クラスでいじめられている俺が、邪神を崇拝する地味少女に好意を寄せられている(?)件について。

いちまる

オスクナ様

「――烏丸くん。私と貴方が隣同士になれたのは、偶然じゃないんです」

「……は?」


 ごくごく普通の『あずき市立大納言学園だいなごんがくえん高等学校』の南校舎二階、二年A組の教室で、それは起きた。

 頬杖をついて窓の外の虚空を見つめていた少年、烏丸からすま國臣くにおみは、思わず教室の方に顔を向けた。

 というより、彼の隣の席にちょこんと座る少女、青天目なばため氷空そらのどうにも照れくさそうな瞳を見た。


 身長は國臣より頭一つ分低く、全体的に小柄。髪は濃い茶色のショートヘアで、「ぱっつん」の前髪は目にかからない程度の長さで、頭頂部から五十センチ程度の毛髪の塊が生えている。さっきから挙動を観察していると、どうやら感情に応じて大きく動くらしい。

 沢庵状の眉毛と青いぱっちりとした瞳は縁なし眼鏡のせいで、正面からは一層見え辛い。口元の真下に黒子がある。ついでに言うと、胸だけは人並みより大きく見える。

 大納言学園高校の制服である、男子と色柄のブレザーとプリーツスカート、蝶ネクタイと、ダークブラウンの学校指定革靴、髪と同じくらい濃い茶色のストッキングを着用している。


 そんな彼女とは、隣同士の席ではあるが一度だって会話をしたことがなかった。

 ところが、彼女は小さな背をいっぱいに伸ばして、國臣に話しかけてきた。だが、頭頂部から生えた長い髪の塊が國臣の頬に触れそうになって、彼女は身を縮こまらせた。


「あ、ごめんなさい、いきなり変な話をしてしまいました!」

「……いや、いいけど」

「で、でも、どうしても話したいんです! こうして烏丸くんとお話ができるのも、同じクラスになったのも、席が隣同士になったのも理由があるんです! 全てはお導きのおかげ、百の瞳が見通した先の必然でして、げほ、んぇほっ!」


 体を小さくしたかと思うと、今度は身を乗り出して何かを力説して、普段話慣れていないからか盛大にむせる。あまりに忙しいさまを見て、訳の分からない少女を冷たい目で見つめているだけだった國臣も、流石に口を開いた。


「落ち着けって。ほら、深呼吸しろ」


 國臣に言われるがまま、氷空は縁なしの大きな丸眼鏡を整え、大袈裟に息を吸い、吐く。


「すう……はあ……よし! あのですね、烏丸くん、今から一緒に来てもらえませんか!」

「なんでだよ、どこにだよ」

「どうしてかと言われると、えっと、あの、その……」


 どうやら氷空は、國臣をどこかへ案内したいようだ。拙い誘いではあるが、意図しようとしているところはだいたい彼にも分かる。

 しかし、彼がついて行くかと言われると、それは別問題である。


「……何が目的か知らねえけど、やめとけ。俺と関わると、ろくなことがないぞ」


 國臣が警告するように呟きながら、自分達の周り、教室の隅や黒板の前、掃除用具入れの前で屯しているクラスメート達をじろりと見る。

 向こうも同様で、二人を指さしてクスクス笑ったり、ひそひそ話し合ったりしている。ちょうど誰かを孤立させ、無様さを嘲笑えばこんな状況になるだろうか。國臣もそういったクラス内の事情を知っているからこそ、氷空に対してそっぽを向き、冷たく言った。


「どうせ、クラスの誰かに「俺と話してこい」だとか命令されたんだろ? じゃないとこんな奴に話しかける理由がねえだろ。こんな陰気ないじめられっ子なんてよ」


 成程、國臣の言う通り、彼はいかにも陰気な雰囲気を醸し出している。

 身長は人並み。髪の色は黒で短く、天然パーマ。眉と瞳も髪と同じ色だが目が細く、少しだけ目元が陰って見えるので、総じて人を常に睨んでいるような悪印象を与えてしまう。おまけにやや痩せ気味の体型で、筋肉質とは呼べない。

