第15話 スワンの日々(2)


 午後九時。

 スワン厨房。


「おー、終わったか」

 芙美たちが店のシャッターを閉じる音を聞いて、秋悟は気がついた顔で言う。


「あれ、もう九時・・・・・・?」

 皿洗いをしながら、昴は呆然とした顔で言った。


 しばらく注文が無いと思ったら、閉店時間だったのか。


「あっという間だったなー、今日は」

 シンク周りの整理や掃除をしながら、夏樹は意外そうな顔で言った。

 その様子だと閉店時間が近づいているのを知っていたように見える。

「確かに。六時くらいからあっという間だったね」


 こんなに時間を忘れたことが今まであっただろうか。

 きっと無いかもしれない。

 昴の中で感じたことの無い新鮮な気持ちが込み上げた。


 僕も何かに没頭出来る日がくるなんて――。


「これが金曜ピークだよ」

 やりきったような笑顔を向け、秋悟は事務所へと向かって行く。


 気がつけば、秋悟もずっと厨房にいた。

 昴と夏樹がいる日は、時々厨房に来るくらいで

 基本的には事務所で仕事をしている。


 秋悟からすれば、ようやく事務所仕事が出来る、そんな感じだろうか。

 昴は秋悟の背中を眺め、そう思った。


「なるほどな」

 夏樹は感心した顔でそう言うと、ごみをまとめていった。


 すると、カウンターから誰かが向かってくる足音が聞こえる。


「お兄ちゃーん」

 明るい声でそう言ってカウンターから顔を出したのは雪だった。

 こんな口調の雪はあまり見ない。昴は純粋に驚いた。

「ん? どうした雪?」

「頑張った!」

 どうしてか、雪は胸を張ってそう言った。


 純白の巫女。

 その表情は純粋そのものだった。

 子供の頃は大人しい性格だったが、今は明るくなった気がする。


「――お疲れ、雪」

 一瞬、悩んだような間を生み、落ち着いた顔でゆっくりとそう言う。


 普段ならここで夏樹が雪の頭を撫でているはずだ。

 その光景が容易に想像出来た。


「ありがと」

 恥ずかしそうに俯くと、雪はスキップしながらホールへと戻って行く。

「――あー」

 雪の背中を眺めながら、夏樹は唐突にため息をついた。

「えっ? そこでため息つくの?」

 この流れでため息をつく理由がどこにあるのか。

「えっ? ・・・・・・えっ?」

 夏樹は脱力したような顔で昴に首を傾げた。

「どうして、ため息?」

「あー。あー、出てたか・・・・・・。すまん」

 どこか疲れた顔で夏樹は頭を下げる。

「なんか一気に疲れた雰囲気あるね」

「あー、気力的にな」

「気力的?」

 とは――。いったいどういうことだろう。

「やっぱ、可愛んだよな――雪」

 独り言のように夏樹はそう呟くと、店舗裏のゴミ箱へ向かって行った。


 雪が可愛い。

 つまり、妹が可愛い。

 夏樹からすればそう言うことだ。


「んー。夏樹も大変なんだなー」

 仲が良いのか、それとも別の何かか。

 昴にはその線引きがわからなかった。

「・・・・・・あれ? 秋悟は?」

 すると突然、カウンターの下から楓が顔を出す。

 急に現れた楓に昴は少し呆然としていた。

「ん? どうしたの、相馬?」

 瞬きをしながら、昴は意味がわからない顔をする。


 どうして、いきなり出てきたのか。

 秋悟を驚かせようとしたのだろうか。


「秋悟・・・・・・いないの?」

 カウンターに顔を置き、寂しそうに厨房を見渡す。


 今度は相馬か。

 眉間にしわを寄せ、昴は複雑な顔をしていた。


「秋悟は事務所だよ。行けば、いるんじゃないかな?」

「事務所か・・・・・・そっか」

 遠い物を見るような目をして楓は俯くと、ゆっくりとホールへ戻って行く。

 その背中はどこか寂し気な雰囲気を漂わせていた。


「・・・・・・お前ら、ラブラブじゃん」

 昴は呆れたような顔でそう言うと小さくため息をついた。


 ――彼らの関係は少しずつ変化しているようだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る