あなたは決意しているのだから。

 今にも崩れそうな留置場で二人きり。不安そうな少女にあなたは笑いかけ、ガスマスクで見えないことに気づいた。

「遅れましたけど、助けてくれてありがとうございました」

『あのくらい大したことじゃない。忘れ物はないな』

「はい! 早く私たちも行きましょう」

『そうだな』

 あなたたちは、廊下を歩き留置場から警察書へ移動した。

 警察署内は予想できる通りに酷いものだ。留置場とはまた違う息苦しさが辺りに充満している。

 床には書類が散乱し混乱の極みに達していたのが分かる。倒された机や転がる消火器は必死に抵抗した証だ。壁にある真新しい血痕は……。署内の至る所に荒らされた跡があるが人はいない。割れた窓ガラスから見える外の景色は見慣れた町であるはずなのに、人が居ない異世界のように見えた。

 静けさが息苦しさを助長している。生きている音が何も聞こない状態にあなたは声を出さずにはいられなかった。

『誰かいないか?』

 居てくれと願いを込めたあなたの言葉。返答は壁の反響。しばらく待っても、壁にかかる時計の針の音がカチカチとうるさいだけだった。

「どうして、人が居ないんでしょうか?」

 さあな。とあなたは口で流すが、質問の答えには想像がつく。ただ、口に出すのは憚られただけだ。壁にある真新しい血痕があったのだ。留置場で襲ってきたミールの手に血がついていたのだ。体がないのは……つまりは、そういうことだ。

 少女が気づく前に小さな手を引き、あなたは足早に警察署を出た。

 季節は春。

 柔らかな日差しに薄く雲がかかる青空。柔らく吹く風に桜の上品な香りが鼻孔を擽る。

 あなたの重苦しい気分を解きほぐすかのように肩に入った力が自然と抜けた。

 青空をバックに立ち並ぶビルはあなたも見慣れている景色。ブーツ越しに感じるアスファルトも固いままだ。しかし、今は見慣れない光景に代わっていた。普段ならあふれるほどの人通りも行き交う車もない。まるで町全体の人死んだように静かで死に絶えたようだ。

 だが、歩くモノが居なくなったわけではなかった。人間の代わりに跋扈する魔物。それも警察署の前だというのに、だ。この世界の人間では対抗できないのならば、この状況は予想できたことだ。静かな町に時折、響く奇声。町全体に魔物があふれているのは想像に難くない。

 目の当たりする光景に、あなたは困っている人を助ける決断したのは間違いではないと確信した。そして、同時にこうも思った。

 この光景はあの男はどのような目で見たのだろうか? 

 あなたは無駄な考えを頭を振って払い、手始めに魔物を片そうと足を踏み出す。だが、すぐに足を止めた。止めざるを得なかった。

 気が変わったなどという曖昧なものではない。あなたは明確なナニカを感じ取った。だが、それは言葉に出来るほどの状態ではなかったのだ。

 何かが起きている。あなたが進もうとした場所はそれほどの違和感が満ちていた。慎重に周囲を観察するあなたは違和感がすぐ近くまで寄っていたことに気づく。

 隣にいる少女。寒そうに自分の体を抱きしめていた。その吐息が冬みたいに白い。

 冷気が辺りに満ちている証だ。意識した瞬間、あなたの服の上から冷気が肌を突き刺し存在を主張する。これを感じていたから止まったのだと理解した。

 あなたは首をバッと動かす。もう一度、見上げる空。そこに変わりはなく春空そのものだ。慣れ親しんだ空を見間違うはずがない。この寒さは気候的な問題ではない。あなたの瞳が異常の発生源を探し、より冷気を強く感じる大通りを見据える。

 人が居ない歩道。事故車で溢れた車道。魔物あふれる大通り。青い氷像が乱立する町。

 それは魔物の群れの前に居た。

 白い軌跡が舞う。

 ふわりと白鳥の羽のように緑色のミールを撫でた。

 それだけでミールの体に霜が降りる。霜は驚くほどの早さで成長し、もがく時間すら与えず全身を覆う。目玉すらも凍り付き、瞳に何も移さない氷像と成り果てたミールは二度と動くことがなかった。

 白い軌跡がゆるり動く。軌跡を描いていたのは長刀だ。それを持つのは、肩にかかる銀髪を揺らす妙齢の女性。桃色の着物の上に手甲、足甲、肩当。大きな胸も防具で覆っている。そして、女性の体には傷一つなかった。魔物の氷像を乱立させ、これほどの冷気をまき散らしても、なお無傷だった。

 それを証明するかのように女性へ魔物の群れが襲い掛かる。

 四方八方。迫りくるミールたちを前にも長刀はゆらり動く。長い間合いで一方的にミールを制圧する。近くから順番に倒していく様は、わざわざ魔物たちがやられにいっているのではないかと錯覚するほどだ。

