ぬいぐるみになった王

ふさふさしっぽ

ぬいぐるみになった王

 あるところに、緑豊かな小さな国がありました。仮に、たゆたいの国、としましょう。

 この国には王様がいて、その王様が国を治めていました。とても国民思いの王様で、国民はみんな幸せでした。国には争いひとつありませんでした。

 王様には息子が一人いました。名前をアルトと言います。このアルト王子がゆくゆくは次の王になるのだと、国民は皆信じていました。

 アルト王子は快活で、優しく、王様と同じくらい国民に愛されていました。


 アルト王子は十八歳になったとき、城に仕える十七歳の少女と恋に落ちました。

 少女の名前はテノーと言います。テノーは庶民でしたが、やがてアルト王子のお嫁さんになることが決まりました。

 たゆたいの国は小さな国ですので、身分の高い人とそうでない人が結婚することはそれほどめずらしいことではありませんでした。

 それにテノーは美しく、働き者で、綺麗な心を持っていました。アルト王子はそんな彼女とともに国を治めたいと思ったのでした。


 三年後、アルト王子が二十一歳、テノーが二十歳になったとき、二人の結婚式が王の城で執り行われました。ほとんどすべての国民が祝福し、プレゼントを持って、城に集まりました。


 しかし、その中に、二人の仲をよく思わない人間が一人いました。


 たゆたいの国の端、森の奥深くに住んでいる魔女です。

 魔女は他人の幸せが許せません。プレゼントを持ってきた国民のふりをして、アルト王子に魔法をかけ、なんと、王子をくまのぬいぐるみにしてしまったのです!

 城の中は大騒ぎ。騒ぎの中、魔女は素早く魔法で姿を消してしまいました。

「王子がぬいぐるみになってしまうなんて」

「これでは次の王にはなれない」

「どうしよう」

 まさか魔女が城内に紛れ込んでいたなどと思いもしなかった人々は、変わり果てたアルト王子の姿に嘆きました。花嫁であるテノーだけが、冷静でした。

「アルト様。アルト様はぬいぐるみになってしまいましたが、私と結婚して下さいますか。私、なんとしても、アルト様をもとのお姿に戻して見せます」

 ぬいぐるみになったアルト王子は、短い片手を上げて答えました。

「もちろんだとも、愛しいテノー。ぬいぐるみになっても僕は僕。幸い話せるし、ぬいぐるみにできる範囲で、自由に動けるようだ。何の問題もない。結婚しよう」

 二人は夫婦となりました。


 十年後、王様が退位し、アルト王子はくまのぬいぐるみの姿のまま、たゆたいの国の王様になりました。

 国民は彼を「ぬいぐるみ王」と呼び、我が王と、慕いました。

 アルト王は、ぬいぐるみになっても王としての仕事を続け、国民を愛しました。できない部分はテノーが助けました。

 ぬいぐるみなので食べ物を食べることはできず、人間だったころのように活発に動き回ることもできませんでしたが、アルト王は不満ひとつ漏らしませんでした。

 王妃となったテノーは献身的にアルト王を支えました。食事を一緒に食べることはできませんでしたが、二人でよく一緒に散歩に出かけ、自然の景色を眺めました。アルト王が少しでも汚れると綺麗に拭き、傷みが生じると丁寧に縫い合わせて、修復しました。

 その傍らいつもテノーは、忙しいアルト王に代わって、アルト王を元の人間に戻す方法を探していました。

 古い書物を読み込んだり、異国の薬を取り寄せたり、暇を見つけては護衛を付け、たゆたいの国の隅々まで探し回りました。


 そうしてついに、テノーは、たゆたいの国の森奥深くに、魔女の生き残りが住んでいることを突き止めたのです。

 テノーは馬車を走らせ、森奥深くにやってきました。アルト王がぬいぐるみになってから、四十年が経っていました。

 魔女は素知らぬ顔で家から出てくると、護衛たちを下がらせるよう、テノーに言いました。

 テノーはそれに従い護衛を下がらせ、一人魔女の家に入って行きました。テノーは六十歳になっていました。

 魔女はかなりの高齢……百歳をも超えているんじゃないかと思われました。

 この魔女こそが、当時のアルト王子に「ぬいぐるみになる魔法」をかけた張本人なのですが、それを知らないテノーは、丁寧に挨拶をして、彼女に事の次第を語り始めました。

 魔女はわざとらしく驚き、王妃に同情するふりをしました。内心はいやしく笑っていました。

 すべて魔女の思惑通りなのです。

 魔女は人と人との絆というものが嫌いでした。愛というものが嫌いでした。

 だから、テノーに向かって、こう言いました。

「王を人間に戻すことは、私にかかれば簡単にできるさ。でもね、いいのかい? 元に戻った王は二十一歳の姿だよ」

 テノーはその言葉に動揺しました。知れず、自分の顔を触ってしました。そして自分の髪を。手の甲を。

「構わないかね?」

 そんな様子のテノーを見つめながら、魔女はにたりと嫌な笑いを浮かべました。テノーはゆっくりと後ずさりして、最後には、こう言いました。

「お話は、なかったことにして下さい。どうもありがとう。さようなら」


 テノーは帰りの馬車で泣きました。泣いたのは何十年ぶりでしょう。

 アルト王がぬいぐるみになってしまったあの日以来でしょうか。

 あの日の夜、テノーは人知れず自室で涙が枯れるまで泣きました。そして、必ず愛する夫を元に戻す方法見つけると誓いました。それなのに、彼女は今さっき、それを拒みました。

 テノーは、自分で自分を責めました。

「結局私は、自分勝手な愚かな女だったのだわ。せっかく愛する夫が元に戻れる方法を見つけたのに、どうしても、アルトが若いまま、元の姿に戻ることを受け入れられない。そうしたら、アルトが老いた私から離れていってしまうような気がして」

 テノーはアルトの幸せより、自分のエゴを優先したのでした。アルトにずっと、愛されたかったのです。

 城に戻ったテノーは、アルト王に元に戻す方法は見つからなかったと嘘をつきました。玉座にぬいぐるみの姿でちょこんと座ったアルトは「そうか。疲れただろう。いつも僕のためにありがとう」と言いました。そして、よいしょよいしょとひじ掛けの上に立ち上がり、テノーの頬を短いぬいぐるみの腕で撫でました。

 テノーはアルト王の優しさが辛く、塞ぎ込んだ日々を過ごしました。


 そうして何日か経ったあと、城に、一人の客がありました。

 魔女です。

 テノーは真っ青になりました。そんなテノーをお構いなしに、魔女は数日前の出来事を、アルト王に全て話してしまいました。

「貴方の愛するお妃は、わたくしめが王を元の姿に戻せると知っていながら、それを拒んだのです。王に、嘘をついたのですよ」

 アルト王とテノー王妃は玉座に並んで座っていました。

 アルト王が何か言う前に、テノー王妃がぬいぐるみの王を抱き上げ、謝罪しました。

「ごめんなさい、アルト。この魔女が言うことはすべて本当よ。私は、貴方が若さを取り戻すのが嫌で、貴方に嘘をつきました。若い貴方と老いた私では、釣り合わないもの」

 テノーはアルトが怒るだろうと思っていました。裏切られたと思うだろうと。四十年もぬいぐるみの姿で過ごして、辛くないわけありません。せっかく元に戻るチャンスがあったのに、それを、妻はなかったことにしようとしたのです。

 玉座より一段低いところから二人を見上げていた魔女は、楽しい気持ちでいっぱいでした。魔女は絆や愛が壊れる瞬間を見るのが大好きです。


 テノーはアルトの言葉を待っていました。アルトを抱き上げる両手が震えます。

 やがてアルトは言いました。

「君は愚かだね、テノー」

 そしてテノーの手の中からぽんっとジャンプしてテノーに抱きつきました。

 抱きしめているつもりですが、はたから見るとぬいぐるみがしがみついているようです。

「テノー、若返った僕が君から心変わりするとでも思ったのかい? 君は愚かで世界一可愛い僕の妻だよ」

「アルト、私を許してくれるの?」

「もちろんだとも。今までどれほど君が僕に尽くしてくれたか……僕は知っているよ」

 テノーは涙をこぼしました。その涙はくまのぬいぐるみに落ちました。すると。


 アルト王の魔法が解けました。テノーを抱きしめていたのは、六十一歳の、アルトでした。


 びっくりしたのは魔女です。自分でかけた魔法が解けるなんて、思いもしませんでした。すぐにその場から退散しようとしました。するとアルト王が言いました。

「魔女よ。僕は君に謝らなければならない。君は森の奥深くでずっと一人きりだったのだね。たゆたいの国の一員であるはずなのに、一人ぼっちにさせてすまなかった。よかったら、その能力を生かして、城で働かないか」


 アルト王は自分に魔法をかけたのがこの魔女だと気がついていませんでした。純粋に、思ったことを述べていました。

「ご、ごめんだよ! あたしゃ忙しいんだ、さよなら王様、王妃様」

 魔女はそそくさとその場を離れようとしましたが、ふと、思いついたように、

「これはあたしからのプレゼントだよ。王が元に戻ったお祝いに」

 王と王妃に魔法をかけました。

「二人の寿命を二十年ほど、伸ばしてやったよ。ふん、末永くお幸せに!」

 魔女は去って行きました。

 長年「魔法を使う恐ろしい存在」と迫害され、森の奥に追いやられていた魔女は人に優しくされたことがなく、人の絆や愛を妬むようになっていたのです。今はじめて王に優しくされ、ちょっと心が変わったようです。


 その後、アルト王とテノー王妃は、王の座をアルトの従弟に譲るまで、今まで以上に仲良く国を治めました。

 小さなたゆたいの国は、今日も、平和です。

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