 白い刺繍が施されたキャメルカラーのブレザーと白い襟シャツ、黒と灰色のツートーンカラーのチェック柄ズボンで構成される男子制服は改造の一つもしていない。総生徒数二百八十九名の市立高校らしい、ありきたりの制服だ。

 普通よりも根暗に見えてしまうそんな彼は、氷空の話に付き合う気もなかった。


「分かったら、俺への誘いなんて、なかったことにしとけ」


 國臣は自分にも、周囲のにやついた表情にもうんざりだと言いたげな調子で立ち上がると、ポケットに手を突っ込んだまま後ろ側の教室の扉へと歩き出す。


「ま、待ってください、烏丸くん! どこに行くんですか!?」


 当然、氷空も席を立って追いかける。なぜか通学鞄を片手に、わたわたと後ろをついて行くさまは、まるで親鳥とはぐれた鴨の雛のようだ。

 とてとてと小走りで駆け寄る氷空に、國臣は警告するように、彼女を見ずに告げた。


「トイレだよ、トイレ。それに何度も言わせんなよ、俺といるとだな……」


 何かが接近すると知っているようなそぶりだったが、彼の忠告は遅かった。

 突然、國臣の体が揺れたかと思うと、ずしりと重い痛みが彼の頭と体にのしかかった。


「よーお、烏丸ァ。退屈してんだ、付き合えや」


 國臣よりもずっとがたいの良い男子生徒が、廊下に出た彼の肩を掴み、軽く頭を小突いてきた。当人が遊びのつもりだろうと、相手によっては痛みを覚えるくらいの力でだ。


「……ほらな、こうなるんだ」


 彼は半ば諦めたような顔で、心底面倒臭そうに呟いた。

 自身が言う通り、烏丸國臣はいじめられっ子だ。

 こうして、特に理由のない暴力の標的にされるのが当たり前となるくらいには。


「……やめろよ」

「やめろよ、じゃねえだろ? 陰気そうな顔してっから、俺が元気を注入してやったんじゃねえか。ただのじゃれ合いだってのに、大袈裟な奴だな、あぁ?」


 彼のような生徒が國臣にちょっかいを出す際、殆どがこう言う。國臣が寂しそうにしていたので、元気を分け与えてやっているのだと。教師連中も、大方彼らの言い分を信じる。

 もっとも、行為としてはただの暴力に過ぎない。心配しているなどは口先八寸でしかなく、本音は「根暗な男子生徒をいじめて爽快感を得たい」だけなのだ。

 國臣も彼らの考えを知っているが、敢えて媚びずに冷たく言い放った。


「また、俺を殴る時の常套句かよ。ワンパターンだな」


 媚びようが反抗しようが、どちらにせよ結果は同じだ。自分はこれから人気の少ないところに連れて行かれて、複数名の運動部所属の生徒によって集って小突き回されるのだ。


「……今日は口答えするくらい元気があるってか。いいぜ、今直ぐ校舎裏に――」


 ただ、今日ばかりは違った。


「――や、やめてください」


 二人の間に割って入るように、氷空が國臣を庇ったのだ。

 小さな、小さなか細い声だったが、確かに抵抗の意を含んでいた。同時に、驚いた顔をする國臣を守ろうとする決意すらも感じられた。


「あん?」


 まさかこんな小さな女子生徒に妨害されると思っていなかったのか、國臣と引き離された男子生徒はぎろりと彼女を睨む。気にくわない相手を黙らせる、彼の常套手段だ。

 ところが、彼女はまるで動じない。


「烏丸くんに、酷いことをしないでください」


 代わりにはっきりとそう告げると、氷空は鞄を開き、中に入っているを掴んだかと思うと、ぶつぶつとお経のようなものを唱え始めた。


「……クナ……導き……目……」


 傍から見れば、國臣を庇うようにはしているが、手段がなくただ呟いているだけだ。到底理解不能な行動だし、周りの生徒も、目で彼に黙らせろと言っている。


「あ? 何言ってんだ? 青天目、だっけか。おめえも殴られてえのか――」


 だから男子生徒は、周囲の運動部員の沈黙の同意に応えるべく、彼女をどかそうとした。

 ところが、急に彼の表情が変わり、一転して青白くなった。


「う、お? なんだ、急に、腹が……?」


 次いで振り上げていた手を降ろし、二本とも腹部にあてがう。ぐぎゅる、ぐるると腹が奇怪で奇妙な音を鳴らし始め、遂に彼は自分の身に起きている事態を理解した。


「痛ででで! トイレ、トイレっ!」


 脂汗を額から垂れ流す男子生徒は、ひょこひょこと珍妙な動きで歩き去って行った。

 廊下にいた生徒達が、何が起きたのかと騒めく中、國臣も同じ反応を見せた。一方で鞄の口を閉めた氷空だけが、唐突な腹痛の原因を知っているようだった。


「……なんだ、あいつ。腹でも下してたのか?」

「あれはですね、えっと、私が信じているもののお助けです! これからどうして私と烏丸くんを助けてくれたのかを教えますから、さあ、行きましょう!」

「……お、おう」


 先程とは打って変わって元気な顔を見せる彼女に手を引かれ、國臣は半ば強引に、どことも知れないところへと連れて行かれる。有象無象を掻き分けて、廊下を走ってゆく。


(なんだこいつ。よく知らないけど、こんなに元気な奴だっけか)


 唐突すぎる展開についていけないまま、彼は地味で内気そうな少女に手を引かれる。

 ただ、なぜか手を振り払う気にはなれなかった。




 その頃、國臣を小突いた男子生徒は、教室のある南校舎二階の端の男子トイレにいた。


「ふへー、間に合った。快便だわぁ……」


 誰もいない個室に飛び込み、洋式便器に座り込んだ彼はどうにか漏らさずに済んだ。急な腹痛で一時はどうなるかと思ったが、常日頃の行いが結果として出るものだ。


「それにしても今日はよく出るなあ……出る……出るなぁ……」


 そう、日頃の行いが結果に出る。

 特に、青天目氷空と出会ってしまった日は。


「で……で、出る、出すぎてるうううぅッ!」


 下痢気味の便が出て、出て、まだ出るのを感じ、彼はやっと危機感を覚えた。

 まるでバキュームカーで尻を吸われているかの如く、固形、液体問わず便が噴き出す。凄まじい汚物臭が鼻をつくが、手で鼻を塞ぐ余裕もないほどに出てくる。それこそ快感が、今や内臓を引きずり出されるのにも似た激痛に転じるくらいには。

 眼球が飛び出し、腹が異様に凹む。

 彼はただひたすらに止まるのを願ったが、最早無意味。


「止まって、どまっで! 他のものも出るがらああぁあああ……あッ」


 肛門から、大便以外の何かが出た。赤黒く、潰れた果実のような何かが。

 白い便器を真っ赤に染め上げたのを最後に、男子生徒は大きく痙攣して動かなくなった。

 死んではいないが、きっと明日からまともに排便もできないだろう。

 ここまでの罰を下されてしまうほどの横暴を続けたことを、彼はこれからの障害で後悔し続けるのだ――文字通り、もう遅いのだが。



 ◇◇◇◇◇◇



「どうぞ、こちらに座ってください!」


 さて、こちらは廊下を五分ほど走った先の、中央校舎の隅の隅。

 青天目氷空に手を引かれた國臣は、訳も分からないまま、ロッカーと長机、パイプ椅子と小さな冷蔵庫しかない、ちょっぴり薄暗い教室へと連れてこられていた。


「……どこだよ、ここ」

「『世界オカルト研究会』の部室です。どこのサークルも部活も使っていませんので、今は特別に使わせてもらってるんです」


 重役の来訪のように丁重にもてなされた彼が座った向かい側に、氷空は鞄を置いた。どうやら、彼女と何の縁もない場所ではなく、常日頃から使用している場所のようだ。


「なんだそりゃ。聞いた事ねえぞ、そんな同好会」

「部員が私だけしかいないので、部活扱いはされていないんです……あ、お茶飲みますか?」

「……まあ、あるならもらうけども」


 國臣がそう言うと、氷空は冷蔵庫を開き、ペットボトルに入ったお茶を取り出した。

 嬉しそうに、それでいて緊張気味にお茶を紙コップに注ぐ彼女を、國臣は見つめてみた。

 総じて普通で、取り立てて説明するところもない。平々凡々の極みのようだ。


(青天目氷空、だっけか。接点もねえし、俺みたいに地味で根暗っぽいし、なんでこんなところに俺を連れてきたのか、いよいよ分からねえな)