 短い時間で全てのミールが凍り付く。女性は残った唯一の魔物、ミゴーラと対峙する。ふわりと動く刀の動きに変わりはない。

 脅威だと分かっていないのか、それとも……。

 振りかぶって放たれたミゴーラの腕。女性は踏み込んでかわすと同時に足指を薙ぎ払う。すれ違いざま、前のめりに倒れるミゴーラのうなじを切っ先で刺した。

「アイシクルエッジ(氷綸剣)」

 長刀が白く輝く。一瞬後、ミゴーラの全身が凍り付く。出来上がった氷像は魔物の殲滅が完了を告げた。

 ミゴーラをたったの一合でいともたやすく倒した女性は、転がる鞘を蹴り上げ中空で納刀する。

 そして、静謐の帳が降りた、魔物の氷像を背にたつ女性を中心に。

 冷たくも……美しい光景。

 躍動感あふれる魔物の氷像が立ち並ぶ様は、前提的な芸術だ。勇者だからこそ、女性だからこそ作れる芸術だった。

 あなたの肌を突き刺す寒さの正体はこれだった。物理的な寒さと、分かる者だけにしか分からない心胆を冷やすほどの技量。

 現代に誕生した雪女が敵ではないことに、あなたは密かに安堵した。

 それだけ、雪女の技量は凄まじいものだ。それは納刀からでも分かる。長い刀を鞘に納めるのは、それだけでも難しいことだ。無論、それだけで技量を図れるわけではなく、あなたも判断の一助にしかしていない。演舞だけが上手なものとは決定的に違う刀の扱い。刀とは元来、突くものだ。あるいは叩きつけるものだ。そうやって敵を殺す。それなのに雪女は刀で数cm切り付けて倒していた。刀と体力の消耗を厭う思考とそれを実現できる技量。つまりは戦士としての魅力。挑みたくなる競いたくなる魅力にあなたは知らずに拳を握りしめていた。

 呆けたように見る少女と試すようなあなたの視線居気づいたのか、振り向いた雪女は柔らかな表情を浮かべる。切れ長の青い瞳には、また一味違う溺れたくなる女として魅力があった。

「あららあら、予想はしていたけど、やっぱり外れなのかしらー?」

 柔らく頬を撫でる仕草におっとりとした口調。しかし、内容は真逆だ。扱う刀のように切れ味がある。少女はあっけにとられた。

「え?」

 驚きの声はどちらにだろうか。

 外れと言った言葉の矢か、それとも矢のように一直線で走ってくる雪女にか。

 即座に詰まる距離。雪女は長刀を振りかぶる。それは長刀の間合いよりも遠く、しかも鞘がついたままの大ぶりな横なぎ。

 あなたは少女を突き飛ばし、反動で逆へ飛ぶ。鞘走り。シャランと伸びる横なぎ。届かなかったはずの一撃が、あなたの近くを通り過ぎる。剣風でジャケットをはためかせる。

 勢いで飛んでいく鞘。攻撃を兼ねた抜刀でむき出しとなった長刀がふわり動く返しの刃となる。

 避けたあなたの顔の前を白い軌跡が通り過ぎていく。斬線が凍り付き、空中に白い筋が出来る。その冷気はガスマスクの下まで届き、痛みを覚えるほど皮膚を凍らせようとする。

 雪女は倒れた少女に構わず、あなただけに狙いをつける。

 唐竹、逆胴、袈裟切り。

 淀みのない連撃がスルリと襲いかかる。

 たやすく避けたあなたが感じたのは、手ぬるい。それだけだ。

 続く連撃を回避しながら、意図を読み取ろうと思考の回転を速めるが答えは出ない。薙ぎ払いを躱し、通り過ぎた刃を追いかけるように右足を前へ出した。

 瞬間、白鳥の翼のようにふわりと刃が反転し足を狙う。

 あなたは即座に地面を蹴って跳ぶずさることに成功した。迷っていたため、踏み込みが浅かったのが皮肉な結果をもたらした。

 あともう少し深く踏み込んでいたら、右足とおさらばしていた。思い返される刃の鋭さに右すねが切られたかのような幻痛を訴え、あなたの体に脂汗が吹き出る。噴き出た汗が寒さに凍り付く。

 雪女は、あなたの内心を知ってか知らずか、あらあらと意外そうな表情をしたのちに切り込みを再開する。

 攻撃は手ぬるく回避することは容易い。しかし、前に出ようとすれば出足を狙う。それだけは徹底していた。間合いは常に一定。敵に攻撃はさせず自分だけは攻撃する。見本のような戦い方。悪い見本のようにあなたが不利な状況だ。

 周囲を見たあなたは、避けながら歩道へ雪女を誘導した。そこにあったのは黒のガードボール。車の侵入を防ぐためのもの。刀とて例外ではない。

 刀が動くには十分な空間が必要だ。それが長刀ともなればなおのこと。即座に見抜いたあなたの作戦勝ちだ。

 刃がピタッと止まる。ここで雪女は初めて構えた。

 切っ先を相手に向け、刃を地面と平行にし(寝かせ)た。

 向けられた剣先から発せられる圧力があなたの背筋をなぜる。それは死を意識した恐怖。ミゴーラとの戦いでも感じた感覚。違いがあるとするならば、ただの暴れるだけの無作為な力と指向性がある力の違い。暴力と殺意の違いだ。

 殺意は明確な形を成している。

 あなたは、あれを知っている。

 突き。それも平突きだ。次の攻撃には間違いがない。

 平突きは、突きから横なぎに変換できる技だ。だが、それには多大な欠陥がある技だとあなたは理解している。突きは伸びなければ意味がない。そして伸びがない突きなど、自殺行為にすぎない。来ると分かっていても避けられないからの刺突。そして外せば隙だらけの使い手が死ぬ諸刃の技。

 伸ばし切った状態から変換する横なぎならば、大した威力など出せるはずもない。そもそもが肋骨を滑らせる乱戦用の技だ。伸ばすだけなら片手突きのほうが伸びる。あるいは突きが見せ技ならば、その程度のものならば横なぎが来る前に踏み込み、拳を届かせられる。

