第2話 凍る季節の埋立地にて

 ――世界転移者。

 ひと昔前はトラベラーなんて呼ばれていたが、最近じゃあ時間遡行者とごっちゃになるってんで、微妙に長くてそのまんまな呼び名が定着している。

 ぶっちゃけ割に合わない職業だと思う。世界を跨ぐのはかなり疲れるし、全く異なる言葉や習慣の中に入っていくのは面倒だ。たまに世界の観測者的な存在――たいていが奔放な女神――がなんとかしてくれてすんなりいくこともあるが。運が良ければ。

 ならば定住して、そこにない知識や価値観をひけらかすほうが儲かる。異世界転移・転生だな。流行ってるからノウハウが豊富で転職も簡単。

 ただまぁ、困難を理解した上で、それでも世界をあちこち見て回ることの虜になっちまったのが世界転移者ってわけだ。つまり俺。普段は観光業界とか不動産業とかに情報売って生計立ててる。やはり割には合わないが、俺はそれなりに稼いでいるほうだろう。胸張って「大黒柱です」とも言えないから確証はない。


 そんな説明はさておき、今回やってきたのは「常春の世界」と呼ばれている世界だ。

 世界自体は比較的古いはず。俺の故郷で異世界観測が始まった頃に発見されたうちの一つだから、少なくとも千年の歴史はある。

 しかし、なんらかの干渉がはたらいているのか、はたまた別の理由かはわからないが、長らくその存在以外のなにもかもを掴ませなかった。去年開発された観測器でようやくキャプチャの取得に成功し、それを足掛かりに転移方法を――って、技術的な話はどうでもいいか。

 とにかく、鬼上司の「たまには我が世界のために働いてきなさい」というありがたいお言葉により、今回の転移が決まった。いつも働いてるっつうの。


       *


「ようこそ、異世界のお客さん! あなたが初めての来訪者ですよ」

 さぁ、と大げさな身振りで俺に席を勧めてくるのは、常春の世界で最も影響力を持つという大国にて外務大臣を務める男。お綺麗な笑顔が胡散臭い。

 初めての異世界人だというのに僅か一日でこの対応だ。上層部の優秀さが窺えるが、正直もう少し時間をかけてほしかった。満足に意思疎通を図るための言語習得ができてない。格好つかないだろ、まったく。

 仕方なく適当に頷き、外務大臣の話を聞く姿勢をとる。上が出てきたということは、伝えたいことがあるか、あちらさんが主導権を握りたいということだろう。こちらは気ままな旅人だからその辺りは相手の出方に任せている。

「我々も外の世界の存在は把握していました。ですが、こうして接触する術があったとは! どのようにしていらしたのでしょう――いえ、何故今までは来られなかったのでしょう?」

「ある、この世界……内側、下……? 重なる小さい。知る、これ、行く、難しい。あー……。呼ぶ、見える、常春の世界」

「へぇ! そこまでご存じとは!」

 拙すぎる俺の説明を容易に理解してみせるのは、さすが外務大臣といったところか。

 近づいてくる綺麗な笑顔。弧を描いていた唇が開き、ひっそりと囁かれる。

「……では、常春の秘密も、知りたいでしょう?」


 世界の創造主。

 それは神を意味することが多い。が、ここではどうだろう。

「埋め立てた、冬……」

「命を凍らせてしまう冬は生物の活動に向いていませんからね。こうしてしまうのが一番なんですよ」

 世界から冬を取り除き、独立した世界として閉ざす。その上にこの世界はあるのだという。もともと一つだったはずの世界がブレて重なっていたら、そりゃあ観測しにくいわけだ。

 常春というよりは無冬ですね、とおかしそうに笑い外務大臣は続ける。

「でも、世界というのは、命の存在を望むんですよ。命が在り難いから除けたというのに、命がなければ崩壊してしまうというのですから、困ったものです」

「留める、どうやって」

「勿論、命を置いてますよ。ほら」

 渡された、鏡のような板を覗くと、揺らぐ表面に冬景色が映る。激しく吹雪いていて、しかし輝いて見える灰青色の海が印象的だ。

 目を凝らしてみれば、陸地に、色素の薄い人間たちがいるのがわかる。

「本当に、丁度いい時にいらっしゃいました。今年はこの冬の世界に春を送る年なんです。見ていかれますよね?」

 俺の知識欲に気づいているのか、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってきた。すぐに頷くのが癪で、「春?」と疑問を投げ掛ける。

「基本的には――そうですね、大体百年くらいは、冬のままなんですけど」

 ……なげぇ。

「あんまり閉ざしたままにしておくと、ほら、血が濃くなりすぎてしまうので」

「あー……」

 冬の世界に住む者は少ないのだろうか。まぁ役割を考えれば納得もできるが。……話の方向性が見えてきた気がして、なんとなく嫌で思考が逸れる。

「新しい血を取り込ませるために、健康で意欲のある者を短期間、あちらへ送るんです。ふふ、異世界の血は大歓迎ですよ。あなたも溜まってるんじゃありませんか?」

「――っ」

 にっこりと告げられた言葉に反射的に「いらねぇ」と返しそうになって、堪える。

 鬼上司兼、我が家の大黒柱兼、妻の、怒りの形相が目に浮かぶ。彼女ならこう言うだろう。「異世界の情報を得られる機を逸するなんて、とんだ大馬鹿者ね!」と。それから、「もとの世界から切り離された世界で生まれた子供? 連れて帰ってきなさい」とも。まったく、俺がこれでも一途だって知ってるくせによ。だからかよ。


       *


 胎児というのはこんな気持ちなのだろうか。

 ゆらゆら灰青の海を漂いながら、繋がった俺の一部が、縋るように掴まれた腰が、ゾクリとするほどの冷たさを感じていた。いや、さすがに宿る子の周りは温もりに満ちていると願いたいが。

 不思議な感覚だ。冬の色をした若い女の頬が染まることはない。肌も、その内側も、ひたすら陶器のように希薄な感情を伝えてくる。しかし息は乱れ、もっともっとと新しい遺伝子をねだってくる。

 ああ冷たい。運動とか言ったの誰だよ。さみいよ。

 行為に集中しすぎないよう、どうでもいいことを考える。

 ……だが。自身を押し込むたびに駆け上がる熱はなんなんだ。こんなにも凍えてしまいそうだというのに、快感とも、背徳感とも異なる刺激は……。

 呼ばれている、と感じた。俺の中の俺が、冬に。

 とんでもない世界だ。だがそれがいい。寄せては返す波は少しずつ広がり、高みに至る。

「……春をっ、ください」

 彼女の冬を、俺の春が埋めていく。

 これはこれで扇情的だ、と内心で笑い。さてどこまで報告書に書けばいいのやら、全部だろうな、と。浸ることもなく、冷えた思考を巡らせた。

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