動物の鳴くところ

森川めだか

動物の鳴くところ

動物の鳴くところ


 お母さんへ、まず初めに僕の「AGAIN」と「RIVERS LONELINESS」は絶対に出版して下さい――

             シドニー


僕がこうして遺書を残すのは初めてのことだから、びっくりするだろうね。

お母さんはいつかこれを読むはずだからこれを読んだら僕の体の上に花を置いて。

これを書くのは病気や家族のことではない。そういうのはもう書き飽きたからね。

僕が一度死のうとした時、天国しか見えなかったから僕は安心してる。あの世には天国しかないんだよ。

お母さんが気付く前に僕は何もかも片付けてしまうつもりだけど、何となく違うことを勘づいていただろう?

僕が死のうと思う理由は、家族が「壊れていた」ことでもあるんだ。僕があると思っていたものがなかった、あるいはとっくに破綻していた。

それに気付いた時、背中からドッと力が抜けたよ。

フィクションの世界でも家族の絆を取り戻そうとしたのだけれど、それは雨の滴を拾って元の形のガラス器に戻そうとするようなものだった。

お母さんの助けにもなるだろうとどうしようもないことだった。

ユーリクの方がこの家に似合いの息子だった。僕はどこかから来た宇宙人なんでしょう。

僕がいなかったらユーリクのことも怒らなかったかも知れないのに。

それからコアンのことがあります。

コアンは僕の未来でした。僕が心秘かに持っていた希望でした。

あれは僕が作家暮らしをできていた頃、カレッジの頃だ。あの頃は気ままに何もせずに酒ばかり飲んで気分は作家だった。

そのカレッジも終わる頃、就職活動をした。都会に出るからちょうどいいと思い持ち込みに行った。その時に出会ったのがコアンだったんだ。

僕はある出版社に持ち込みに行ったが、それは体よく断られた。それでそこの偉い人に、娘を送っていってほしいと言われたんだ。一緒に帰ることになった。

夜も遅かったし、出てきたのは小さな女の子だった。ミドルスクールぐらいの子だ。並んで列車に座りながら、子どもにはちっとも興味がなかったのに僕は一気にコアンに惚れてしまった。

何を話したか話してないかも覚えてない。

とにかくいい子だったよ。

もしこれを読むことがあるなら、コアンを探し当てて「愛してた」と一言、言ってくれないだろうか。

僕ももう36だ。コアンだってそろそろいい年になっているだろう。

僕の遅進的な日々が、ある予想をただの期待に変えようとしてる。ベッドのほつれの穴が指で次第に広がるように。

決定的なことが起きない内に僕は死んでしまおうと思う。多分、振り向いてくれる確率は1%もないだろう。

そうして過去も未来もなくなった僕は生きていく気力をなくした。

これからは差し障りがない程度に僕の人生をおさらいしていくね。自分のためでもあるし、お母さんのためでもあると思うんだ。書き残しておくことがないように、病気のことはほどほどに。

僕の不毛の人生がどこからどうやって始まったのか。それは僕にも分からない。ただ、「流れ」というものがある。それはベースボールを見てて思い付いたんだ。

この人生を、僕にはちょっと苦手だけど時系列に、並べるとその僕の人生においての「流れ」というものが見えてくるんじゃないか。「流れ」にはゆりもどしの「流れ」というのもあるけど。

僕は自我というものが目覚めるのがとりわけ遅かったから小さい時のことはそれほど覚えていない。やっと記憶らしい物が見え始めるのはエレメンタリーの4年の時くらいからなんだ。

エレメンタリーの低学年の時は多分、僕はいじめられていた。急にお腹を殴られて息ができなくなって取り残されたことを覚えているよ。お母さんがサッカークラブに入らせようとした時も、「意地悪な子がいるから嫌だ」と言ったそうだけど、多分、その子がいたんだと思う。複数の子たちにいじめられていたみたいだから確かなことは言えないけど。

