第2話 始まりのスワン(1)
「はぁ・・・・・・」
吐く息、吐息。
溜めた息、ため息。
果たして、これはどちらか。
鷹城昴(たかじょうすばる)はそんな疑問を抱きながら、ため息をついた。
「特に何も――無かったな」
今日も一日、何でも無い日が終わろうとしていた。
楽しいことも、辛いことも無い。
良くも悪くも、何も無かった。
昴は空を見上げ、もう一度――ため息をついた。
「まあ、そう言っても特に何か新しいことは求めていないしな・・・・・・」
自身の問いに、昴は呟くように答える。
新しい事と言うと、必然的に覚えることが多いイメージだ。
「それはめんどうだな・・・・・・」
想像して昴はため息をつく。
今の脳内に新しいことを覚える余力は無かった。
――無かったと言うより、面倒が正しいのかもしれない。
「そうかと言って、何かを変える気力も無いな・・・・・・」
眉間にしわを寄せ、考え込んだ。
新しい何かを覚えよう。僕の中の何かを変えよう。
残念ながらそんな意欲は、今の僕には――無かった。
ただただ、良くも悪くも変わらないこの日々が続いていく。
大きな幸せも無く、大きな辛さも無いこの日々。
故に――平凡。
凡て平らな世界。
プラスも無く、マイナスも無い。
それが平凡。
「んー、こんな感じで高校も終わるのかな?」
歩きながら腕を組み、自問するように昴は考える。
高校のその先――進学か、就職か。
そこまではまだ考えてはいなかったが、
少なくともこのままだと高校生活も中学生活と変わらず、平凡に終わる。
昴はそんな気がしていた。
「・・・・・・どんな感じ?」
隣にいる少女が昴の独り言を拾った。
彼女は幼馴染の桜木美沙兎(さくらぎみさと)。
小柄で長髪のその容姿は、今も昔も変わらず、愛らしい雰囲気を出していた。
「どんな感じと言うと・・・・・・こんな感じ?」
両手を広げ、昴は『今』と言いたげな顔をする。
言葉で説明出来ない。
自身の語彙力を昴は恨んだ。
「・・・・・・ずっと二人でいるってこと?」
美沙兎は呆然としたような顔で瞬きをする。
しばらくして、深刻そうな顔になった。
普段の彼女は柔らかい表情をしているせいか、
今の彼女の表情は不機嫌そうに見えた。
「んー、まあ、そうなるよね」
美沙兎の言うことは、一理あるのかもしれない。
だけど、少し違う気もする。
「別に良いんじゃないの?」
何食わぬ顔で美沙兎は首を傾げた。
傾げる拍子、前髪のアンテナのように跳ねたくせっ毛も同時に揺れる。
「そ、そう・・・・・・?」
どうやら美沙兎は案外、この日々を気に入っているようだ。
「私は意外と好きだよ。この日々」
自分で言って恥ずかしいのか、美沙兎は俯く。
「それなら――良かった」
どこか他人事のように昴は言った。
すると、会話を遮るように昴の携帯が鳴る。
メールの送信者はどうやら、
中学の同級生の白鳥秋悟(しらとりしゅうご)からだ。
白鳥秋悟は優れた容姿をして、
普段は落ち着いた雰囲気を纏い、時にねじが外れる。
平凡な一面は一つも無い。
そんな友人だ。
「ん――? 秋悟から?」
送信者の名をまじまじと見つめ、昴は首を傾げる。
高校に入学して数日間連絡が無かったから、どうしたのかと思っていた矢先。
開くとメールには、シンプルに一文。
『今週の土曜日、この場所へ来て欲しい』
添付されたファイル。
住所を記載した案内図のようだ。
「今週の土曜日――か」
思い出すように昴は空を見上げる。
特に用事は無い。
今週も時間を気にせず、ただゲームをする予定だった。
「今週の土曜日?」
呟いた昴に美沙兎はその言葉を復唱する。
「いや何かね、秋悟が来て欲しいって言われてさ」
「・・・・・・何しに?」
訳がわからない顔で美沙兎は昴を見つめる。
「んー。僕もわからない」
困った顔で昴は言う。
そりゃ、僕もわからないよ、美沙兎。
「でも、この住所は――大通りだね」
覗き込むように昴が持っていた携帯の画面を見る。
揺れる彼女のストレートの黒髪から漂う柔らかな香り。
呼吸する度、身体に染み渡るその香り。
衝動的な何かが昴を襲った。
こりゃいかん、良くわからない気持ちが込み上げている。
昴は心の中で首を左右に大きく振るっていた。
モバイル画面に一点集中。
昴は視線を携帯に集中させた。
「あー、市電通りのところか」
昴は自身を落ち着かせながらも、その位置の風景を思い出した。
にしても、なぜ――。
どこか出かけるところでもあったかな。
まあ、大通りだから、喫茶店とか飲食店で待ち合わせとかだろうか。
昴は勝手に推測する。
「とりあえず」
美沙兎はゆっくりとそう言って頷いた。
頷いた拍子にアンテナもお辞儀するのが何とも愛らしい。
「とりあえず――?」
不思議そうに昴は聞き返す。
「行ってみよう」
笑顔で美沙兎はそう言った。
「う、うん・・・・・・?」
どうして、美沙兎も来る前提なのだろうか。
昴は不思議だったが、別に秋悟だから気にしないだろう、そう思った。
それにもしかすると、秋悟にも同席者がいるかもしれない。
―――
土曜日。
昴たちはある店の前にいた。
「ここって確か半年くらい前に出来た喫茶店だよな・・・・・・?」
メールに添付された住所はここで間違いないはず。
「初めて来た」
美沙兎はどうしてかわくわくした顔で言った。
まあ、確かにこの店の評判はとても良い。
僕も行ってみたいと思っていたところだ。
『喫茶店スワン』
入り口上にある木製の看板には横字でそう書いてあった。
すると突然、昴の携帯が鳴る。秋悟からだ。
「ん? どうした、秋悟?」
(店の前に着いたか?)