 あなたの分析に間違いはない。逆にその分析を理解できているはずの雪女の表情に変わりはない。柔らかな表情を保ったまま。その眼差しだけが切っ先のように鋭い。

 瞳はなによりも明確だ。仕留める気なのだ。

 明確な殺意を前に、あなたの生存本能ががなりたて心臓が弾み、それと裏腹に筋肉が竦む。縮こまる……それこそが相手の思うつぼだ。動かない相手など的に過ぎない。

 大きく呼吸し無理やりリラックスしたあなたは女性を見据えて距離を慎重に図る。気が弱いものなら心臓が止まるプレッシャーの中1ミリずつ近づく。突きのタイミングを外すために、少しでも有利に運ぶために一刀一足の間合いへ入っていく。

 女性の足も1ミリずつ動く。少しでもあなたを不利にするために。その刃を突き立てるために。

 ジリジリジリ。

 砂利の立てる音が耳に障る。

 ジリジリ。

 互いの呼吸すら聞こえる。刀は揺れず泰然としている。

 ジリ。

 ……。

 切っ先が揺れる。

 あなたは地を蹴る。雪女よりも早く。

 遅れて動いた雪女は刀を突きだす、後ろに跳びながら。

 まずい!

 あなたの背筋に走る予感は死が確定したことを告げる。知らずのうちにあなたは雪女の術中にはまっていた。

 しかし、今更動きを変えることは出来ない。雪女の動きも変わらない。

 平突き、変形下がり。

 串刺しにしようとする切っ先を躱し、さらに距離を詰める。それでも遠い。間合いは一刀一足のまま。刀は届く。拳は届かない。

 ふわりと動く刀は横なぎへ変換された。

 右から迫る刃を回避できない。

 死ぬことは出来ない。まだ何も出来ていない。少女を助けると決めたのにまだ何もしていない。

 決意があなたの体に満ちて右腕と右ひざを動かした。

 刀に肘と膝を叩きつけて挟み込む。寝かされている状態だから出来る白羽取り。

 並の刀なら砕ける衝撃でも白い刀に傷一つ付かない。それどころか触れた部分からジャケットが凍りつく。そのせいであなたは身動きが取れない。だが、長刀も動くことは出来ない。

 死の淵を逆転した瞬間。油断とも呼べない刹那の隙、あなたの予測を雪女はまたも上回る。刀を手放した雪女が距離を詰め、手が伸ばした。

 動けないあなたを狙った一撃。

 コツン。

 白い指先があなたのガスマスクの上から額を叩いた。予想外のことにあなたの目はまん丸になる。

 その様子に女は不満そうにグーリグーリと指を動かす。思う存分、優に十秒も動かしてから離した。

「手抜ーきは、酷いんじゃないかしら。それとも、おばさん相手に本気になる必要はないってことーかしら。ひどいわー、次は初手からぶっ殺しに行ってやるわー、もうブスっとスルリとやっちゃうからー」

『俺が敬老精神にあふれているから仕留められなかったって言いたいのか』

 鼻を鳴らした雪女はみちっとした足であなたを蹴った。ゲシッと衝撃を与えた一撃で氷が砕け、固定されていた刀を握り直す。そして抜刀の際に飛んで行った鞘を拾いに行く。

「見ての通ーり子供も産んだし、私はお婆ちゃんなーの。だから、もっと優ーしくしてほしいわ」

『年寄りを敬って仕留めろって言いたんだよな?』

「そーそー、だから次も手を抜いたら切り捨てるからー。まー、次があればーだけど」

 おっとりとした口調は戦う前と変わりはない。眼差しに残る鋭さだけが本気だとあなたに伝えている。それも納刀と同時に消えてなくなった。再び浮かべる柔らな表情からは剣士としてのサガなど微塵も感じない。

 結局、今の戦いは試しの一環だったということだ。

 無論、あなたとしては手を抜いた覚えではない。あくまでも結果的には戦闘の駆け引きは女のほうが上だったのは確かだ。それも武器の差があるから当然。雪女が言う通り年の功もあるのだからなおのことだ。そもそも奇襲同然に襲い掛かって討ち取れない方がまずいのではないか? 勇者なのは間違いない、剣士なのも間違いない。しかし、どういう人間性なのだろうか? この女、大丈夫か?

 考えていることが漏れないように黙っているあなたを見て、雪女は口を開く。

「あら、もしかしてだけど、この程ー度で怒っちゃった? ごめんねー」

『欠片も悪く思っていないくせによく言うな。なんで、試すようなことをしたんだ』

「だって、見ていたでしょー。だーかーら、見れる分だけ見せてあげたんじゃない。もっと見たかったのなら、もっと見せてくれないと。瞳は嘘をつかないわー、最初に私を見ていた時の瞳はーね」

『……それだけか? 本当にそれだけなのか。外れと言った奴にわざわざやることか』

「そーよねー、あなたたちは外れよねー。私、間違ってないわ。だって、そうでしょー。銃刀法違反で捕まる人たちだもの。余計なトラブルを起こしている人に価値を見出すのはムズムズって思うわよねー」