 彼女との関連性を思い出そうとしていると、紙コップが置かれた。


「どうぞ、ほうじ茶ですが……」

「あ、どうも」


 氷空が向かいのパイプ椅子に座ると、お茶を一口啜った國臣が言った。


「それでだ、青天目。俺をここに連れてきた理由があるなら、さっさと話してくれ」

「そ、そうでしたね! ごめんなさい、烏丸くんと話せるのが楽しくて……」


 お茶に対するリアクションを待っていたらしい氷空は、慌てた調子で手を振った。


「……あの、覚えてますか? 一年生の頃、私が落とした消しゴムを拾ってくれたこと」


 眼鏡の奥で目を輝かせる氷空だが、國臣は首を横に振った。


「覚えてねえ。いつの話だよ」

「九月十三日です。じゃあ、五月十八日に先生から預かった資料が重くて運べなかった時、手伝ってくれたのは? 十一月七日の校外学習で道に迷っている時に案内してくれたのは?」


 そこまで覚えているというのは随分奇妙な話だが、國臣はさほど気味悪く思わなかった。

 むしろ、落胆しているとさえ言えた。あれだけ迫真の表情で自分に迫ってきたのだから、よっぽど複雑な事情や大きな理由があると考えていたのだから、拍子抜けして当然だ。


「……悪いけど、覚えてねえよ。他にどんな接点があっても、多分同じだ」


 またも國臣が首を横に振ると、氷空は浮かれた顔から一転、少し寂し気な様子を見せた。そうして彼女は俯き、理想通りではない現実への悲しい気持ちを吐露し始めた。


「……そう、ですよね。私みたいな地味で暗くて、クラスメートだったのも覚えてもらえていない子のことなんて、覚えてるはずないですよね……」


 一年生の頃からクラスメートだったのかと、國臣は初めて気づいた。彼が、他の生徒が同じクラスだったかは覚えていないが、氷空がよほど地味で目立たなかった証拠だろう。


(申し訳ねえけど、本当に覚えてないもんはどうしようもねえだろ。いちいち辛気臭せえ顔されてもうざってえし、やっぱ教室に戻るか――)


 これ以上付き合う義理もないと思い、國臣は席を立とうとした。


「――けど、そんな私に、『オスクナ様』がお導きを与えてくださったんです!」

「……は?」


 だが、ぴたりと動きを止めた。


「『オスクナ様』ですよ! あの酷い人をやっつけたのも、そのお方なんです!」


 『オスクナ様』という、聞き慣れない妙なワードを耳にしてしまったからだ。思わず氷空を見つめた國臣の前で、彼女は眼鏡越しにも分かるくらいにこやかに微笑んでいた。


「さっき教室で話していた、烏丸くんと隣同士の席になれた理由なんですけど、『オスクナ様』にお願いをしたからなんです! 毎日お祈りを捧げて、烏丸くんの近くにいたい、烏丸くんがいじめられているなら助けたいって願ってたら、叶えてくれたんですよ!」

「お、おい、何の話をしてんだ? 急にどうしたんだ?」

「あ、ごめんなさい! そういえばまだお見せしていませんでしたね!」


 あまりの豹変ぶりに戸惑う彼の前で、彼女は鞄の中をまさぐる。


「烏丸くんにもご紹介しますね――こちらが、『オスクナ様』です!」


 そして氷空は鞄の中からを取り出し、國臣に見せつけた。


「ひっ」


 國臣は思わず、小さな声ごと息を呑んでしまった。


「これが『オスクナ様』です! 私だけの神様なんです!」


 彼女が満面の笑みで突き出したのは、人間の前腕ほどの大きさの、人型の木像だった。

 それだけなら國臣は驚かない。彼がパイプ椅子から転げ落ちそうになるほど畏怖したのは、頭が二つあり、腕が四つあり、全身に目と思しき掘り込みが無数にあったからだ。

 神というよりは、怪物や化け物と呼んだ方がぴったりな外見だった。

 ところどころ黒ずんだ木像は鼓動すら感じさせ、まるで生きているようでもあった。


「なんだ、それ!? 宗教勧誘ならお断りだぞ!」


 思わず叫んだ國臣に対し、氷空は面食らった調子で反論した。


「ち、違いますよ! 宗教勧誘なんて怖いものじゃありません、『オスクナ様』は居もしない神様と違って、本当に願いを叶えてくれる神様なんですよ!」

「願い!?」

「はい! こちらの神棚に置いてお祈りすれば、願いが叶います!」


 唖然として動けない彼の前で、氷空は國臣の後ろに鎮座する縦長のロッカーの前まで『オスクナ様』を持ってきた。そして、彼女が慣れた様子で開いたロッカーの中を見て、國臣は今度こそパイプ椅子から飛び退いた。

