第5話 始まりのスワン(4)


 翌週、土曜日。

 午前十時。


 喫茶店スワン。

 厨房。


「なあ、秋悟」

 軽食の調理レシピ帳を眺めて、昴は何食わぬ顔でそう言った。

「ん? どうした、昴」

 調理場の後ろにある野菜用の冷蔵庫を開きながら、秋悟は不思議そうな声を出す。


 眺めていたレシピ帳を調理場に置くと、昴はペラペラとめくった。


 調理マニュアルの一つとして、一度は目を通している。

 その中で、昴は気になることがあったことを思い出した。


「ここレシピって、秋悟が作ったのか?」

 まじまじとレシピ帳を見つめ、昴は感心した顔をする。


 どれも市販のレシピとは少し違った。

 何が違うのか、そう聞かれても答えられないが、何かが違う気がする。


 材料か、書体か、文章か、それとも可愛らしい手書きのイラストか。

 考えても答えは出なかった。


「一部のメニューの構想は――な。調理内容自体はほとんど芙美さんが作った」

 思い返すような顔で秋悟は告げる。


 この店を開店する前の事前計画に秋悟は参加していた。

 このレシピ帳はその時に出来たものであることを秋悟は思い出す。


「あー、店長が・・・・・・。凄いな」

「あの人、メニューとかレシピを作ることが好きだから」


 手書きのイラストのほとんどは芙美さんだよ。

 元々芙美は管理栄養士であり、前職で似たようなことをやっていた。

 秋悟はそう補足する。


「――なるほど」

 わくわくした顔で考える芙美の姿が昴には想像出来た。

「それにレシピの一部は芙美さんが昔、友達と作ったものらしいし」

「へえー。もしかして、青春――みたいな感じ?」

「――そうかもしれんな」

 何かを思い出すように秋悟は言った。


 その様子だと、芙美から昔話を聞いたのだろうか。

 昴はそう推測した。


「にしても――意外だったな」

 思い出すように秋悟は斜め上を見上げる。

「意外とは・・・・・・?」

「お前がそんなに器用だったなんてさ。最初は皿洗いをメインにやってもらおうかと思っていたんだが。物覚えも良くて、驚いた」

 まじまじと昴を見つめ、秋悟は意外そうな顔をする。

「んー、否定も肯定も出来ないなー。そう言われると」

 昴は眉間にしわを寄せ、微妙な顔をする。


 秋悟の言葉は褒められているのか、貶されているのかわからない。


「何事もやってみないとわからないな――世の中」

 身に覚えがあるのか、秋悟は懐かしそうな顔でそう言った。

「それも――そうだな」

 僕もスワンで働かなければ、こんなに器用だってこと知ることも無かっただろう。


 秋悟の言う通り、何事もやってみないとわからない。


「戦力として、非常に助かる」

 秋悟がそう言う中、厨房の上部にあるメニューパネルに注文が表示された。

「注文は、チョコレートパフェが二個とソフトドリンク――か」

 メニューパネルを見上げ、昴は音読する。

「――よろしく、昴」

 右手を振り、秋悟はそう言うと厨房のシンクで皿洗いを始めた。

「うん――って、え?」

 どうして、お前が皿洗いをしてるんだ――。

 昴は呆然とした顔で秋悟の背中を眺める。

「ねえ、秋悟」

「ん?」

「マネージャーの秋悟がどうして皿洗いしているの・・・・・・?」

 呟くように昴は秋悟に言った。

 何というか、皿洗いは僕がやるべきなのでは――。

 昴は直感的にそう思った。

「ん? そりゃ――皿洗いたいからだろ? それにそのメニューは昴が問題なく作れるし」

 スポンジとパンケーキ用の平皿を手に取っていた秋悟はそのまま振り向く。

「んー、確かに覚えてきたけどさ」

 マニュアルを見て、実物を見て、実際に作って。

 確かに作り方は何度か繰り返すうちに覚えてきた。

「だろ? それじゃあ、よろしく」

 そう言うと昴に背を向け、皿洗いを再開した。


 信頼の言葉を頂いたからには、無下には出来ない。


「うーい」

 諦めたように昴はパフェ作りを始めることにした。


 パフェグラスを用意し、コーンフレークなどを引き出しから取り出す。


 グラスの下から、コーンフレーク、バニラアイス、コーンフレーク、バニラアイス、ミニガトーショコラ、生クリーム――などなど、順番に積んでいく。


 機敏な動きで一個を作ると、流れるようにもう一個も作り終えた。


 そのまま、その二個のパフェをホール側にある対面式のカウンターに置くと、後ろにあるドリンクサーバーでアイスコーヒーを二個作るとカウンターに置いていく。


 そして、カウンターに置いていたハンドコールベルを手に取ると、上へ向け振るった。


 カラーン――、カラーン――。


 秋悟からホールの人を呼ぶ時、これを使えと言われたが何だろう――。


 何だろう、この市場のセリの人感は――。


 昴はその手にあるハンドコールベルをただただ見つめていた。


「美沙兎ー、三番さん出来たよー」

 ベルの音に反応した美沙兎に昴は声をかける。


 すると、美沙兎はすぐさま四人用のテーブルを拭き終え、駆け足でカウンターへと向かってきた。


 美沙兎もこの数日でだいぶ慣れてきたらしい。

 最初の頃にあった動揺している雰囲気が今は無かった。


「ほい」

 カウンターに両手を乗せ、美沙兎は厨房を覗き込むように顔を出す。

「四点、よろしく」

「はーい」

 明るい声でそう言うとカウンターの下にあった丸形のトレイを取り出す。

 トレイにパフェとアイスコーヒーを乗せ、テーブルへと向かって行った。

「おー。もう手慣れたもんだな」

 美沙兎を見送る昴の後ろで秋悟が笑う。

「ん? そう?」

「ああ。ベルの鳴らし方もバッチリじゃないか。最初は振り方が違うのか、音が鳴っていなかったよな」

「確かに。意外にコツがあるんだね」

 ハンドコールベルは見かけによらず、鳴らすのが難しかった。

「何事も経験と言うがまさにそれだな」

「そうだね」

 

 世の中、やってみないとわからないこともあるのだ――。


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