『なら、なんでお前はここにいるんだ。誰かと合流するつもりなら、よそに行け、よそに』

「んーふふ、なーんでここにいるんでしょうね?」

 ……。

 戦いが不本意な形でこそ終わったが、雪女に対する恨みつらみは、あなたにはない。あなたは寛大な人間だから、いつまでも根にもつような人間ではない。

 だが、それとは別にあなたが今、感じていることがあった。

 端的に言って脳がバグる。

 声質は神経をなでて落ち着かせるが、言葉は神経を逆なでする。目的も考えていることも分からないのに、そのくせに無駄に絡んでくる。かといって無視できるものでもない。無視した瞬間、じゃあ続きねとか言い出しそうな怖さがある。だが、警戒すれば声質で神経をなでて落ち着かせてくるのだ。出来の良い無限ループに嵌められた感じである。だから、言いようのないモヤモヤが積もっていく。

 積もっていくバグにガシガシと頭をかくあなた。落ち着いたとみて近寄ってきた少女が雪女の前に立った。

 両腕に巻き付いた鎖がジャラジャラと音を立て、少女の意気込む表情にあなたは妙な胸騒ぎを感じた。それは俗に言う嫌な予感だと確信してしまった。

 黒髪の美少女と銀髪妙齢の美女。つぶらな黒い瞳と切れ長の青い瞳。その組み合わせに不安を感じる要素はあるはずがなかった。

 あなたは気のせいだと、自分の胸の内を鎮めようとした。

「あの! 私、源城 愛鎖と言います。芸能活動、いわゆるアイドル活動をしていて、この鎖がアイドルの証なんです。それで、えっと、色々あって、私たちは人を助けたいんです」

『ちょっと待て、いろいろと待て』

「あらー、おバカちゃんだわー」

『そうだが。言葉は選べよ年寄り』

「だから、私たちと一緒に来てください!」

「いいわよー、私はナイゼン・ツキリ。旧姓は武藤だからノンシュガーって呼んでいいわよ。よろしくねー」

 形のいい唇からの名乗りはツキリをより魅力的に表していた。

 しかし、あなたはあっさりと決まったことに体温と血圧が上がり、思わず叫ばずにはいられなかった。

『だから、待てって言ってただろ! ツキリも簡単に乗るなよ! おバカちゃんだわって自分で言ったじゃねえか!』

「え? いいかなーと思いまして」

『何がだ! いきなり襲い掛かってくるような奴だぞ、常識で考えろ! ツキリも常識でよく考えろよ!』

「考えてもどーにかなるものじゃないし、源城ちゃんと私のことに口を出すなんて野暮ねー。そーれーに、バランスってあるじゃない。要は人を一人殺したら、一人分を救わないといけないと思わなーい」

 冗談として受け流せない内容に、あなたの口がパクパクと動くが言葉が出なかった。

 ツキリは茶目っ気たっぷりに、あなたへウインクする。あなたはからかわれたことに気づき、また、頭を掻く羽目になった。

「あららあら、本気にしちゃった?」

『質の悪い冗談を言うな』

「んーふふ、どーでしょうねー。まあ、文句を言われたところで私は気にしないから気にするだけ損よねー。それで、どーするの?」

『結局、ついて来るのかよ。あー、その……まあいいよ、はあ。人数は多い方がいいしな。一応、俺にないこともない』

「任せてくださいノンシュガーさん。私にパーフェクトプランがあります」

「あら、どっちもダメそー。期待しないけど、聞いておきましょう。ガスマスクのガー君から」

『何で上から目線なんだ、ってか何様だよ。勝手に話を進めるし、変なあだ名を勝手につけるな。俺の名前は後でいいな。俺の考えは、防衛線を築く。って言ってもあれだ、よさげな場所を見つけて、そこでとにかく目につく限り、魔物を倒せばいいんじゃないかって程度だ。この辺りを全く知らないし、どうやってとかは全く考えてない。な、言った通りにないこともないって程度だろ』

 逃げ遅れている人を守る。そのために安全圏を作り魔物を排除する。それは結果的に魔王を倒す者たちへの援護にもなる。最低限の構想でしかないが、一人一人を救出して回るよりも効率的だ。

 二人はあなたの考えを神妙な表情で吟味する。ついでにあなたは自分の名前を名乗ったが聞いている様子はなかった。

「ふむ。いい考えです、賛成賛成大賛成です」

『そこまで言うほどか? そっちの案は』

「ライブをするんです、皆が元気になれますよ。私も元気になります!」

 それは案か?

 思わず、そう突っ込みたくなったが、あなたは自重した。突っ込みたくなる気持ちを、少女が出した案を考えること誤魔化す。ライブをすれば救助した人たちの心を癒すことができるかもしれない……今はそういう段階でないが。