 ロッカーの中は、果たして邪悪なる異世界だった。

 無数の幾何学模様が刻まれたお札をびっしりと貼り付け、赤い絵の具(血液とは思いたくなかった)で理解不能な文字があちらこちらに書き込まれている。


(掃除用具入れじゃないのか、それ!)


 冷や汗を流す國臣の隣で、氷空は木像をロッカーの中央に置くと、手を合わせた。


「『オスクナ様、オスクナ様。二つの頭で答えをお教えください。四つの腕で私をお導きください。百の目で先をお見通しください』……さあ、烏丸くんも一緒にどうぞ!」


 氷空は満面の笑みで、どうにか立ち上がった國臣を神棚の前へ連れてきた。百の目を持つ邪神らしいものなど、まともな思考であればどんな状況でもお祈りなどしたくない。


「あ、いや、俺は「どうぞ、どうぞどうぞ!」……『オスクナ様』、お願いします」


 だが、普段の彼女からは想像もつかない気迫に圧された彼は、渋々祈りを捧げた。


「どうですか、心の中に『オスクナ様』を感じられましたよね! 毎日信仰を続けていれば、烏丸くんも幸せになれますよ!」


 いきなり人を連れてきて、恐ろしい神への信仰を勧める人への表現など一つしかない。


(……もしかしなくても、こいつ、イカれてんのか?)


 狂っている。地味で根暗に見える彼女の正体は、狂人だ。


「今だって、私に勇気を与えてくれていますよ。例えば、今は恥ずかしくて烏丸くんと呼んでいますが……えっと、ええと……國臣くん!」

「え? お、おう」

「ほら、恥ずかしいですけど、貴方を名前で呼べました! 『オスクナ様』のおかげです!」

(いや、おかしいだろ! 単に自分がちょっと言い換えただけじゃねえか!)


