第16話 スワンの日々(3)
土曜日。
朝七時。
喫茶店スワン。
「おはようございま――って、秋悟早いね」
昴が事務所の扉を開けると、すでに事務所に秋悟がいた。
普段のこの時間は店長の芙美がいて、昴たちはその後、事務所に入っている。
秋悟は頭数に入っていないシフトの時は開店後に来ることもあった。
今日の秋悟は、午後から頭数に入っている。
事務側の勤務形態はよくわからないけど、こんなに早く来る必要は無いはずだ。
その秋悟がこの時間にここにいる。
早く起きたから、また眠くなる前に来たのだろうか。
どうやら、僕は珍しいタイミングに遭遇したのかもしれない。
昴は呆然とした顔で瞬きを繰り返していた。
「おはよう、昴」
秋悟はそう言って笑みを浮かべると、あくびをしながら伸びをする。
相変わらず、その姿は寝不足のように見えた。
「もしかして――徹夜?」
昴は純粋に不思議そうな顔をする。
一日中、机の前にいたと言われても納得する雰囲気を秋悟はしていた。
「そんな訳無いだろう。俺もさっき来たところだよ」
昴の言葉に少し唖然とした顔で秋悟は言った。
「それなら、良かったよ」
てっきり徹夜で仕事をしているのかと思った。
昴は一安心するように息を吐く。
「にしても、珍しく早いな。どうした? 目覚まし一時間、間違えたか?」
タイピングしながら秋悟は昴に不敵な笑みを向ける。
パソコンを見ずに手慣れた手つきでタイピングする姿は新鮮だった。
中学にもパソコンを使った授業はあったがこんなに上手くは無かった気がする。
と言うことはこの数か月でここまで上手くなったと言うことだ。
「不思議と起きたんだよ。二度寝して起きれなくなる前にとりあえず来てみた」
「あの昴が早起きだと・・・・・・?」
眉間にしわを寄せ、解せない顔を秋悟は返す。
秋悟の記憶では遅刻はよくあったが、早起きする昴はあまり見たことが無かった。
「いや、僕も早起きするよ――たまには」
「なるほど・・・・・・。ふぁー」
緊張の糸が切れたような顔で、再びあくびをして伸びをする。
「秋悟は最近寝れているの?」
三月くらいだっただろうか。
秋悟の目のクマが酷かったのは。
今思うと、その頃が秋悟の転機だったのだ。
秋悟は大きくため息をついた。
「んー、前よりはな」
「今日は?」
「今日は・・・・・・な」
何を思い出したのか、秋悟は小さくため息をつく。
「どうしたの?」
その様子だと何かあったようだ。
「ちょっと、楓が来ていてな」
「え、相馬、秋悟の家に泊まったの?」
現在、秋悟も一人暮らし。
妹の都合で両親と首都圏に引っ越していた。
「んー、まあな」
「何かあったの?」
相馬には何か用事があったのか。
たぶん、何も無いと思うけど。
「帰り道、楓が何食わぬ顔でついて来て気がつけば家に」
不思議そうな顔で秋悟はパソコンを眺めてそう言った。
気がつけば、相馬と一緒に秋悟の家に――。
「もう同棲じゃんそれ」
それ以外の言葉が見つからない。
「・・・・・・同棲ではないと思うが?」
同棲。その言葉を聞いた秋悟は途端に解せない顔をする。
「でも、歯ブラシとかはあるんでしょ?」
同棲と言えば――。
適当に思ったことを昴は言った。
「あ――あるな。楓の歯ブラシ」
自分の家の洗面台の光景を思い出したのか、秋悟は感心したように頷く。
「もう彼女じゃん」
まあ、うちも気がつけばいる美沙兎の歯ブラシがあるけどさ。
昴も自宅の洗面台の光景を思い出す。
案外、人のことを言えないかもしれない。
結果的に近い状態になっているだけだけど。
「んー、楓は幼馴染だけで彼女じゃないぞ?」
秋悟は首を傾げながらも、打ち込みを続けている。
幼馴染だけで彼女じゃない――って。
「・・・・・・はい?」
いったい何を言っているんだろうか。
「うん。付き合っていないな、俺たちは」
瞬きをして秋悟はハッとした顔で言った。
過去の出来事を振り返る。
手を繋いで歩いたり。互いの食べ物をあーんしてあげたり。
そんなことはやっていなかった。
ただ一緒にいる。それだけだった。
――それだけ。
ふと秋悟の中で何かが引っかかる。
「え、付き合ってないの?」
「ああ。俺たちはただの幼馴染――だな」
引っかかった何かが何なのか。考えても答えは出ない。
「何、今の間は」
「一瞬、わからなくなった」
その何かがわからない以上、秋悟はそれを否定出来なかった。
珍しい。秋悟がわからないと言うなんて。
昴は純粋に驚く。
「秋悟的にはどうなの?」
相馬的には付き合っていると思っていると思うけど。
「付き合っているか、か?」
「いや、相馬のことだよ」
付き合っている、付き合っていないが問題では無い。
別に思っていても付き合っていない人もいるだろうし、
思ってもいなくても付き合っている人もいるはずだ。
そう言う点では人の感情は難しいのかもしれない。
昴は見てきた経験からふと考える。
時と共に僕らの感情は変わる、変わってしまうのだ。
――良くも悪くも。
「うーん、好きと言えば、好きだよ。でも、それよりも今は――スワンのことで頭がいっぱいでさ」
どうしてか、秋悟は困った顔でそう言った。
相馬のことは好きだが、それよりも今はスワンが好き。
つまり、そう言うことなのだろうか。
悪く言えば、相馬はスワンに負けたのだ。
――秋悟の中で。
「相馬よりスワンが好きなの?」
お前の思いはそんなものなのか。
昴は一瞬そう思ったが、逆にそれほどの思いなのだ。
白鳥秋悟のスワンに対する思いは――。
その思いの重さを昴は察した。
「スワンが好きと言うか――なんだろうな。本当はどっちか片方に尽くすくらいの勢いで向かわなければいけないと思うが、それが出来ない」
腕を組み、秋悟は難しい顔をする。
どちらも片手間で出来るものでは無いことは十分承知だ。
それでも、両方とも出来ると思ってしまっている自分がいる。
不思議と自信があった。冷静に考えれば無理なのに
「どうして?」
昴は真顔で首を傾げた。
手放したくない気持ちも理解出来る。
だけど、このまま片手間で続けた先、両方とも失う可能性もあった。
具体的にどうなるのかは想像出来ないけど。
それに秋悟らしくない。
昔から合理的じゃないことはやらない主義なのに。
「どうして――か」
昴の言葉に秋悟は考え込んだ。
答えは出ている。
だけど、その答えに辿り着いた理由がわからない。
「スワンが楽しいし、楓とも居たい」
純粋な気持ち。
欲張りなのかな、秋悟はため息のようにそう呟いた。
未来へ、夢に向かって進むことも。
大好きな人と過ごしたいと思うことも。
昴は秋悟に共感する。
夢が無いのにその思いは理解出来た。
今と未来。
僕はその両方を器用に生きることは出来ないけど、秋悟なら――。
「それは欲張りでは無いと思うよ」
両方とも秋悟にとっては今しか出来ない日々なのだ。
今しか出来ないことをやろうとすることが欲張りだとするならば、
前を進むこと自体、欲張りになってしまうだろう。
さて――。
いつか、僕にも。
昴はふと考えた。
いずれ、僕にも来た時、その両方を僕は両立することが出来るだろうか――。
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