立派な存在だと感じていた父が・・・

1.こんなはずじゃなかった

  私は30代半ばに定職に就き、父が勤務中に定年を迎えた。

  そして、社内の業績が悪化した事と、私自身の業務上の問題により私はパートに格下げされてしまった。

  収入確保のためにも、転職は必須の状態だったと思う。

  それ自体は良い。

  父が定年後に明らかに極端な過干渉、過保護になるような動きを見せ始めた。

  まるでその内容は「俺がルールだ」「それ以外は受け付けない」と言わんばかりの言動が増えて、家庭内の雰囲気が最悪になった。

  まるで落ち着いていて、大人の言動が目立っていた父だけに「この人こんな人だっけ?」「こんなにも周りを比べて判断しちゃう人だっけ?」そんな明らかな違いを感じぜずにはいられない部分が目立った。


2.自立を促しているはずの本人が全く自立できていない

  最近になり、やたらやかましく自立に関して言う事が目立った父。

  気づけば帰宅後も不機嫌になる事が多くて、周りが扱いに困った経緯もある。

  ただ、心理学を学んだ人ならわかると思うが自分の機嫌を取れて初めて大人と言える。

  自分の機嫌も取れずにイライラしているなら、それは自立しているとは言えない。

  どうやら経済的に自立してるから「やることやっているんだー」ってマウントと取りたい様だけど、内面的な自立は無視して考えられている。


3.結局父という威厳がないから威張りたい様にしか思えない

  色々と話を進める中で、父は自己肯定感というか、人間らしさというものを感じることが出来ずに、罵声とか、批判が目立つ人に落ちぶれてしまった。

 父という人格を感じにくく、ただ冷たい印象しか与えられないし、そういう振る舞いをしてしまって、何が生まれるんだろう。

  また、家庭内の事なのに一人の人格として向き合わずに、「法的な根拠がどうとか」そういう内容しか話したがらない。

  家庭内の接し方があるわけじゃないが、子供と対話するときは法律よりも「私はこう思う」「こういう失敗をしかねないから、こういう場合は注意した方が良いぞ」等の注意喚起だけで子供は十分である。

  決定的に肝心な時に子供と対話が出来ない人という認識でしかない。

  また、一番寂しがり屋で主体性に欠ける、個性を感じられない。

  やはり人とというのは、嫌われたとしても主体性のある発言をするものに惹かれたりするものだ。

  法律というのは公的な機関でのみ意義があるもので、家庭内でそれを持ち込むならそれは会話ではない。

  反感は買うもの、買われるものだから時には「私はこう思う、だからあまり賛成できない」と言われた方がまだ納得は出来るんじゃないか?

  結局、親離れ以前に子離れ出来ないのは父親自身という結論になってしまった。

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