気の弱い僕は「意地悪な子がいるから・・」って言ったことも相当勇気がいったと思うんだよ。

記憶みたいなものがあるのは4年くらいの時にエレメンタリーの教室で何か僕が冗談みたいなことを言ったんだな。それで周りの子が笑ってくれた。

その時だ。僕の周りの霧が晴れたみたいに、僕の目が急にはっきりと見えるようになった。その時思ったことはそのまま覚えてるよ。「僕も笑わせていいんだ」

それから急に冗談を言うようになってシドニーは面白い子みたいになった。それからいじめも減ったのかな。まだいじめる子はいたけど。

本当に仲のいい子ができたのは5年の頃。転校生だった。友達に「こいつをよろしくな」みたいなことをなぜか言われて、それからなぜか急激に親しくなった。本当の意味で友達というものができたのはあれが初めてだった。

それから塾に行ったね。そこでも僕は始めは嫌がられていた。「何で来たの?」って女の子に言われたことを思い出した。みんな来なければいいと思ってるよ、って。

何で僕がそんなに嫌われていたのか分からないけど、暗かったからかな?

でも、徐々に友達も増えてそれはそれで楽しくやれるようになった。周りも大人になったんだろう。

子供ってのは楽しいことを覚えてるもんだね。大人とは逆で、楽しい事が悲しい事に上書きされるようにできているんじゃないかな。

僕は急に勉強ができるようになった。一緒に塾に行ってたあの子と遊びながら宿題をやってたせいもあると思う。あの頃は楽しかったな。あの頃がずっと続いていたらよかったのに。

お母さんは私立のミドルスクールに入れたかったと、ユーリクのことも、後悔してたけど僕の場合は本当にそんなことはないんだ。色んな人がいて楽しかったよ。何より、僕はそこで本当に笑うことを知ったんだ。

ミドルスクールが2年というのは短いかなと思う。

その頃はもう友達ができるのが当たり前みたいになってたから、心配せずともすぐに友達ができた。違うエレメンタリーの子でね。

本当に笑うって大口を開けて、大声を上げて、あらん限りに笑うんだ。自然にそういう事になったんだよ。本当に面白かったから。

不幸な喧嘩でその子とは遠い仲になってしまったけど、本当にいい奴だった。あの喧嘩が泣いてしまった僕が悪かった。

2年になった。不良もあちこちにいたけど僕は何とかかいくぐってやれた。不良っぽい子も友達にいたから。

2年の時はどうということもなかった。新しい友達ができたり、面白いこともあったけど。

でも、その頃から僕は友達に怒るようになった。怒るといってもむっつり黙って途中で一人で帰るといったものだけど。今思えばあの頃から邪魔なプライドが生まれていたんだ。

問題の、僕にとっては大きな問題だけど、ハイスクールのことを書くのは辛い。

でも、覚えてるかな? お母さんが二つのハイスクールのどっちに入ろうか迷っている僕に、「お願いだから・・に入ってよっ!」って泣かんばかりに懇願したこと。恨み言ではないよ。お母さんが僕にそんなこと言うなんて、懇願するなんてそれだけ覚えてるだけ。

あの頃から僕はおかしくなった。始めはあの4年間が僕をおかしくしたんだと思って疑わなかったけど、今になると、ユーリクもそうなったわけだし、そういう時期だったのかなって思う時もある。

僕はどうして待つことができなかったんだろう? 待てばおとなしく待っていれば友達ができたのに、僕は焦って自分の殻に閉じこもってしまった。なぜあんなことをしたのかまだ分からない。

