第3話 始まりのスワン(2)
――ここの従業員になって欲しい。
秋悟は満面の笑みでそう言った。
「うん、うん・・・・・・? ――ん?」
頷きながらも、昴は秋悟の言葉をかみ砕いて理解しようとする。
ここの従業員になる――。
何度かかみ砕く。
しかし、昴には理解出来なかった。
「すまんな、唐突に」
昴の表情を見て、秋悟は申し訳なさそうな顔をする。
「まあ、唐突だよね・・・・・・。つまり、どういうこと?」
再度、昴は聞いた。
不思議と身体に染みて来ない。どうしてか。
「ここでバイトしないか?」
即答。そう言って、秋悟は右手を差し出した。
「ここで・・・・・・?」
瞬きを繰り返し、昴はようやく話の流れを理解する。
僕がここで働く――?
想像がつかない。自身が働くことに。
「ああ」
「秋悟もバイトしてるの?」
無論、従業員と言うことはそういうことだろうけど。
昴は念のため再確認する。
バイトなのか、バイトじゃないか――。
昴の問いに秋悟は頭の中で考えていた。
「バイト――。まあ、バイトだな」
雇用はそうだな。考え込んだ末、秋悟はそう呟く。
「雇用・・・・・・? バイトじゃないの?」
何かが引っかかるような渋い顔で昴は首を傾げた。
その言い方だと語弊があるのだろうか。
秋悟もどこか曖昧な顔をしている。
「実はな――」
秋悟はそう言うと、スーツの胸ポケットから一枚の紙――名刺を取り出した。
そして、ゆっくりとその名刺を昴に差し出す。
「お、おう・・・・・・」
訳もわからず、昴はその名刺を両手で受け取った。
受け取った流れでその名刺をまじまじと見つめる。
『喫茶店スワン
マネージャー 白鳥 秋悟』
名刺には横文字で確かにそう書いてあった。
その文字を見て昴は一瞬、時が止まったように凍り付く。
「マネージャー・・・・・・? 店長・・・・・・?」
呆然と瞬きを繰り返し、昴はその意味を考えていた。
少なくとも、普通のバイトでは無さそうだ。昴は確信する。
「いや、店長ではないよ。何というか・・・・・・経営を計画する人・・・・・・かな?」
説明するのが困難なのか、秋悟は難しそうな顔でそう言った。
「経営者?」
「――に近いね」
昴の言葉に同意するように秋悟は頷く。
つまり、秋悟は喫茶店スワンの経営者みたいな人と言うことか。
落ち着いたように昴は状況を整理する。
「へえー。――って、え?」
納得したように頷いた後、昴は解せない顔になった。
状況を整理するはずが、逆に困惑している。
「え?」
昴の顔を見て、秋悟は呆気に取られたような顔をする。
「え、いつから・・・・・・?」
該当しそうな記憶が無い。
昴は不思議そうに首を傾げた。
「こないだから・・・・・・?」
昴に合わせるように秋悟も首を傾げる。
「こないだ・・・・・・?」
こないだとは――。
いったい、いつからだろう。
昴はさらにわからなくなった。
「何やってるの・・・・・・?」
すると、二人揃って首を傾げている光景に美沙兎は呆然とした顔でそう言った。
「まあ――、正式にこの立場になったのは・・・・・・二週間くらい前かな」
美沙兎の言葉に冷静になった顔で秋悟は言った。
「二週間前――と言うと、高校生になってからか・・・・・・」
昴も落ち着いた顔でそう言う。
どうやら、理解不能と言うスパイラルから抜け出せたようだ。
美沙兎のおかげである。
「そりゃ、世の中には法律と言うものがあってだな――」
眉間にしわを寄せ、秋悟は深刻な顔になった。
そして、何やらぶつぶつと呟くように語り出す。
「なるほど」
よくわからない話になってきた。
とりあえず、納得した顔で昴は頷く。
「と言う訳で、どうだ?」
「ん? どうって、ここで働くってこと?」
秋悟と一緒に働くと言うこと。
どうしても昴には想像がつかなかった。
「そうだ。悪くない話だろ?」
