第12話 老舗旅館へと赴く
「うん。わかった」
「でも、大丈夫なの?」
「うん、後でね」
「じゃあね」
通話を終えてスマホを仕舞ったアザミが苦笑いしていた。
「あはは。このスマホ、パパの会社の持ち物なんだって。返さなきゃいけない」
「そうなんだ」
「それでね。今夜、市内のホテルに来てくれって」
「ええ?」
スマホを返却しなければいけないのは分かった。しかし、夜にホテルへと呼びだすなんてどうなんだろうか。何かきな臭いものを感じる。
「どうかしたの?」
「そうだね。ちょっと気になるんだ。今、話題の人だし裏でイケナイ事をしていた人みたいだし」
「私の事、心配してくれてるの」
「もちろんだよ。心配でしかたがない。君がまた、あの人とエッチな事をするかもしれないって思うと胸が痛くなる」
「あらら。嫉妬してくれるんだ。何だか嬉しい」
「え? 嫉妬ってうざくないの?」
「そんな事ないよ。清ちゃんがそれだけ私が好きだって事だから。嬉しいに決まってるじゃん」
「そうなのか」
「そうだよ」
僕の心の中は安堵する部分と、それでも納得いかない部分とがせめぎ合っていた。彼女がいくら僕の事を好きだと言ってくれていても、パパ活をしていた事実には変わりがないし、今夜もまたパパに会いに行く事になっているんだ。アザミはもう、性的な関係は持たないと言ってくれているし、もちろんその言葉を信じている。しかし、僕の心に湧き出してくる不安感は止めようがなかった。
「ねえ、清ちゃん。やっぱり私の事が心配なの?」
「そうだね。君の事を信じていないわけじゃないんだ。でも、僕の中の不安感は消えてくれない」
「じゃあさ。今夜、一緒に来る?」
「いいのか。っていうか、アザミと一緒に行ったからって気持ちが落ち着くとは限らないんだけど」
「いいよ。清ちゃんには私の事を全部知って欲しいんだ」
「わかった。何があっても受け入れようと思う」
「うん。清ちゃん大好き」
アザミが僕に抱きついて来た。深い口づけをかわしながら、自分がちょっと疲れている事に気が付いた。昨夜の激しい行為のせいか股間に元気がない。
「ごめん。ちょっと眠くなった」
「うん、一緒に寝ようか」
アザミと抱き合ったまま、ベッドの上に倒れ込む。午後三時過ぎだというのに、そのまま眠り込んでしまった。
三時間ほど眠ったのだろうか。アザミがベッドの脇でごそごそしている音で目が覚めた。
「清ちゃん、起きたの」
「何時かな」
「6時前かな。カレーの残りを温めたんだけど、食べる?」
「ああ、食べるよ」
ご飯もカレーも、一人分しか残っていなかったのだが、それを二人で食べた。量は少ないが、何やら心が満たされたような安心感を味わってしまった。これこそが同棲カップルの喜びなのだろうか。きっとそうに違いない。
「ところでさ、清ちゃん?」
「何?」
「呼び出された場所がね、ちょっと山あいの温泉旅館なの」
「うん」
「それでも行く?」
「行く。君がもしトラブルに巻き込まれるなら力になりたい」
「ありがとね。じゃあ支度しようか」
下着姿だったアザミはジーンズを履いてパーカーを羽織った。これは彼女が持ってきた衣類だったが、僕の服と酷似している。
「清ちゃんのと似てるのを持ってきたんだよ」
照れる。今夜はこのまま、部屋でイチャイチャしていたい気分になるじゃないか。
「じゃあ行こうか。そろそろタクシーが来るから」
「タクシー呼んでたの?」
「そう。自転車だと一時間半かかるしね。行きは多分坂道を上るから大変だよ。帰りは楽だと思うけど」
交通手段は考えてなかった。しかし、タクシー代は払えないと思う。
「お金の事? 大丈夫だよ。パパが払うから旅館のフロントに言ってくれって」
また心を読まれていた。まあそうだろう。山あいの温泉旅館へ呼び出すんだから、タクシー代くらい払うのが常識だと思う。
アザミと一緒に表に出たところでタクシーが来た。今時はスマホのアプリで時間と場所を指定するらしい。そんなアプリをアザミが使いこなしている事に、ちょっと新鮮な驚きを味わってしまった。
「私だってスマホは使えるんです。でも、これ返さなきゃですけどね」
「ごめんね。僕が使いこなせてないだけなんだ」
「時々でいいから使わせてね」
「もちろん」
普通は交際相手だからと言ってスマホの中を見せたりはしないのだろうが、僕にとってはどうでもいい事だった。見られて困るようなものは何もないからだ。
程なくやって来たタクシーに乗る。アザミが行先を告げると運転手は何も言わないで頷いていた。そこは山あいの温泉旅館なのだが、高額な料金で有名な老舗だった。僕たちのような若造が泊まれるような宿ではないので、何か聞かれるかと思っていたのだが、無口な運転手は何も言わず黙っていた。
十数件の温泉旅館が並んでいるのだが、その老舗旅館は奥まったところにひっそりと建っていた。老舗らしい風格があるような気がするが、それは古い印象を与える木造建築であるからだろうか。自分にはよくわからなかった。
フロントの若い男性スタッフが出迎えてくれた。
「
玄関で靴を脱ぎ、奥まった離れの客室へと案内された。ここはいわゆる最高級の、和風のスイートルームではなかろうか。こんな高級な場所には来た事がない。
「大丈夫だよ。さあしっかり!」
アザミにポンポンと背を叩かれた。どうやら周囲をキョロキョロと見回している不審者になっていたようだ。
「お邪魔しまーす」
「どうぞ」
低い声で返事があった。アザミが
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます