自分の異常さに気付く

1.肯定感があって嫌でも自覚すること

  過去の経験から振り返っても明らかに私の生き方は異常そのものだった。

  理由として、20代の段階で普通に定職にも就かないし、それが普通の事だと思っていた。

  もちろん、契約社員であってもそれ自体が駄目な事とは思わないが、自分の力で生計を立てる事に関して全く積極的に考えた事がなかった。

  肯定感が低いと、そもそも自分で生計を立てられない事が恥ずかしい以前に自分はやれなくて当たり前で生きてしまうため、そもそも恥ずかしいという概念がない。

 

2.恋愛や一人暮らし

  そんな私を心配したのは間違いなく親だった。

  「お前そんなんでどうするんだ!」と当然心配する父の存在。

  しかし、肯定感がなさ過ぎてそういう事さえも、まともに考えたことがなかった私という人間がいた。

  彼女なんて一部の男性だけの特権だけと確信していたし、一部の男性が恋愛を謳歌する時代になっているし、私には関係がない世界だと本気で信じていた。

  ホントは違うんだ、違うんだよ、という人が居ても私はそういう人たちの感覚をイマイチ理解できず、一人孤独で生きる以外に選択肢がないと本気で信じていた。


3.肯定感があるのと無いのとはどちらが幸せか?

  恐らく、肯定感がある方が将来的な現実的な選択をする際に間違いなく危機意識をもって動けるだろう。

  その点では、肯定感がないよりはあった方が将来性は間違いなく明るい。

  ただ、あくまで絶対に〇〇すべきという思想はある程度はあっても良いが、それが人生においては邪魔になる事もある。

  もし、人生においてその思想が邪魔になる際はいっその事捨てるという選択肢もあるかもしれないので、こだわり過ぎないのが一番ベストな選択肢かもしれない。

  私はネガティブな思想が駄目とは言わない。

  ネガティブな思想の長所として、「最悪の事態を想定した行動」が一番有効に望めるからだ。

  よって、ある程度ネガティブな思想も大切にしていかないと最悪の事態に対処する事が難しくなってくる。

  あくまで肯定感がある方が幸せではあるが、時には最悪の状態に対処する動きが求められる際にバランスの良い思想で動けるようにしていきたい。


4.結局、恋愛するのも一人暮らしをするのも自分次第

  結局、誰が決めるものでもない自分なんだ。

  自分が交際したいと思った瞬間から交際は始まっている。

  この人とは無理と思った瞬間から選択肢からは外れている。

  本来、人生はそのぐらいシンプルで良い。

  だけど、変な言い訳を始めるから話がおかしくなる。

  最終的に決断するのは私たち自身という事を忘れてはならないと思った。

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