第21話 幸せを壊す者
「待たせたな。完璧に仕上げたぜ」
「ははは。美人で腕も確か。ウチの店に就職して欲しいよ。ははは」
下卑た笑いを振りまくオヤジだ。こいつの目線が小夜の見事な尻に突き刺さっていたのは忘れない。間違ってもこの店に就職するのは止めた方がいいと思う。
その後、僕とアザミはまだ肌寒い川辺の道を自転車で走った。センターラインさえ無い狭い道を並走するのは少し後ろめたい気もするのだが、そこは恋人同士の特権だ。マナーが悪い事は分かっているが、僕は二人の時間を大切にしたかった。もちろん、他人の邪魔になるのも嫌なので、歩行者がいればちゃんと避けるし、車が通っても脇に避ける。
僕はアザミの前を走ったり横を走ったりした。そして意外だったのが、アザミは自転車の扱いが達者だったという事だ。悪魔なのに。それを思うと何だか微笑ましい感情が胸の中に溢れて来た。そして思わず「幸せだなあ」とぼやいてしまいそうになった。アザミはそんな僕を見つめて笑っている。全く「幸せだなあ」って事だ。
大学からアパートまで自転車で10分ほどだ。自転車置き場にアザミの白い新車を止め、一緒に買ったチェーンロックを使って支柱と自転車を繋ぐ。
「こんな風に鍵をかけるんだね」
「そう。僕は本体の鍵しかかけないけど、それじゃあ自転車を抱えて持っていかれる事があるからね。日頃から気を付けないと、盗られてからじゃあ遅い」
「なるほど」
「そうそう。傘と自転車を買った事がないって豪語してた馬鹿者もいたな」
「え? それはお金がないって事なの?」
「違うよ。盗んで済ませるから買わないって意味」
「あれれ、そんな人いるんだね」
「悪いって言うか、罪の意識はないと思う。そこにあったから使うって感じ。盗られた人の事なんて少しも考えてない」
「迷惑な人だよね。でも、自分の傘が盗られたりしたらメチャ怒るんでしょ」
「だと思う。自己中を極めてる」
「恥ずかしくないのかな?」
「バレなきゃ何をしてもいいと思ってるんだよ。アザミみたいな人の心を読める存在があるなんて考えた事も無いんだろうな」
「だろうね。でも、そんな悪い奴を見つけたら美味しく頂いちゃうよ」
「あはは。それがいいかもね。世のため人のため」
「照れます」
本当に照れているのか。恥ずかしそうなその表情にドキリとした。性欲とは違う愛おしさが心の底から湧き出てくる。僕は部屋に入るなりアザミを抱きしめた。
「アザミ。僕は君の事が大好きだ」
「私も。ねえ、今からする?」
僕はアザミの頬に軽くキスしてから彼女を見つめた。
「したいのはしたい。でも、ご飯を食べてお風呂に入って、その後でゆっくり抱きたい」
「うん、わかった。じゃあ、晩御飯の準備しようか」
先ずは手洗い。それからお米を研いで炊飯器にセット。
冷蔵庫を覗くと……もちろんロクな料理材料なんてあるわけがないのだが、冷凍庫には焼きビーフンが二人前と牛丼が二人前あった。
「ビーフンと牛丼があるけど、どっちにする?」
「今日はビーフンで」
「わかった」
時計は午後6時前を指している。自転車店で時間を潰したおかげで、ちょうど夕食の時間になっていた。冷凍庫から焼きビーフンを出して皿に乗せる。ごはんが炊き上がるまで30分くらいか。それまで自然解凍。おそらく殆ど溶けていないから、その先は電子レンジ。ヤカンに水を入れて火にかける。そして飲み物の麦茶とインスタントの味噌汁も準備。これはいろんなタイプがあるけど、僕はフリーズドライの顆粒タイプを買っている。生みそタイプはどうも性に合わない気がしているからだ。
「ねえ、清ちゃん。私、料理の勉強をしてもいいかな?」
「料理するの?」
「してみたい」
「じゃあ僕も一緒にやってみようかな。今までレトルト食品とか冷凍食品に頼っていたから、ちゃんと料理した事は無いんだ」
「うん。じゃあ、明日から作ろうね。明日はスーパーで色々買おうね。ね!」
「ああ。そうだね」
意外な一面だと思った。アザミの外見はモデル体型で狐顔のスリム美女なのだ。家庭的な雰囲気をほとんど感じない。もちろん、彼女の外見から僕がそう思っているだけなので、多分に偏見も含まれているだろう。悪魔が普通に料理をするなんてちょっと信じられない。しかし、それを否定できる要素も無い。アザミが料理を作ってもおかしくはないし、それがメチャ美味かったりしても不思議はない。十分に有り得るのだ。
そんなつまらない事を考えていると、僕のスマホが鳴った。誰かからの着信だ。それと同時にドアをノックする音が聞こえた。
僕は玄関のドアを開ける。そこには築山あかねと道場門前小夜が立っていた。
「ちょっと電話。ごめんね」
僕はスマホを操作して応答した。
「もしもーし。大殿大路君の携帯で間違いないですか?」
この声は
「はい、大殿大路です」
「奈々ちゃんは一緒でしょ。ちょっと代わってくれるかな」
「わかりました」
僕はアザミにスマホを渡した。
「功から電話。君に話があるみたいだ」
「うん。わかったよ」
アザミは奥の部屋へと向かって話し始めたところで、玄関前のあかねが話しかけて来た。
「あの? カレー作って来たんだけど、一緒に食べない?」
あかねが鍋を抱えていた。
「こいつの作るカレーは絶品だぜ。な、一緒に食べよう」
小夜の白い歯が光る。
どうするか。手作りカレーは魅力的だが、もう夕食の準備はほぼ済ませているし、アザミもいるので彼女の意見も聞かなくてはいけない。通話を済ませたアザミが奥から出て来た。彼女に話しかけようとしたが、先にアザミが頭を下げて来た。
「清ちゃんごめん。今から出かける。功ちゃんに呼び出されちゃって」
「功にか」
「うん、一緒にディナーにって。清ちゃんはあかねちゃんと小夜ちゃんがお相手するからごめんって」
そういう事か。確かに功はそんな話をしていた。時々アザミを抱くが、その代わりにあかねを好きに抱いていいと。しかしだ。僕とすれば、いきなり今夜の幸福をぶち壊されたようであまり気分は良くなかった。
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