 にっこりと頬を赤らめる彼女は、『オスクナ様』のおかげで自分に勇気がみなぎっているのだと思っているようだが、そんなはずはない。自分の裁量の問題だ。

 ここまで狂った女子生徒に迫られるなど、いったい自分が何をしたというのか。


「待て、待て待て待て! どうして神様を勧めるのが俺なんだよ、おかしいだろ!?」


 國臣がずっと頭の中に残していた疑問をぶつけると、氷空の顔から笑顔が少し消えた。


「……國臣くんが、寂しそうだったからです」


 胸に手を当てて呟いた言葉は、『オスクナ様』の助けではなく、彼女の本心のようだった。


「私も人のことは言えませんけど、いつも寂しそうで、皆から酷い目にあわされて……私に何かできればと思って……それに私、國臣くんにもっと幸せになってほしいんです」


 幸せになってほしいと言われ、國臣の目から恐怖が失せた。代わりに、憂いを帯びた。

 確かに國臣はクラスではいじめや暴力の対象となり、傍から見れば哀れである。だが、単にいじめられやすいから、いじめられているだけだ。

 それをどうにかしようとして、できるものでもないだろうに、と國臣は思った。


「百歩譲って俺が不幸だったとして、お前に関係あるのかよ」

「そ、それはですね、あの、えっとぉ……」

「……?」

「あにょ、じゃなくて、あの! 私が國臣くんを心配しているのは、貴方のことが――」


 氷空は最も大切な自分の気持ち、勇気を強く保たないと言えない想いを告げようとした。

 しかし、彼女が全てを言い終えるよりも早く、大きな音を立てて教室の扉が開かれた。

 何が起きたのか、と國臣と氷空が音のした方を見ると、見慣れない人影がそこにあった。


「『世界オカルト研究会』の青天目氷空さんですね。学校管理委員会の権限で、この空き教室から強制撤去させてもらいます」


 冷徹な言葉をぶつける四人の生徒が、部屋の入り口で仁王立ちしているのだ。


「え? な、なんですか、急に……?」

「こいつら、知ってんのか?」

「えっと、確か……」


 真摯な目から一転、戸惑う氷空に、男女二人ずつの生徒四人組は冷たく言い放った。


「我々は学校管理委員会です。校内の規律違反を取り締まる委員会です」

「『世界オカルト研究会』は学校に公的に認められていない活動です。そんな同好会の存在を許せば他の生徒の勝手を許しますし、学園の品位を落とします」


 彼らが何者であるかは、この際どうでもいい。台風や地震、いきなり説教をしてくる見知らぬ老人と同じで、唐突にやって来るトラブルの一つでしかない。

 眼鏡をかけた男女四人組は、いかにも人の話など聞かないといった態度で、完全に氷空を見下しているようだった。大方、学校の為だと大義名分をでかでかと貼りだしてはいるが、権力の濫用の一環だろう。


(確か、学校で風紀委員みたいなことをしてる奴らだよな。ま、興味ねえけど)


 当然だが、國臣は彼らと氷空の関係性を知らない。知ろうとも思わないが、独断で正義的活動を執り行っているだけだろうとも察せるのだ。


「教室は他のサークルが使う予定となっていますので、今直ぐに立ち退いてもらいます」


 だから、こんな横暴な決定事項も、平然と口にできた。

 言うが早いか、彼らはどかどかと教室に押し入ってきた。


「そ、そんな! いきなり来て、立ち退きなんて……」

「なんですか、文句でもあるのですか?」

「……あ、あうう……」


 氷空は少しすごまれただけで委縮し、縮こまってしまった。可哀そうなさまではあるが、彼女を鬱陶しがっていた國臣にとっては好都合だ。


(何だか知らねえけど、チャンスだな。どさくさに紛れて、さっさと帰るか)


 騒がしい面々の間をすり抜けるように出ていこうとした國臣だったが、ふと、震えて弱々しい声を発するばかりとなった氷空を視界に入れてしまった。

 このまま放っておけば、恐らく彼女などいなかったかのように、撤収作業は終わるだろう。


「ま、待って、待ってください……」


 ずかずかと部屋に入り込む連中にとって、助けを求める声など、誰も聞き入れはしない蚊の断末魔と変わりない。こんな時の為の『オスクナ様』だろうに、頼る思考すら浮かばないのだから、よほど狼狽しているのだ。


「……ったく」


 今にも泣きだしそうな彼女の姿を見た國臣は、小さく歯軋りした。

 そうして、ふんぞり返る学校管理委員会の四人に聞こえるように言った。


「おい、ちょっとくらい待ってやったらどうだよ」


 なんと、彼は何の縁もないはずの氷空の肩を持ったのだ。


「國臣くん……?」


 さめざめと涙を流すばかりだった氷空が、はっと國臣を見た。管理委員会のリーダーらしい女子生徒がきっと彼を睨むと、國臣は心底面倒臭そうな表情を隠さなかった。

 烏丸國臣という人間には、困っている人を見過ごせない性根の良さが根幹にあるのだ。少なくとも、氷空を見捨てて教室から出て行かない辺り、彼は冷たい事なかれ主義を演じているだけなのだ。


(なんでまあ、俺ってばこんなに間抜けでお人好しなんだろうなあ。くそったれ)


