第20話 スワンの日々(7)


 昴は時々来る注文を一人で捌いていく。


 作る前に何を作るかを確認して。

 作っている最中にも手順を確認して。

 出来たものとオーダーを確認して。


 いつかは流れ作業になってしまうかもしれない。

 しかし、今の昴はそこまで確認しないと不安だった。


「――ねえ、昴」

 すると、美沙兎が昴から少し離れたところで声を掛ける。

「おっ、美沙兎。いつの間に」

 いつの間に厨房に。

 作るのに集中していたせいか、気配を感じなかった。

「昴、険しい顔していたよ?」

 少し怖がっている顔で美沙兎はじっと昴を見つめる。

「そう? そんなに?」

「うん。こんな顔――」

 そう言って美沙兎は無言で眉間にしわを寄せた。


 ――可愛い顔が台無しだ。

 昴は罪悪感を覚える。


「ふふっ」

 美沙兎の表情に昴は不思議と笑ってしまった。


 おかしい。似合わない。

 やはり、美沙兎は笑顔が似合う。


「ん?」

 昴の行動に美沙兎は解せない顔で首を傾げた。

「やっぱり、美沙兎は笑った顔が良いね」

 さっきの表情を想像して、昴は再確認する。


 やはり、美沙兎は笑顔が一番可愛い。

 無論、どんな顔も可愛いけど。


「・・・・・・それは昴も一緒」

 少し呆然として、美沙兎はゆっくりと頷いた。


 昴も一緒。

 僕も笑顔が似合うと言うことなのかな。


「そうかな?」

 僕なんか笑ったって絵にならないし、ただ怖いだけだと思うんだけど。

「うん。だって、一緒にいる私が言うんだもの」

 美沙兎は自信満々な顔で強く頷いた。

「・・・・・・それもそうだね」

 普段から見ている美沙兎が言うのだ。

 その言葉には説得力がある。

「だから、そんな険しい顔しないで」

「うーん? そんな顔してた?」

 やっぱり、自覚が無い。

 意識もしていなかった。

「緊張しているように見える」

「緊張か・・・・・・。あー、そうかも」

 自身に置かれた状況を客観的に考えた。


 失敗は許されない。

 そう思っているのは確か。

 きっと、そこから出た緊張だ。


 昔の自分なら、成功も失敗もさほど気にしなかっただろう。

 でも、今の僕は失敗を恐れていた。

 失敗の先にある事態を避けたいと思っている。


「・・・・・・緊張ほぐす?」

 悩んだ顔をして、美沙兎は昴の前で両手を広げた。

 メイド服の美沙兎がウェルカムみたいな雰囲気をしている。

「・・・・・・ん? どうやって?」

 その動作でいったい何をするのだろうか。

「んー、抱き合う?」

 特に決めていなかったのか、美沙兎はたった今思い付いた顔で言った。

「え・・・・・・えっ?」

 突然の言葉に昴は思わず聞き返す。


 美沙兎は今、僕に抱き合うと言ったのか――。

 頬をつねり、夢では無いことを確認する。


「温もりを感じると・・・・・・。そのー、和むから?」

 純粋にそう思ったのか、美沙兎は落ち着いた顔で首を傾げた。


 確かに一度、心は落ち着くかもしれない。


 ――そう、一度だけ。


 その後に訪れるのは、理性との戦いだ。

 しかも、今の美沙兎は愛狂おしい姿をしている。


「それもそうだね」

「それじゃ――」

 両手を広げたまま美沙兎はゆっくりと近づいて来る。


 近づく度、早くなる僕の鼓動。

 ――これはやばい。


「――でも、もう大丈夫だよ。美沙兎のその思いがわかっただけで落ち着いたよ。ありがとう」

 両手を前に出し、昴はストップと言いたげな仕草をした。


 美沙兎の流れに身を任せたら、色々と止まらなくなってしまうかもしれない。

 それだけは避けなければならなかった。


 僕のためにも、彼女のためにも。


「私は落ち着いていないんだけど・・・・・・?」

 呆然とした顔で広げた両手をゆっくり下ろしていく。

「あれ、そうなの?」

 内心とは裏腹。

 昴はとぼけた顔で言った。

「うん。ドキドキしてる」

「なんで・・・・・・?」

 美沙兎がドキドキすることなんてあるのか。昴は純粋に驚いた。

「抱き合うって言ったから・・・・・・? 自分でも驚き」

 自身の両手を眺めるように見つめ、美沙兎は驚いた顔をする。

「んー、心配させてごめん」

 美沙兎のドキドキは不安の一種なのだろうか。

 もしかしたら、美沙兎を心配させてしまったのかもしれない。

 昴は小さく頭を下げた。

「ううん。咄嗟に私は言った。本心。でも、今こんなにも心臓の音が聞こえる。こんなの初めて。何だかおかしい。――どうして、昴?」

 両手を自分の胸元に当て、美沙兎は少し不安そうな顔で首を傾げた。


 美沙兎の言葉を一つ一つかみ砕く。


 取り残さぬようにゆっくりと――。


「もしかして」

 一つの理由が昴に過った。

 しかし、それは本当にそうなのだろうか。


 ――本当に彼女は僕に好意があるのだろうか。


 好き。


 幼馴染としてではなく、一人の異性として。

 彼女の言うドキドキとは僕と同じようなドキドキなのではないかと。


「どうして・・・・・・どうしてだろう? 熱でもあるのかな・・・・・・?」

 昴は不思議そうな顔で当たり障りの無い言葉を返した。

 自分の思ったことと違った場合に訪れるだろう変化を想像する。

 軽はずみに言って、今の関係を壊したくは無かった。

「んー、無いとは思うけど?」

 右手を額に当て、自身の体温を確認する。

「それなら良かった」

「働いていれば、収まるかな?」

 まるでドキドキが不調のように美沙兎は言った。


 好調が故の不調かもしれない。

 昴はそうとは言えなかった。


「うーん、そうかもね。でも、体調が悪くなったら、無理しないでよ?」

「うん。ありがとう、昴」

 笑顔でそう言うと美沙兎はホールへと戻って行った。

「――はあ」

 厨房で一人、昴は大きくため息をついた。

 別の選択をしていたら、何か変わっただろうか。


 ――思うより変わることは難しい。

 

 変わりたいと思っても、

 変わるための一歩が踏み出せない。


 僕が立ち止まっても、

 時は進んで行くのだから――。

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