第15話 神に背く者

「あなたたち。物凄く悪い人ね。抱かれてた時によくわかったわ」

「何を言ってる」

「その綺麗な顔、ボコボコにしてやるぞ」

「できるならやってみなさいよ。でも、私は美味しくいただきますから」


 イキがってはいるが、極道はアザミの迫力に及び腰だった。その時、妖艶な微笑みを浮かべているアザミの体が急に膨れ上がった。身長は二メートル以上になり、腕も脚も肩も腰も筋肉が膨れ上がり、どこかの格闘家のような逞しい姿へと変わった。全身に黒い剛毛が生えていき、背には四枚の蝙蝠のような羽根がバシッと開いた。そして頭からは二本の角が、血と肉を絡めながらにょきにょきとせり出してくる。最後に黒い毛に覆われた尻尾がにゅるりと垂れ下がった。


「動くんじゃねえ。殺すぞ」


 アザミの姿を見て動転しているものの、リーダー格の男は懐から小型の自動拳銃を取り出して構えている。他の二人は失禁したようで、尻の周りには黒い染みが広がっていた。


「物騒な物は仕舞いなさいな」

「うるせえ」


 尚も威嚇し続けているアニキに向かって、アザミは大股で距離を詰める。パンパンパンと乾いた破裂音が響き、銃弾がアザミの体に吸い込まれていく。しかし、アザミは撃たれても平気なようで、アニキの両肩を掴んでいた。


「何をする。止めろ。止めろ」


 大声で叫んでいるアニキだが、アザミが大きく開いた口が、信じられないほど大きく開いた口がアニキの頭部を丸呑みにした。アニキはビクビクと痙攣しながら失禁し、アザミが口を離した後は路面の上にどさりと倒れ込んだ。


 アザミの両腕から伸びた黒い影が、舎弟と拳銃男に絡まった。その黒い影は概ね人の形をしており、口と思われる部分から伸びている長い舌が、捕まえている男の顔をべろべろと舐めまわしていた。これは彼女が言っていた分身、シャドウアストラルに違いない。


 アザミは車内に残っていたハゲ頭、東山冬二を引きずりだして路面に寝かせた。


「ねえパパ。もっと気持ちよくなろう」


 異形の顔、悪魔の顔なのに声はアザミのままだった。


 そしてアザミはハゲ頭にディープキスをしながら、ハゲ頭の口から赤黒くてぼんやりと光る何かを吸い出し、それを美味しそうに飲み込んだ。二人の極道も同じように、アザミの分身がその口から赤黒く光る何かを吸い出して飲み込んでいた。


 三人の極道とハゲ頭はピクリとも動かなくなっていた。


 僕はアザミの前に出ていき彼女の手を、悪魔の手を掴んだ。


「アザミ。早く逃げよう。さっきの銃声で警察に通報されたはずだ」

「そうね。ちょっと待って」


 身長が二メートル以上もある悪魔が、すうっと元のアザミの姿へと戻った。数秒だった。これは多分、元に戻る方が何倍も早い。


 アザミはワンボックスカーの中から自分の衣類を掴んで手早く身に着けた。


「さあ行こう」

「うん」


 僕とアザミは身をかがめながら、駐車された車両の合間を縫うように抜けていく。そして、数百メートル先のコンビニへと戻った。知らん顔をしてコンビニで飲み物を買い、軽トラに乗り込んだところで、パトカーが何台も駆けつけて来た。


 コンビニには一台。アザミが連中を襲った現場には数台のパトカーが向かっていた。当然のように僕は職務質問をされた。僕に近寄ってきた警官はまだ若い女性だった。


「何をしてたの?」

「彼女とデート……埠頭を散歩してたんです」

「何か見なかった?」

「何も見ていません。パンパンって銃声みたいな音が聞こえて、怖くなって戻ってきたんです」

「そう。音が聞こえたんだね」

「はい」

「免許証を見せてもらえるかな?」

「はい、どうぞ」


 僕は財布の中から免許証を取り出して警官に渡した。


「何かあったんですか?」

「まだわからない。君たちと同じで、何か発砲音のような音が響いたって通報があったの」

「そうなんですね」

「そう。じゃあ気を付けて。何か気付いた点があったら警察まで連絡くださいね」


 あっさり開放されたのが意外だったのだが、僕は借りた車を返すべくあの老舗旅館へと戻る事にした。僕が運転している最中にアザミが話しかけて来た。


「この車どうしたの?」

「旅館にいた髭のおじさんに借りたんだ。あの二人は東山さんに逃亡して欲しくなかったらしい。ちょっと結果はアレだけど、警察が来たから問題ないよね」

「どうかなあ」

「え? どういう事?」

「それはね。私がかなり食べちゃったから、記憶が曖昧になってるかも?」

「食べた?」


 そういえば彼女は感情や心を食べると言っていたような気がする。それでレイプ常習犯は毒気が抜けて犯罪を犯さなくなると。


 待て、それは悪を犯す心を食べているという事じゃないか。


「よくわかったね。その通り。私は悪を犯す心、言い換えるなら神に背く背徳の精神を食べています」

「食べるのは性的な興奮だけじゃなかったんだ」

「そうね。そう説明した。私は悪魔。本来は神に背く存在」


 確かにそうだ。

 悪魔とは神と対立している存在。神に背く者だ。


「でもね、私はこの世に存在を許されているの」

「それは……悪の心を食べているからなのか?」

「その通り。私は神に背く者。しかし、人々に巣食う神に背く背徳の精神を食べているの。要は私の存在が、私が活動する事が、この世を神の理想に近づけているって訳」


 そんな事があっていいのか?

 悪魔の存在が神の理想と合致するなんて??


「ね、清ちゃん。深く考えたらダメよ」


 そうかもしれない。

 僕の理性はアザミの言葉を全否定している。しかし、彼女の姿を、彼女の本質であるアストラル体を、悪魔の姿を間近で見てしまった僕は、彼女の言葉をそのまま信じるしかなかった。

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