 腕を組んで渋い顔をするあなたの脇でツキリが手を叩く。

「あら、思ったよりもアレねー。私は対案もないし、それでいいんじゃないかしら」

『それって、どっちだ? ツキリ』

「どっちもー。わざわざ選ぶ必要なんてないでしょー。でも、源城ちゃん。ライブの照明とかどうするのー」

『そこか? 今、気にするのがそこか!?』

「アイドル。それは皆の太陽。だから、太陽が私のスポットライト。でも、照明があればベターです」

『お前も乗るなっての! 要は避難者をどっかに逃げてもらって、その間に魔物を集めて倒すっってことでいいんだよな。いいって言えよ。それで、源城は戦えるのか?』

 あなたはあえて軽く聞いた。決して源城のことを軽んじているわけではない。ツキリも含めて現状を認識しておく必要があるからだ。

「無理だと思います」

 源城はごくあっさりとそう言った。留置場で分かれた太った男なら切り捨てているだろう。切り捨てられないから、あなたはここに居る。予想通りの答えにあなたは頷いた。

『そうだろうな、期待していない。戦うのは俺に任せておけ』

「あら、潔くて頼もしいわー、私も頼ーっちゃうかも」

『年寄りは働け、まだボケたくないだろ』

 ツキリがむちっとした足を動かし、げしっ、とあなたの脛を足蹴にした。

 年寄りを年寄り扱いすると蹴られる。

 あなたは、世の理不尽をジンジンと痛む脛で味わったのだ。痛みを無視して、あなたは一息をつけてから、次を考え始める。

 ……。

 目的はある、方針も決まった。あとはやり方を決めるだけだ。

 あなたの中に不安な気持ちが強くある。三人で何ができるのかという思いも。しかし、不安を前に出すような恰好悪いことをできるはずもない。源城を助けようと思い、決めたのだ。太った男ほどではないにしろ頼られなければ意味がない。

『できる限り早めに取り掛かりたいな。といっても、さしあたっては、どこでやるか、どうやって誘導をするか。問題はそんなところだな。町全体に届くような音なら、こっちの鼓膜が破れるから、どうにかしないとな』

「ふっ、そこは私に任せてください、アイドルは伊達じゃないですよ。アカペラの即興でもお任せですよ」

『……信じていいんだよな?』

「もちろんです、私なら出来ます。大丈夫です、ちゃんと考えてますから。ライブだってやりますよ」

『分かった。考えがあるならいい。ツキリ、魔物たちは町の中央のほうから来たのか?』

「多ー分。推理推測だけどー、中心のほうに侵入拠点があるんじゃないのかしら。そっちに行く勇者も見たわー。そう考えると、避難所なら遠いところにすべきねー。郊外に行く片手間で梅雨払いする感じーかしら」

『この辺りは発展しているし、大通り沿いに行けばデカい建物もあるだろうな』

「大きい建物ですか?」

『ライブやるなら会場もないんじゃ、格好がつかないだろ』

「大きい箱を用意してくれるんですか!? もしかして、あなたが私の運命によって結ばれたプロデューサー!?」

『何でだ! お前のプロデューサーは嫌だよ!』

「ひどいです、泣いちゃいます!」

「あら、女泣かせねー。それじゃーあ、あっちのもどうにかしてね」

 あなたがツキリへ聞き返そうとした口を動かした瞬間、近くにあるビルの陰から悲鳴が響く。

 あなたの体は即座に反応し、音の元へと走る。植木を飛び越え角を曲がり、細い路地にミールたちと女の子がいた。

 状況把握一瞬、殲滅一秒。駆け寄りながらの裏拳でまとめて仕留めたあなたは手を差し出す。

『もう大丈夫だ、パンプキン』

 幼女相手にあなたは使ったことがないパンプキンというあえて言葉を使った。カボチャではなく可愛らしいという意味で、おどけた感じを雰囲気を演出することで魔物に襲われた恐怖心を払しょくしようとしたのだ。

 しかし、赤い服を着た黒髪の女の子は震えているだけだった。魔物を倒したのにもかかわらず一向に動き出さず、あなたを下から見上げたまま手を取る素振りも見せなかった。

 あなたは疑問に思い、何かついているのかと自分の手を見る。指ぬきグローブには黒いちりがついている。辺りに漂うミールだったもののちりだ。これが気になるのかとを叩いて落とす。その音に幼女の体がビクッと反応した。

 そして、あなたは手を差し出す。何度も魔物を殴り倒した指ぬきグローブの手を。

『そんなに怖かったのか。心配はない、安心しろ』

 女の子は動かない。しかも、その顔は泣きそうになっていた。仕方なしに、あなたが手を近づけると後ずさる。

 なぜか開く距離にあなたは更なる疑問を覚えた。もっと手を近づけると必死に後ずさり、勝手に壁に追い詰められていた。その様子はまるで魔物に襲われているみたいだった。

 あなたは後ろを見るが、居るのは源城とツキリだけだ。その源城があなたの体を押し出す。

「邪魔です」

 源城は女の子へと手を伸ばす。女の子は抱き着いて胸に顔を埋めた。

「怖かった! 怖かったよ!」

「おー、よしよし。怖かったね、怖い人ですね。もう大丈夫だよ」

『…………もしかして、俺が怖いっていうのか?』

「そうです。でも、あなたが悪いとは言いません。ガスマスクをつけている人間に助けられたことがある人間はいません。むしろ、これから何かの実験に使われるんじゃないかと思うんじゃないでしょうか。私だったら、とうとうファンに拉致されるのかーって思います」

 またも理不尽があなたを襲う。特にガスマスクの人間が怖いというのが、あなたには理解できなそうになかった。あなたの中ではガスマスクは格好いいものだと決まっている。そうでなければ、とっくの昔に外して川へブーメランみたいに投げ捨てている。