勿論、給料は出る。
秋悟はそう補足する。
「悪くないと言うか・・・・・・僕は何するの?」
不満があるような顔で昴は眉を強く寄せた。
想像がつかない。
昴の中ではそれが一番重要だった。
誰しも、自分で想像出来ない不鮮明な道を進みたくは無いだろう。
「えっーと・・・・・・。さ、皿洗い・・・・・・?」
動揺したような顔で秋悟は視線を落とす。
「どうして、目が泳いでいるの?」
「――すまん、あんまり考えていなかった」
冷や汗を掻くような顔で秋悟は謝るように小さく頷いた。
「珍しい。秋悟が考えていないなんて」
昴の隣で美沙兎は意外そうな顔で言う。
確かに常に何かを考えているイメージがあった。
「来てから考えようと思っていたからさ。まだ、昴たちはその『働く』という行為をしたことが無い。それ故に何が出来るかもわからない。想定は出来るが、所詮――想定だ」
そう言う秋悟は服装のせいか、とても大人っぽく見えた。
「何が出来るかわからない――か」
果たして、僕に何が出来るのか。
――何が出来るようになるのか。
昴の中でその言葉が脳裏に浮かんだ。
先日まで変わることに逃げ腰だったはず。
どうしてか不思議と前向きな気持ちで考えられる。
それも友達である秋悟からの誘いだからなのか。
「しばらくして辞めても良いんだぞ?」
「え、どうして?」
入る前に辞めても良いなんて言う人がいるんだ――。
昴は純粋に驚いた。
「自分には合わない。何度も強くそう思ったのなら、辞めた方がいい。マイナスな姿勢でやっても、良い結果は出ないし、自分の中でも良い経験にはならない。辞めることは構わない。ここを通して、昴が『自分には何が向いているのか』それがわかるだけでも、大きな経験だと思うんだ」
様々な思いがあるのか、秋悟は重々しい表情をしていた。
「自分には何が向いているのか――」
考えたことがなかった。
昴は目が覚めたような顔をする。
長所は何か。
短所は何か。
それらの問いでさえも、今の僕は答えられなかった。
「まあ、俺としては辞められると単純に寂しいけどな」
想像したのか小さくため息をついて秋悟は言う。
「お、おう・・・・・・」
不思議と罪悪感を覚える。
「まあ、お試しでも良いから、考えてみてくれ」
「なるほど・・・・・・」
昴は考え込むように俯いた。
「――私はやる」
すると、その隣で美沙兎はうんと頷きそう言った。
「美沙兎?」
突然の発言に昴は訳が分からない顔をする。
「素直にやってみたいと思った。何するかわからないけど」
頑張ると言いたげな顔をしている。とっても可愛い。
「えー、わからないのにやりたいの?」
不透明なところでも進もうとする。相変わらず、美沙兎は凄い。
「うん。だって、秋悟がいるところだもん。悪いところではないはずだよ」
「それも――そうか」
不思議と納得してしまう。
それほど僕らの秋悟に対する信頼は厚い。
「それに昴もいるし――?」
「ん・・・・・・? んん?」
迫りくる違和感。何かおかしい。
「いるしー?」
ゆっくりと首を傾げて、美沙兎は不敵な笑みを昴に向ける。
可愛い。
不敵で意地悪そうな美沙兎も悪くないと思ってしまった。
「・・・・・・」
期待しているような顔で秋悟も見つめてくる。
「んー、そうだね」
とりあえず、頷き返事をする。
「お、決まりだな。よろしく、昴」
少し驚いた顔で秋悟は昴の方へと歩み寄った。
その様子だと僕が断ると思っていたのだろうか。
「おう」
そう言って昴と秋悟は握手をした。
――明日は明日の風が吹く。
自分の中でその単語が出たことに昴は純粋に驚いた。
何が変わったのかはわからない。
だけど、間違いなく僕の中で何かが変わった。
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