もうあの頃の僕ではなかった、徐々に僕の病気が表面化していたのかも知れない。

運命論をいくつか知ってるけど、そのどれもを甘受するようになったというとこか。僕もだんだん変わり始めていたのかも知れない。

そんな訳でハイスクールは散々だった。お母さんは後年、「いじめられてたんでしょ」って言ったことがあるけど、僕はいじめられたことは一度もないよ。

お互いに相手にしなかっただけさ。僕も無視していたし、周りもそうだった。無理ないことだ、登校してすぐ寝に入ってそのままずっと寝ている僕だったんだから。

その遅れを取り戻せないまま、僕はカレッジに入った。馬鹿らしいことだけどカレッジに入ったら僕はまた元通りになれると思っていた。

あの小説を19歳の時に書いたか、20歳の時に書いたか、実はよく覚えてないんだ。確か、10代が終わったから10代の総決算として書いたと思うんだけど、時系列で覚えてない僕のことだから。

始めの単位はそれこそ、このままいけば六年かかるってお母さんはびっくりしてたね。お母さんは僕のことをそんなに心配してなかったのを僕はよかったと思っている。

あのモルタル造りの一室での4年間は僕にとっては大事な期間だったんだろう、と後になって思う。何より一生の趣味になれる小説に出会ったし、コアンにも出会えたし。僕の未来があそこに詰まっていたんだな。

僕はもうあのうずの中に巻き込まれていたんだね。

僕が病気になってすぐに、別れて暮らしたことがあったよね。

僕は自分の手でお金を稼いだことはほとんどないけど、あの時も引っ越した後もそれは辛い事だった。

働き上げたお母さんはすごいと思うよ。

僕は一時病気が良くなった時に俳優になろうとした。劇団に入った思い出はいい思い出だけど、ある日、雨が降っていた日だった。その時、僕は不安で、こんな不安が舞台で起こったらどうしようと思ったんだ。車が見てた。

その時、さっぱり俳優の道は諦めた。一時期はダスティン・ホフマンを越えるとも思っていたのに。

それからもう僕は小説家になるしかないんじゃないかと思ったんだ。

あの「AGAIN」もまだ書いてなかったし。あれは命令されて書いたものなんだ。

何か違う、アイデアもストーリーも僕のものじゃなかった。だからこそ書かなければならなかった。

きっと神さまが愛の話を書きなさいと言ってくれたんだと思う。

それをずっと最近になって読んだお母さんは「ファンタジー?」と聞いたよね。

それから今まで長い間、ペン養生をしてきたけどそれを支えてくれたのはコアンだった。いつかこれをコアンが読んでくれて、喜んでくれる、そして、僕を・・愛してくれる、と。

コアンが誰かの人妻になっても好きなんだろうか? と僕は考えた。

きっとそれは否、なんだろう。人として好きだけど、コアンに一番に愛してほしいんだ。

永遠の愛と思っていたけどやっぱりコアンが好きなんだ。

占有願望が地球だったとして、この宇宙も不毛なのではないだろうか?

僕のそれは一瞬で見た、夢のような、・・そんな・・。

逆を言えばこれに出てこないことは取るに足らないことだ。

要するに、僕の不毛の人生は自分で選び取ったものなんだ。あのモータルの部屋で見たそれが僕の生きたかった未来だから。

運命論に照らし合わせてみると、どうやらどの道を選んでいたとしても同じ運命だった。

引っ越そうとした時に僕は考えもしないで馬鹿なことを言った。あのままタヒチに引っ越していたとしたらどうだっただろうね。

白とグレーの水平線を美化された黄昏のように見るだろうか。

36年の歴史がこんな原稿用紙15枚に収まってしまうなんて、僕には死ぬつもりなんてなかったんだ。

じゃあ、ねずみのように寝るね。

風がやむところまで。

最後に詩篇をはさんでおく。ずっと前に書いたんだけど、僕の遺作だ。

                       シドニー・E・フィリップス・ホーガン


思い出川


 名も無き川が流れてる。

ここには誰も来ないから。

私は橋から振り返り、未来を見る。

水平線に空が落ちている。

また会ったことにしよう。


孤独になれよ。


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