 しかし、理不尽に立ち向かう気はないあなたは、仕方なしに口を閉ざした。そんなあなたを居ないものとして源城が女の子に話しかける。

「今日はどうやって来たのかな? 一人じゃないよね、もしかしてお母さんとはぐれたの?」

「うん、モノレールで来たの。変なのに追っかけられてお母さんが危ないって居なくなったの」

「じゃあ、探しに行こうっか」

「そーんな時間はないんじゃないかしら」

 源城はツキリに驚きの表情だけで疑問を投げた。

「だって、そうでしょー。要は魔物に襲われてはぐれたってことよねー。それはどの辺りかしらー。子供の足だし遠くはないでしょうけど、私たちはこの辺りを知らないしー、どこに行けばいいかもわからなーいわ。そーれーに、私たちはこれから郊外へ行くんでしょー。片手間でできるものじゃないわー」

「こんなに小さい子なんですよ、放っておけないじゃないですか!」

「立ー派な言葉ねー。って人は言うのかしら、私は弱いものを守るべきって考えは理解できなーいの。自分の命ぐらい自分で守るのは当然でしょー。あとー好きで弱いんでしょ、なら、自主性は尊重するべーきじゃない。自分で選んだ結果なんだから、それともー、こう言った方がいい? 母親が死んでいるかもしれないわ、時間の無駄が出来るほどの余裕が私たちにあるのかしらー?」

 それに、とってつけたように続けた。

「子供は嫌いよ。親の言うことを疑いもしないから」

 涙を浮かべる女の子と源城。それから目を背けるツキリ。

 言葉はキツイが、的外れなことは言っていない。正論であるからこそキツイと感じるのだ。だからこそ、あなたは口を挟まざるを得なかった。

『言いすぎだ。何かあったのか』

「なーんにも。私の事を気にするよりもー、この後はどうするのー?」

 はぐらかすツキリを追及しても答えないだろう。それなら女の子をどうするかを考えた方が建設的だ。

 放置するのはありえない。本来なら今すぐにでも女の子の親を探したいのは確かだが、ツキリの言う通り、探す当ても時間もない。どこかに隠れてもらうか、あるいは連れていくしかない。

 あなたはツキリを見た後、女の子を見る。

『パンプキン、喜べ。お前は選ぶことが出来る。どこかに隠れているか、着いてくるかだ。今すぐ決めろ。俺としては隠れていることを進めるが、どうだ』

「一人ヤダ……ついていく」

『そうか、パンプキン。オレたちについてくる方が危険だぞ。それでもいいんだな』

 あなたの言葉に女の子が頷いた。決まりだ。女の子が自分で決めた。

『だそうだ、こいつは自分で決断できたから、なりはガキだが中身は大人だろ』

「あららあら、すごーい屁理屈。物好きねー、どこも危険に変わりはないとはいえ。まあ、好きにしなさい、私は関ー知しないし好きにするだけよ」

『じゃあ、行くか』

 あなたは女の子に手を差し出すが怖がられ、ザザッと距離を置かれた。一切の遠慮がない逃げっぷりだった。

 傷つく光景だった。

 傷つくあなたの前でツキリも女の子に手を伸ばす。

「私がー手をつないであげようかしらー」

「いや」

「あら、振られちゃったわー」

『分かっててやっただろ』

「やーねー。そういえば、私の手が塞がったらー、魔物の相手が出来なくなるかもー。じゃあ、お荷物の源城ちゃんに預ければいいんじゃないかしら」

「じゃあ、私とつなごうっか」

「うん」

「行きましょう。目指すは野生の野外ステージです」

 ビルから離れ、あなたたちは大通りを歩く。

 本来は車のための道を四人が並んでいた。源城と女の子を中心に、あなたとツキリが左右を固めた。

 もっとも当初だけの話だが。

 郊外に向けて進むと、今更のように逃げ出す人たたちと出くわした。良くも悪くも郊外まで魔物の進行は進んでいないという証左だった。

 逃げる人々に襲い掛かる魔物を片づける。移動を進めながらもあなたたちは可能な限り人を助けていた。

「ありがとうございます」

 お礼を述べてから改めて逃げ出す人も多いが、どこに行けばいいのかすら分からない人もいる。そんな人たちはあなたたちについていく。

 最初はほんの数人だったが助けるのを繰り返すたびに人が増えていく。驚くほどの早さで十倍に膨れ上がり、それでもとまらず。いまや数えるのも面倒なほど長蛇の列になった。仕方なしにツキリとあなたは離れて人々を守るような形で歩ている。