 自分から面倒事に首を突っ込む事態を呼び込んだことそのものに呆れかえる國臣に対し、管理委員会の四人組はぞろぞろと近寄ってきて、氷空を無視して彼を取り囲んだ。


「……その顔、二年A組の烏丸國臣君ですね。貴方には関係のない話でしょう」

「我々は随分前から、非公認サークルの廃滅に尽力しています。邪魔しないで頂きたい」


 とりわけ偉そうな男女一組が反論するのに対し、國臣は鋭い目つきで彼らを睨む。


「だとしたって、こりゃやりすぎだろ。蛮族かよ、お前ら」


 自分に暴力を振るう相手にすら冷静に対応するのだから、この程度の相手であればまず怯まない。そんな彼の背中は、氷空からすればどれほど頼もしく見えるだろうか。


「よ、余計なお世話なんですよ! A組の嫌われ者が、口を挟まないでください!」


 國臣にすっかり痛いところを突かれた四人は、とうとう最悪の強硬手段を選んだ。


「会長、僕が彼を黙らせます。その間に処理を済ませてください」


 つまり、暴力的行為だ。

 ずい、と一番背の高い男子生徒が國臣の前に躍り出ると、残りの三人は安心した様子で長机やパイプ椅子に手をかけた。一方、いきなり暴力に打って出る彼らを前にして、流石の國臣も動揺を隠せないようだ。


「おいおい、滅茶苦茶じゃねえか! せめて相談してからでも……」

「邪魔するんじゃないっ!」


 管理委員会の男子生徒が、國臣を突き飛ばした。


「ぐっ!」

「國臣くん!」


 その場に倒れこんだ國臣に、氷空が涙目で駆け寄る。管理委員会側はというと、やりすぎたと思ったのか僅かに静止したが、直ぐに取り繕うかのように告げた。


「ふ、ふん! 学校管理委員会に刃向かうからこうなるんですよ! さあ、早々に教室を綺麗にしてしまってください!」


 自分達は何もしていない。烏丸國臣は、勝手に倒れたということにしておこう。どうせクラスの嫌われ者と地味な生徒なのだから、誰も彼らの主張など信じない。

 そんな考えが見え見えの外道を、國臣を抱き起こす氷空が睨んでいた。


「痛てて……ほんと、ろくなことにならねえな……」


 頭を擦る國臣は自分の間抜けさを自嘲したが、彼を介抱した氷空は聞いていない。


「酷い……よくも、國臣くんを!」


 大切な人を傷つけた連中が、今まさに神棚を片付けようとしている。大事な人に怪我をさせただけでなく、自分の信じる神を蔑ろにしようとしている。

 許してはおけない。絶対に。

 応報させねば――自らの神を以って、絶対に。


「『オスクナ様、オスクナ様。二つの頭で答えをお教えください。四つの腕で私をお導きください。百の目で先をお見通しください』っ!」


 怒りが頭を埋め尽くすのと同時に、氷空はオスクナ様への祈りを口走った。明らかにお願いや信仰の一環ではなく、敵対する者への攻撃の意味を込めて。


「青天目さん、何を……?」

「構いません、手始めにロッカーをどかしましょう!」


 彼女の呪言など構わず、ロッカーを開いて中身を取り出そうとする連中に対し、遂に氷空は怒声にも似た声で言い放った。


「『オスクナ様』――『最愛の人を傷つけた不信の者に罰をお与えください』っ!」


 次の瞬間、かっと木像の目が見開き、神棚を片そうとした二人と目が合った。

 神棚の中のお札が騒めき、赤く塗りこまれた文字がわななく最中、百は下らない瞳の全てが――ただの彫られた模様であるはずの瞳が、確かに見たのだ。

 何が起きたのかと、生徒は互いに顔を見合わせた。

 そして次の瞬間――信じられないことが起こった。


「……あー、あーっ! あはは、あはーっ!」


 突然男子生徒が狂ったように叫んだかと思うと、胸ポケットに挿していたボールペンを取り出して、女子生徒の眼球に突き刺したのだ。

 これだけでも驚愕の事態だが、刺された方は悲鳴の一つも上げなかった。代わりに、こちらは人差し指を突き出すと、ボールペンを持った生徒の両目をそれで潰した。


「ひひーっ! ひ、ひ、ひいい、ひひひ!」

「目がない! 目がない! 目がない目がない目がないいぃっ!」


 けらけらと笑いながら互いに目を潰し合う惨状を前にして、どうにか起き上がった國臣は絶句した。人が互いに殺し合うさまなど、今まで一度だって見たことがない。仮にあったとしても、ここまでおぞましい光景ではないだろう。