秋悟は何食わぬ顔で言っているような声で言った。
「おっ、どうしてわかった?」
周囲を見渡し、秋悟の姿を探す。
しかし、秋悟らしき姿は見当たらない。
どこにいるのだろうか。
(ん――まあ、何となく?)
秋悟は言い辛そうに言葉を詰まらせる。
「あ、そうなの?」
何となく。そんな曖昧な表現をする秋悟は珍しかった。
(――で、そのまま、店に入って右にある従業員事務所の扉から入ってきてくれ)
「おう、わかった」
昴がそう言うと、秋悟は通話を切った。
携帯をしまいひと息。
さて、お店に入って右にあるこの扉、従業員事務所を開けて――。
「――って、ここ従業員用だよね?」
ドアノブを掴み、ハンドルを回す手前で昴は気づいた。
関係者以外立ち入り禁止と書いてある。
無論、入るべからず。
「うん。従業員用」
後ろにいた美沙兎は冷静な顔で頷いた。
「絶対違うじゃん。本当にここなの?」
「でも、秋悟はそう言ってたよ・・・・・・?」
不安そうな顔で美沙兎は昴を見つめる。
「んー、そうなんだよな」
少なくとも自分の聞き間違えではないはずだ。
入って違えば、素直に謝ろう。
恐る恐る昴はその扉を開き、先へと向かう。
その扉を開けると照明の明るさに昴は目を閉じた。
通って来た道よりも眩しい。
照度が高いのか、それとも別の何かか。
この時の昴にはわからなかった。
「おう――遅かったな」
その声に誘われるように昴は目を開けた。
目に映るのは、スーツを着た男。
彼は待ち受けていたような顔でそう言った。
白髪のセミロングヘアー。
長身でスタイルの良いその容姿は、
彼がイケメンと呼ばれる分類に入ってもおかしくない容姿だった。
「ん――? 秋悟・・・・・・か?」
目に映る男の姿に昴は呆然とした顔で言う。
この男が昴の知る白鳥秋悟であることは間違いない。
問題なのは、どうしてスーツを着ているのか、その一点だけだった。
「ああ、そうだよ。数週間ぶりだな――昴」
腕を組み、秋悟は笑顔を向ける。
その顔は昴の知る秋悟だ。
だが、雰囲気が――違う。
「そうだね。――で、なんで秋悟はスーツなの? そして、ここは?」
瞬きを繰り返した後、昴は訳がわからない顔で秋悟に聞く。
「待て待て、落ち着け昴」
疑問符を投げつける昴。
秋悟は両手を前に出し、昴を落ち着かせるような仕草をする。
困ったような顔をしている秋悟。
でも、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「秋悟、スーツ似合っている」
すると、美沙兎は昴の後ろで見とれているような顔で言う。
「似合っているけど――どういうこと?」
美沙兎の一言で昴は冷静さを取り戻した。
確かに似合っているけど、今はそう言うことじゃない。
「まあ――、俺はここの従業員ってことだよ」
半歩下がり、秋悟は昴たちに背を向ける。
「秋悟が?」
秋悟が喫茶店の従業員。
昴は意外そうな顔をする。
喫茶店で働くイメージが無かったからだ。
今でも想像出来ない。
「うん。そうだよ。それで――本題だ」
覇気のある声でそう言うと、秋悟は振り返る。
「本題・・・・・・?」
本題とは――。
僕らはいったい何の話をしていたんだっけ。
「ここに呼んだ理由だよ」
「あ、そういや、呼ばれたんだよね、僕たち」
思い出したような顔で昴は頷いた。
そうだ。秋悟からメールで呼ばれてここにいる。
「お、おう・・・・・・呼んだぞ?」
えー、と言いたげな顔で秋悟は驚いた。
「それで本題って?」
驚く秋悟を前に昴は不思議そうな顔をする。
本題。
秋悟が僕らを呼んだ理由はいったい何だろうか。
「一言で言うと――」
そう言って、深呼吸する。
――ここの従業員になって欲しい。
この一言が僕の人生を大きく変える――。
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