2.フルーツカービング

 今日の仕事場は高級タイレストラン。熱帯魚店と同じ新宿にあって、サブスクで流行りのPOPSを聴いて歩けば、一曲が終わる前に到着する距離だ。


 私の仕事は給仕や調理ではない、フルーツカービングという仕事。文字どおり新鮮な果物や野菜を彫ってカービングして、繊細で複雑な装飾を作りあげる作業だ。タイの伝統工芸でもあるフルーツカービングは、果物と専用の彫刻刀カービングナイフさえあれば、すぐ取り掛かれる簡単なお仕事。身一つで東京へやって来た私には、うってつけの職業だ。


 ただし、誰でもできる代わり、デザインセンスと少しばかりの思い切りの良さが要求される。幸い私はセンスに恵まれていたようで、バンコクで学んだ趣味のフルーツカービングが、いまでは生活を支える柱となっていた。


 店の制服コスチュームはワイン色の長袖シャツに黒のワークパンツ、その上からベージュのハーフエプロンを巻きつける。オリエンタルイメージの制服に着替えた私は、お客様が食事をしているホールへ向かう。ホール中央には古式ゆかしい猫足の黒檀テーブル。その上にはタイから取り寄せた、大きく細長いスイカが置かれている。普通、カービングは調理場で行うものだ。なぜなら果物を刻む工程で甘い汁が飛んで周囲がべたついてしまうから。


 ところが、ここの女性オーナー、由美子さんという金髪のウィッグをかぶったゴージャスなアラフィフのおばさまは、作業風景をエンターテイメントとして客に見せたいという。オーナーたっての意向で、私はカービング作業をお客様が食事しているホールの中央でおこなった。


 赤く熟れた大きなスイカを前に、私は完成形をイメージしながら着実に手を動かす。手にしたカービングナイフの柄は円筒形。花柄のデザインがあしらわれている。絵柄はかわいいが、ナイフの湾曲した刃は魔女のツメのように長くそして鋭い。魔女がえぐった果肉は二度ともとには戻らない。私はやり直しのきかない作業に集中する。


 赤い果肉に切り込みを入れると、徐々に花の輪郭が浮かび上がった。可憐に開いた赤い花びらが子どもが笑うようにほころぶ。スイカの果皮の緑と果肉の赤のコントラストは美しい。固い球体に花が咲き、スイカがみるみる精緻な芸術品へと変貌する。


 私は一歩下がって目を細め、作品全体のバランスを吟味した。我ながら良い出来ばえ。やり遂げた満足感で神経が高揚する。


 作業を横で見ていた由美子オーナーが拍手した。それにつられてお客様の中からも拍手があがる。誇らしくもあり、照れくさくもある瞬間だ。


「すごい。亜希さんって芸術家ね」

「ありがとうございます」

「見てこの花、牡丹かしら。ホンモノみたいね」

 ホンモノの花みたい。その表現がなによりのほめ言葉とオーナーは思っている。でもそれは裏を返せばニセモノと確信したゆえの一言だ。私はアマノジャクに、これホンモノのフルーツカービングですよと思うが、思っただけで、そっと心のうちにしまい込む。


「あなた、才能を誇りに思うべきだわ。そうよコンクールに出品したらいいのに、あたしが代わりに申し込んであげるから。そうしましょう」

 オーナーの感動は、とどまるところを知らない。このまま放っておくと面倒くさい展開になるかも知れない。イヤな方向へ進む前に、私は彼女を煙に巻くことに決めた。


「それ実はホンモノなんです」

「ええ?」、オーナーはキツネにつままれた顔で固まる。

「いまはスイカに見えますが、ひと晩、月の光にあてるとホンモノに変わります」

「それ、どういうこと?」

 とまどうオーナーに私は無言でニッコリすると、ゆっくりとウィンクした。


「あらやだ冗談で言ったの? 亜希さんって面白いわぁ。あたし機転の利く女の子って大好き。ウィットの効いたトークができるなら、アッチの店で働いてみない?」

 アッチの店というのは歌舞伎町にある高級クラブのことだ。由美子オーナーは新宿に店を何軒ももっている。商売上手なのだ。


「そうよアッチで働けば? きれいなドレス着てさ。あなたなら映えると思うわぁ。ウチのナンバーワンになれる」

「そうでしょうか」


 高級クラブへは何度かカービングの納品に訪れたことがある。フルーツの盛り合わせに、簡単なカービングを施しておくと単価を吊り上げられるのだそうだ。


 そのときに見たクラブの光景は忘れられない。シンデレラが舞踏会へ行くときのように華やかなドレスをまとった女性たちが、テーブルからテーブルの間を、男から男の間を熱帯魚のように泳ぎ回っていた。私にドレスを着てアレをやれというのか。擬態したベタのフリを。

 女の子としての性を受けたからには、それもひとつの道だけど。私が望む生き方とは違う。


「美貌はね、若いうちだけよ。時間はすぐに裏切るから」

 私のためらいを良い方へ受け取ったのか、なおも由美子オーナーが説得を試みてくる。彼女は口もとに笑みを浮かべているが、眼に宿るニュアンスは違う。おそらく遠い昔、手ひどく裏切られた経験があるのだろう。


「覚えておきます」

「それにしても春樹クン、いい子を紹介してくれたわ」

 春樹というのは、私にタイレストランの仕事を紹介してくれたホストだ。

 彼は私の……ええと、私の何だろう? 彼氏ではない。ヒモとも違う。友人ではない絶対に。私の何といえばいいのだろう。


「さぁさ、今日のところはあがって。明日はクラブへ顔をだしてね。マネージャーには話をとおしておくから。これマネージャーの名刺」

 オーナーは黒く艶光りする名刺を差しだす。

「すみません私、接客はちょっと……」

 名刺を丁重に押し返す。このまま押し切るつもりだろうか。私はおびえた。

「何いってんのフルーツカービングの仕事よ」

 由美子オーナーは艶然とほほ笑む。神々しく光り輝く笑顔。悪いヒトではないけれど、それは人を食って生きる側の人間の笑顔だ。私は気圧けおされるままに黒い名刺を受け取った。

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