 多くの人たちは心配そうな表情でスマホを使い家族と連絡を取り合っている。無論、中には例外もいる。

「バズるチャンスやん!」

 スマホをもって町の中心へと一人の高校生が戻っていく。非常事態だと言うのに生き生きとした表情は、とても嬉しそうで印象的だった。

「取引先に伺わないと約束の時間に遅れてしまう」

 くたびれた企業戦士が死にそうな顔で周りの静止も聞かずに駅へと向かう。

「バーゲンがあるのよ」

 三十代の女性が修羅の表情で百貨店を目指す。

 危機感が薄いのか。バイタリティーがあるのか。それとも吹っ切れてハイになっているだけなのか。自ら望んで鉄火場に向かう者たちだった。

 止める間もなく行ってしまった人たちにあなたが出来ることはなかった。

「なあなあ、あんたあんた。ガスマスクのあんただよ、あんた」

 掛けられた声にあなたは振り向く。茶髪ツインテールで中学生の女の子だ。ニヘラとした笑顔を浮かべていて、よく言えば闊達そう、悪く言えば生意気そうな印象がある。

 彼女もあなたが助けた内の一人だ。助けたときはいろいろと酷かった。

『俺か、どうした? 服のことはいいのか?』

「服!? あれはノーカン! ノーカン! だから、服のことだけは忘れてよ」

『あ、ああ。じゃあ、どうしたんだ』

 助けたときはセーラー服だった。今は真新しい服を着ている女の子は、急に取り乱す。周りを見て、何かを唐突に思いついたように犬の足型のスマホを構えた。

「そ、その撮ってもいい?」

『止めとけ』

「えー、なんで。いいじゃんいいじゃん。ちょっとだけだから」

『面白くないだろ』

「えー、いいじゃん。たっぷりどっぷり撮るだけだから」

『ちょっとから一気にかけ離れてるぞ。そもそも、撮ってどうするんだよ』

「うーんと、えーと、あれよ。あれ、そう。街頭インタビューってヤツ。インタビューじゃしょうばないっしょ。まあ、いいじゃん。勝手に撮るだけだから。無断で配信とかはしないって」

『それ、撮る意味ないだろ』

「あるって、めっちゃあるから、もうワッシワッシのポポイのポイだから」

 最後に捨ててんじゃねえか。

 あなたは口から出そうになった突っ込みを飲み込んだ。突っ込んでも話が進まなそうだったからだ。

 女の子が構えるスマホのカメラがあなたに向けられた。

「えーと、実は今、何が起きてるんでしょうか」

『オレが知っていることなんてない』

「ちょっ、ちょっと。話が終わってるから世紀末に向けたテロ組織とか適当な設定でもいいから言ってよ」

『そういうのは、向こうのアイドルっぽいのか年寄りにしろ』

「え、やだよ。どっちもやべー奴じゃん。とくにアイドルっぽいの」

『そうか?』

「えー、何で分からないのかな。そんなに鈍いと刀を持っている方に切らるよ。切られてからじゃ遅いんだよ」

『もう切りかかられた後だ』

「やっぱ、やべー奴じゃん。え、どこどこ。どこ切られたの。あたしが見てあげるよ」

 あなたの体に手を伸ばしてくる女の子から逃げる。

『切りかかられただけだ。避けたから傷はない。大体、見てどうする。刀傷なんて見ても、皮膚と肉がずれていてグロいだけだぞ』

「いや、そこはあれよ。あれ。治療してあげようかな……じゃなくて、なんとなくってやつ? でも、あっちのオバハン意外と大したことないんだ」

『年寄り扱いはするのは分かるが、オバハンは、こう。なんか呼び方がキツくないか』

「事実じゃん」

 あなたの首筋に季節外れの寒気がした。一度体験したその冷たさは忘れがたいものだ。

 振り向くと、そこには刀の柄に手を触れて、にっこりとほほ笑むツキリが居た。大分、距離があるのに会話が聞こえるくらいには耳がいい。魔物がいつ襲ってくるか分からない状況では頼りになる。

『それでなんだ』

「えーと、あの二人とはどんな関係?」

『どうもこうもない。今日会ったばかりの関係だ』

「えー、嘘だ。あたしを騙そうとしてるでしょ」

『騙す理由もない』

「へえ、そうなんだ。ふーん」

 少女は口をつぐんだ。スマホを構えるのを止めて、何か一人で頷いている。

『他に聞きたいことはあるのか』

「あ、そうそう。助けてもらって、なんとなくで付いてきたけど避難してるってことでいいんだよね」

『ああ、救助しながらの避難ってところだな。本当は移動するだけだったんだけどな』

「移動ってどこへ?」

『そういえば、地元の人間か。この辺りで大きいライブとかで寄贈な場所はないか』

「え、それって、あっちの子のやつ? もしかして、プロデューサーってヤツなの? それとも、あんたが実は芸人だったとか」

『プロデューサーなんて誰がやるか! それに芸人だろうが、ガスマスクを着ける奴がいるわけないだろ』

「いやー、分かんないよ。あたしが言うのもなんだけど、世の中、広いじゃん。実際あたしは、ガスマスクを着けたあんたに助けられたわけだし。う、運命ってやつかもしんないし」

『ないな。どっちもにしてもないな。その様子だと知らないんだな』

「郊外にあるよ。このままズイっと真っ直ぐ行けばOKだよ」

 そう言った女の子は通りから外れる方に行く。そっちは、女の子が言った方向からは外れている。

『どうした。危険だぞ』

「あたしんち、こっちだから。それに、避難で手伝えることがあるわけでもなさそうじゃん。だったら、お邪魔にならないようにしないとじゃん。この辺りは魔物もいなさそうだし。えーと、じゃね」

 最後に小さくつぶやいた。

「よくわかんないけど応援してるね、あたしのヒーロー」

 照れくさそうに少女は走り去った。

『あー』

 あなたの耳は最後の言葉まできちんと聞き遂げていた。あなたの顔がガスマスクの下で熱を持った。

「随分、楽しそーね」

 いつの間にか接近していたツキリが耳元でささやいた。源城と手をつなぐ幼女も近くに来ていた。

「女の子と話すのは楽しかったかしらー」

『からかうな、話を聞いていただけだ。このまま行けば、会場があるそうだ』

「誤魔化したわねー」

「会場。やっぱり、こっちなんですね。よかった」

『うん? 心当たりがあるのか?』

「ええ、昨日警察に捕まった場所です。こっちの世界へ来た場所です。あなたは、そういえば記憶がないんですか?」

『こっちに来た記憶がないのは確かだな。そもそも何で警察署にいたのかも分からない』

「やっぱり悪い人なの?」

 やっぱり、かよ。

 あなたは頭の中でつぶやいた。それを目ざとく見つけたツキリは唇を動かす。

「極悪人よ。私は捕まってないけどー」

「うそうそ、そんなことないからね。ノンシュガーさんは逃げたから捕まってないってだけですよね。っていうかですね、私は刀とか持ってないのに捕まったんですよ。誤認逮捕です誤認逮捕。もしくわ警察の陰謀です。私たちは神様にお願いされたんですよ」

『俺だって凶器の類は持ってないが留置場に入れられてたんだが』

「ガスマスクのガー君じゃー、ねー」

「ガスマスクですから仕方ないですね」

「やっぱり悪いんだ」

『悪いか悪くないで言えば悪くない。俺を悪いと思う奴らが居るだけだ、それが警察だっただけだ』

 あなたは真面目に言葉を返した。どこをどう切り取って聞いても、そのまんま悪人の理屈ではあり、純真そうな女の子でも疑わしそうに見るだけだった。あるいは、これ以上話したら取って食われると勘違いしたのかもしれない。なぜなら、あなたが見返すと一生懸命に目を逸らしたぐらいだ。内心は容易に推して計れる。

 歩き続けていると、立ち並ぶビルの感覚が少しずつ広がっていく。建物の種類もまばらになり背丈も小さくなっていった。閑静な郊外に入るころには排気ガスの匂いが薄れ空気の味も変わっていく。広大な敷地は林で町との境を作り芝生のキャンプ場が広がっている。それをわき目に少女は町との境へと迷いなく足を進める。子供の足でも歩ける位置にそれはあった。

 ライブ会場。

 外観は円形の劇場と言ったところだ。ステージに立つ者の姿がよく見えるように階段型になっている。その上をカーブ描く屋根が天候の変化に対応している。コンクリートの外壁が覆っていて、出入りはいくつかある金属製シャッターゲートからのみであった。周りにある植木などがよく手入れされて人気がある会場なのだと分かる。

 周辺の施設は関連の施設やレジャー設備があり、その外周にはキャンプ場もある。余暇があれば行きたくなるような場所だ。周辺の地形を考慮してもここなら魔物を集めても問題はなさそうだった。やろうとしていることを考えれば、これ以上はないという場所だ。

 もし、仮に難点をあげるとしたら、件のステージで現在イベントが開催されていることだけだろう。既に入っている客は、音楽もないのに大盛り上がりで人間とは思えないような耳障りな声を挙げていた。

 乱暴に開かれている正面ゲートの前。あなたは手を開閉する。拳の具合を確かめ、足に力を入れた。

『俺は左に行く』

 ツキリに言い捨て、返事も聞かずに走り出す。

 理由は一つ、合理性だ。連携を取らないためにはこうするべきだからだ。

 連携をとるべきなのは確かだが、そこまでの動きは無理だとあなたは判断した。相手の腕が悪いわけじゃない。あなたの動きも決して悪くない。互いの実力は把握できている。だが、連携をとれるほどの信頼がない。ぎこちない連携をとるぐらいなら、最初から邪魔にならないように動いた方がましだ。そもそもが、連携をとる必要がある相手がどれほどいるかも疑問でだった。

 あなたが入った正面ゲートの中は暗い。外とのギャップに一瞬、目が見えなくなりながらもコンクリートのトンネルを走り抜ける。

 長いようで短い不思議な空間。

 そして一気に開けた視界。

 大きなステージがあなたを迎える。そこまで続く赤い絨毯の道は、あまりにも特別。花道と呼ばれる相応しい作りだ。まるで、あなただけのために作られたかと思ってしまう。さしものあなたですらアイドルになったと錯覚する。ここで歌えたらどんなに心地がいいだろうか夢想してしまう魔性の魅力。

 折角の花道を邪魔するのは、魔物たちだった。

 数は多くない。パッと見でそう判断したあなたは浮ついた気持ちを切り替え、ミールを殴り倒し、向かって左側のミールたちを倒していく。

 いきなり現れた乱入者。その速さに追い付けずミールは一方的に葬られる。

 十匹目にしてようやく飛び掛かるミール。

 すれ違いざまにカウンター。

 さらに飛び掛かるミールの一団を裏拳。奥の一団に足払い。あなたとしては時間稼ぎ程度だったが、あまりの技の切れに全てがちりへと変わった。

 遅い、脆い。

 あなたの感じたことは、終始変わることはなく戦いは終わった。あっけなさに拍子抜けしてしまう。ツキリを見ると担当分の右側を倒し終わっており長刀を振り回していた。持て余しているのだ、あなたと同じく。

 周囲の視界は一応程度に周囲を警戒していると、裏口のゲートから源城と女の子が入ってきた。

 その後ろから、隠れ潜んでいたミールが走り寄る。

 ツキリが動く。百メートル以上離れている相手に長刀を突き出す。

「アイシクルピアス(氷綸剣・突)」

 剣先から生じた氷が狙いたがわずミールを貫いた。

 氷像となったミールを見て、そこで初めて源城と女の子は危険に気づいたのであった。泣きそうな表情で走ってきた女の子はツキリに抱き着いた。

「危険だと言ったでしょう。だから、子供はきらいなのよ」

「ごめんなさい」

 ツキリは、泣いた子供を前に口を閉じてそっぽを向くだけだった。

 悪ぶるような強がるような光景を見て、あなたと源城は少しだけ微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る