「な、なに、何を……やめなさい、二人ともやめなさい!」


 唖然としていた残りの生徒達は、ここでやっと我に返った。


「保健室、いや、病院!? ど、どっちに連れて行きましょう!?」

「どっちでもいいからっ! 二人とも、もうやめてください、指を抜いてくださいぃっ!」


 会長らしい女性が喚き散らしても、どちらも凶器を眼窩から抜こうとしない。


「目が百個! 目が百個、目が百個、両面の頭に目が百個!」

「ぐりぐり~ぐりぐり~ぐりぐり~! ひひひ~!」


 今なお笑いながら互いの目を潰し合う男女を引きずって、学校管理委員会の面々は部室を去っていった。あの調子では、恐らく二人の目が回復する見込みはないだろう。

 そこまでの仕打ちをしてのけたオスクナ様を抱え上げ、氷空は微笑んでいた。


「見ましたか、國臣くん! オスクナ様を信じていれば、今みたいに守ってくれるんです!」


 確かに廃部は免れただろうが、あまりに手段がバイオレンスすぎる。


「そ、そうだな……すごいなあ、うん」


 ただ、あんなさまを見せられた國臣はもう、頭ごなしに否定しなかった。

 ひきつった顔で笑う國臣を見た氷空だが、いきなり少し縮こまった。


「……でも、本当に嬉しかったのは、國臣くんが助けてくれたこと、です」

「え?」

「体を張って、守ってくれたのが……あの、とっても、嬉しかったです」


 自分を上目遣いで見つめる氷空の姿は、愛らしいとしか表現できなかった。

 腕の中にオスクナ様を抱えていなければ、國臣だってきっとときめいていたに違いない。


「あの、不躾なお願いかもしれませんけど……ここで部室を守ったことは、きっとオスクナ様のお導きだと思います! 一緒に同好会を守っていけという、導きなんです」

「ど、どうだろうな、そりゃあ?」

「國臣くん……これからも、一緒に部活を守ってくれませんか」


 つぶらな瞳が、眼鏡越しに國臣を見つめた。

 彼女だけでなく、國臣とオスクナ様の目が、一瞬だけ合ったような気がした。彫り込まれた模様にすぎないはずの眼球が一斉にこちらを睨み、喋らないはずの口が動いて「断るはずもないな」と言ったような気がした。

 もし、断ればどうなるか。

 自分も「ぐりぐり」されるだろう、きっと。


「……ま、まあ、たまには! たまにならいいぜ、うん!」


 それだけはごめんだとばかりに、彼は誘いを快諾した。

 彼の額に伝う山ほどの汗の意味も知らず、氷空はぱっと明るい表情を見せた。


「ありがとうございますーっ!」


 辛気臭い顔を嘘のようにほころばせ、氷空は國臣に抱き着いた。


「え、ちょ、おいっ!?」


 柔らかい双丘が腰の近くに当たり、國臣は思わず腰を引いた。

 人生でここまで女性と密着した経験などなかったし、正直に言えば彼は方が好きだ。こんなシチュエーションでなければ、鼻の下も伸びていたはずだ。

 そうしているうち、彼女も自分が何をしているのかを思い出して、たちまち顔を赤くした。


「あ、わわ、ご、ごめんなさい! 私、つい……」


 氷空が離れて、不意に國臣と目が合った。

 オスクナ様とは違う、綺麗な目。名前通り空の透き通った青い瞳を見つめ、國臣は思わず「きれいだ」と口から零しかけて、どうにか思いとどまった。

 そのうち、おかしな空気が流れた。

 何と言えばいいものか分からない、不思議な空間に包まれた二人は。


「……とにかく、よろしくって言えばいいのかな、青天目」

「よ、よろしくお願いします、國臣くん!」


 どちらともなく、笑った。

 ぎこちないが、確かに心の通じ合った笑い声が部室に響いた。

 同好会を手伝ってくれるか否かなど、もう聞くまでもなかった。




 天性のいじめられっ子、烏丸國臣。

 邪神を崇拝する少女、青天目氷空。

 恐るべき神の手によって導かれた二人の距離がもう少し近くなる日は、そう遠くないのかもしれない。


「はい、こちらは予備のオスクナ様です! 國臣くんにもプレゼントしますね!」

(……見てる……青天目の持ってるオスクナ様が、すっげぇこっちを見てる……!)


 ――やっぱり、少し遠いかもしれない。

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クラスでいじめられている俺が、邪神を崇拝する地味少女に好意を寄せられている(?)件について。 いちまる @ichimaru2622

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